本日の
「#家で過ごそう」CRW撮影シリーズは
【鉄道模型】で板谷峠の歴史を振り返る3回目
“EF16形直流電気機関車牽引普通列車”です。
1949年(昭和24)板谷峠は直流電化されEF15形直流電機が投入されました。
しかし平均33‰が連続する板谷峠では、下り勾配で踏面ブレーキ多用に伴い車輪が摩擦熱で膨張、緩むトラブルが続発しました。車輪冷却のため、臨時停車をしたり、屋根上に水タンクを設置して散水する対応が取られたが、抜本的解決にはなりませんでした。
そこで板谷峠区間で運行されているEF15に回生ブレーキを追設し、性能がEF15と大きく変わる事から“EF16”の新形式となりました。
EF16はEF15の改造で1~12の12機誕生、福島機関区から分かれた福島第二機関区が奥羽線を1km程行った場所に設置され、EF16形電気機関車全機を配置しました。
福島駅から福島第二機関区脇に設置された中川信号所までは蒸気機関車牽引で運行、中川信号所でEF15(後にEF16)に付け替えられました。
東北地区の電化は交流で行われることになり、1960年(昭和35)に福島駅まで交流電化が完成。同時に中川信号所に交直地上切替が設置され、ED71、EF16とも乗り入れられるようになりました。
私が初めて山形へ行ったのは、小4の1965年(昭和40)で、米沢まで普通列車に乗車しました。
福島駅では大きな蒸気機関車が先頭に連結されていたのが今でも脳裏に残っています。当時の福島機関区配置一覧を見ると、3機の8620形(8657・28659・58666)と1機のD50形(D50258)が入替用として所属していたので、私が見た福島駅での大きな蒸機は8620またはD50と思われます。
そして次に窓から前方を見た時、蒸機ではなく茶色の電気機関車に変わっていてビックリしたのが強烈な印象で残っています。機関車が窓から見えたのが「庭坂大カーブ」で見えた機関車が「EF16」であったのを知ったのはだいぶ過ぎてからの事です。
1961年に福島第一・第二機関区は再び統合され、福島機関区になりました。私が山形に行った1965年(昭和40)の配置機関車は、EF16-12機、EF64-2機、ED71-55機、ED75-5機、8620-3機、C12-2機、C11-1機、D50-1機で、総勢81機を要する大機関区になっていました。
上記のように1964年(昭和39)末にEF64の投入が始まり、1965年(昭和40)10月に12機揃い、それに伴いEF16は全機が板谷峠を退役、全機が長岡第二機関区へ転出しました。
私が乗車したのは同年の7月でしたので、EF16退役の2か月ほど前であった事は今回調べて分かった事実です。
今回のCRWでの“EF16直流電気機関車牽引普通列車”は私が乗車した1965年(昭和40)当時を再現しています。ただCRWに8620形やD50蒸機の所属はないので、1961年当時は福島機関区に14機配属のあったD51形の代走としました。
1、花見山麓S字を行くEF16牽引普通列車60系客車5B。
中川信号所で蒸機からEF16にバトンタッチします。
2、庭坂大カーブの勾配を登るEF16牽引普通列車。
この景色、私が「いつの間にか茶色の電気機関車に変わっている!」ってビックリした場面です。
3、私が電気機関車の牽引を知った様子を確認した写真は?
とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より 写真 鈴木靖人
この写真を見た時、「あ!私が茶色の機関車を見た光景!」って大感激でした。
初めて山形へ行った時の光景、脳裏にははっきり残っているのですが、当時はカメラなどなく、写真はありません。ですのでその他の写真もとれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より数枚紹介いたします。(37年前の雑誌ですが、著作権上問題があれば削除いたします)
4、峠駅で交換するEF16。重連の貨物列車と単機の普通列車。
とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より 写真 中島正樹
1965年(昭和40)1月の光景。下り421レが峠駅を推進運転で発車。「峠の力餅」の売子さんもお見送り。上り線には470レEF16重連貨物が停車中。
5、峠駅のスノーシェッドへ入ろうとする428レEF16牽引普通列車。
とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より 写真 鈴木靖人
1962年(昭和37)2月。EF1611牽引428レ。機関車の次位に暖房車が連結されています。
※EF16牽引普通列車板谷峠を行く動画です。福島駅から中川信号所まではD51の代走です。
1965年(昭和40)のイメージなので、中川信号所脇の福島機関区にはEF16だけでなくEF64、ED71等も集合しています。 6’13”
次回は“EF16形直流電気機関車重連牽引貨物列車”の予定です。よろしくお願いいたします。