本日は、
「#家で過ごそう」CRW撮影シリーズ 板谷峠の歴史02
“E10形蒸気機関車牽引普通列車”
です。
4110形蒸気機関車は長年の使用で老朽化が進み、戦争中の酷使や戦後の燃料事情悪化から、牽引力や輸送需要の増大に応えることが難しくなり、新たなE型タンク機関車が計画されました。
そこで登場したのが、軸配置1E2の軸配置にD52と比べ長さは短いものの同じ太さのボイラーを装備した大型のタンク機関車「E10」で、1948年(昭和23)に誕生しました。
しかし、当時の奥羽本線板谷峠ではGHQの指示で一時中断を余儀なくされたものの、直流電化が進められており、電化までの繋ぎとして5両のみの増備で終了しました。翌年の1949年(昭和24)には板谷峠の直流電化も完成し、1年余りで板谷峠から引退しました。その後肥薩線矢立峠に転属も大型すぎて不適とされ、北陸線倶利伽羅峠へ。倶利伽羅峠が新線に替わると北陸線の交直セクション専用機関としてが最後となり引退。14年余りで廃車・廃形式と不遇な一生を終える蒸機となりました。
1、E10 3が牽引咲花駅(福島駅)に停車中の普通列車。
E10は設計段階から“逆行定位(バック運転)”で運転台も後ろ向きに設置されていました。
CRWには、E101とE103の2両のE10が在籍しておりますが、E103は前方の連結器がダミーで連結不可、E101はカプラーが不調ですぐに連結開放してしまうというアクシデント。結局4110の時のように順行での運行にならざるをえませんでした。
2、赤岩駅に停車中の順行定位のCRWのE10です。
実機も金沢機関区に転属の際、ボイラー側が前に改造されました。
3、板谷駅に停車中のE101牽引普通列車。
60系客車5両を連結したE10形蒸機牽引普通列車です。
4、CRW定番撮影地・花見山麓S字を行くE103普通列車。
バック運転の写真を撮りましたが、このE103ではバックでの牽引は不可です。
実際のE10写真は、もちろん手元にはありませんが、雑誌などに載った写真も本当に少ないです。
少数ですが『とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’』に掲載された写真を紹介致します。
(※1983年と37年前の雑誌ですが、著作権上問題があったら削除させていただきます)
5、E10性能試験・米沢駅 1948年(昭和23)。
とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より 写真 高田隆雄
6、峠駅に停車中のE10試運転列車 1948年(昭和23)。
とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より 写真 高田隆雄
7、E10-1、汽車製造株式会車会社竣工写真より
とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より 逆行定位なのでこちら側運転席の公式側になります。
※E101牽引、福島→米沢の動画です
次回は、直流電化後の『EF16形電気機関車牽引普通列車』です。
よろしくお願いいたします。