別府鉄道-17(別府鉄道 キハ101) | ブログ 鉄ビタ京都

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別府鉄道-17(別府鉄道 キハ101)

 

緊急事態宣言の特別警戒が、昨日解除された京都ですが、今日もステイホームで古いフィルムを眺めて過ごしています。勤務先での新型コロナ対策は、5月末までは一切変更すること無く(緩めることなく)継続を決定。今後の状況を見て方針を固めることとなりました。6月も個人的には嫌いなマスクを恒久的に継続するのでしょうが、致し方ありませんね。

 

さて。昭和58年だと思いますが、山陽電鉄別府駅のホームから眺めていた画像。モクモクと揚がる工場の煙突が別府港らしい風景です。DD502が貨物の入替作業を行っていました。

 

野口駅から戻るキハ101. 今見ると危なっかしい風景ですね。でも普段着の風景でした。

 

折り返し野口駅へ向かうキハ101. 遊んでいるのは小学生でしょうね。シッカリ目先は安全確認の様子です。ふざけていても、互いに安全確認と安全運行を自然にしていた立派な小学生達です。その小学生達も今は40歳を過ぎているんですから時は流れましたね。当時を覚えているのかな。

 

8時台の野口行きだったでしょうか。パチンコ店の横が警報機も遮断器も無い第四踏切だなんて。ねぇ~スゴイ時代でした。遠くに別府鉄道所有の有蓋車【ワ】、【ト】が見えますね。

 

時間は午前8時過ぎ。土山駅へ向け出発する?DB201が見えます。貨車ゼロだったのかな?それともまだ入替中だったのかな?思い出せませんね。

 

早朝から訪問させて頂いた別府鉄道様でした。

宿泊先は京都から自動車で出発し、別府鉄道をかなり過ぎた姫路手柄山にあった、ユースホステルだったかな?当時はユースが手柄山にありました。安価で慣れれば快適な宿泊施設でした。が、夕食後の宿泊利用する人々が集う、懇話会?が当時苦手でした。今なら真っ先に待っていると思うのですが(笑)

 

時間がユックリ流れていた時代であった様な気がします。

それに比べると今の日本は、モノ的には裕福にはなりましたが、なんか心に余裕や寛大さが乏しくなった様に感じてしまうのは、わたしだけなのでしょうかね。もっと明るく楽しく、そして互いに助け合ってやりましょうや。