西武の青い電機(前篇) | 書斎の汽車・電車

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 こんなタイトルを付けてしまうと、何だか後藤文男氏の名著『西武の赤い電機』(平成13年・交友社発売)に正面からケンカを売っているみたいになってしまいますが、けしてそのような意図はありません。ただ、昭和20~30年代の西武鉄道の電気機関車の変遷について、前記後藤氏の著作のほか、杉田肇氏の「西武鉄道の電気機関車」(『鉄道ピクトリアル』560号)、吉川文夫氏の「西武鉄道の電気・蓄電池機関車」(『鉄道ピクトリアル』230号)、今城光英氏、酒井英夫氏、加藤新一氏による「私鉄車両めぐり・西武鉄道(3)」(『鉄道ピクトリアル』233号)といった諸先輩方の研究や、『運輸省文書』を参考に、自分なりの「覚え書き」を作ってみようというわけです。

 なぜそんな試みをしたかといえば、最近西武の貨車の模型が増えてきまして、その中にはかなり古い時代のものもあります。手持ちの「赤い電機」では年代的に合わない車輛もあり、将来の模型増備計画のためにも、ここはひとつ少し古い時代の西武の電機についてまとめておこうと思った次第です。

 タイトルの「青い電機」は、今回取り扱う時期の西武電機が、青く塗られていた期間が長いことによります。また、記述はよくある形式別ではなく、年表風としてみました。

 

○昭和20(1945)年

 この年の9月、武蔵野鉄道と(旧)西武鉄道が合併した時点で在籍していた電気機関車は、いずれも武蔵野鉄道出身のデキカ10形11~13と、デキカ20形21・22の5輛でした。合併を機に11形11~13、21形21・22と改番されたといわれますが、その時期ははっきりしません。合併に伴う改番は一度に行われたわけではなく、貨車は昭和22年11月、電車・気動車が昭和23年6月となっていますが、電機については手持ちの資料には日付の記載はありませんでした。11形はボールドウィン+ウエスチングハウス、21形は川崎造船所製国産機です。

 

○昭和22(1947)年

 31形31~33が新製されました。(竣工届は10月11日付)東芝製戦時形40t機ですが、前記「私鉄車両めぐり」によれば、武蔵野鉄道と東芝の間で売買契約の不履行をめぐる裁判があり、西武鉄道が勝訴して得た機関車とのことです。

 また、正式な認可は翌年1月ですが、国鉄からED22 1を購入しています。旧信濃鉄道(大糸線)の凸形機で、ボールドウィン+ウエスチングハウス製のアメロコといいますから、11形の姉妹機といえます。(ただしボンネットの位置等異なる)西武では1形1号機となりました。

 

○昭和23(1948)年

 51形51が入線しました。東芝製戦時形ですが、31形より小さい35t機で、昭和23年3月製です。新宿線系で入換用として使用されました。この機関車には同型機が存在し、そちらも昭和23年3月東芝製とする資料もありますが、こちらはどうやら後年所沢車両工場で製造されたようです。

 一方、この年1月に正式に認可されたばかりの1形1ですが、早くも10月には傍系の近江鉄道に貸し出されました。(「車輛貸渡届」は11月8日付)

 

○昭和24(1949)年

 国鉄1012(旧青梅電気鉄道・現在の青梅線)が入線、41形42となりました。イングリッシュエレクトリック製の箱型機です。(認可は4月26日付)41号機が欠番になっているみたいですが、実は同型の国鉄1011(青梅電気鉄道)についても、この年の1月14日付認可で借入ていました。

 借入機といえば、5月18日付認可で国鉄ED17 22も借り入れています。軌条負担の関係から小川~本川越限定での使用となりました。やはり旧川越鉄道区間は、国鉄線並の立派な線路だったようです。それにしてもED17の私鉄での使用は珍しいといえます。

 一方で西武を去る機関車もいるわけで、前年近江鉄道に貸し出された1形1は、10月12日認可で正式に近江鉄道に譲渡され、同社のED1となりました。また、31形32・33も傍系の駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)に貸し出されました。

 

○昭和25(1950)年

 前年から借り入れ中の1011号機が正式に西武に譲渡され、41形41となりました。(7月25日認可)

 また、国鉄ED12形2輛が51形51・52として入線しました。(5月22日認可)こちらはスイスのブラウンボベリ製で、そのスタイルから今も人気の機関車ですが、西武への譲渡に際しては大宮工場にて各部改造されています。この2輛は、前年借り入れたED17が国鉄側の都合で昭和24年12月12日以降借入できないことになり、代替機を求めていた西武にあてがわれたようです。公文書には「進駐軍輸送に支障を来たす」といった文言があり、「進駐軍」を「殺し文句」にするあたり、時代を感じさせます。

 この51形の入線を機に、東芝製凸形機の51形51は、1形1(2代目)に改番されました。また、この頃に国鉄ED21 1(旧富士身延鉄道・現在の身延線)を借り入れています。この機関車、昭和27年4月撮影の写真が残されており、その頃までは西武線に居たようですが、西武では唯一の日立製電機です。

 

○昭和27(1952)年

 駿豆鉄道貸出中の31形33が、正式に譲渡されました。(3月)

 一方、国鉄からED36 1を借り入れています。41形と同型の旧青梅電気鉄道の機関車ですが、国鉄にとどまったことから国鉄機らしい番号を得ました。この年の9月20日に本川越で撮影された写真が残されています。

 

○昭和28(1953)年

 駿豆鉄道貸出中の31形32が、正式に譲渡されました。(7月)

 この年後半には、ED36 2も借り入れています。ED36は後に正式に西武の電機になることから、このまま西武線に居座っていたのかと思いましたが、昭和30年2月にはED36 2が西武線内にいたことが確認できますが、同機は昭和32年12月には南武線西国立駅で撮影されており、一旦は国鉄に返還されていたことがわかります。

 

○昭和29(1954)年

 多摩川線貨物列車電化に備えた入線試験のため、国鉄からED22 2を借り入れています。この機関車、先に紹介した1形1(初代)と同型機ですがあくまでも一時的な借入機でした。

 

 ということで今回はこれにておしまい。次回は昭和30年代篇となります。