我が家の田植えもすべて終了して、1週間ぶりの更新になります。
新型コロナも徐々に沈静化に向かっていますが、まだまだ油断は禁物です。
本日も
「#家で過ごそう」【鉄道模型】CRW撮影シリーズです。
田植えのためにブログを休んでいる合間を縫って、CRWで
「奥羽本線・板谷峠の歴史」
を制作していました。
板谷峠は、平均33‰が連続する、日本有数の急勾配区間です。
それゆえに昔からいろいろ特殊な機関車によって山を越えてきました。
その歴史を振り返る企画です。
その第1回目は
「4110形蒸気機関車牽引普通列車」
です。
1、CRW咲花駅(福島駅)に停車中の4110形蒸気機関車牽引普通列車。
4110形“4122”が戦前型のダブルルーフ客車オハニ30+オハ31形4両を牽引します。
2、4110形は「逆行定位(バック運転)」を基本としていましたがCRWでは巡行定位です。
動画撮影に当たり、前方の連結器(アーノルドカプラー)が不具合で連結がすぐに開放してしまうので巡行での運行を余儀なくされました。
3、本来の4122はこんな感じで連結されていたのですが…。
CRW「咲花駅」は今回の動画撮影に当たり、「福島駅」「米沢駅」として撮影しました。
4、CRW撮影の名所「花見山麓S字」です。
いつも「桜咲く花見山」の麓をぐるっと回る「4110形4122蒸気機関車牽引普通列車」です。
5、板谷のスイッチバックを表現するため「咲花機関区」を「赤岩駅」に見立てました。
実際の「赤岩駅」は駅舎やホームがある手前を本線が登ってきますが、CRWでは構造上逆に奥側を本線が通る構造になっています。ご了承下さい。
実際の4110の写真を紹介します。戦前なのでもちろん現物の写真はありませんので、
1983年に購入しました、
『とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’』より紹介させていただきます。
(※37年前の雑誌ですが、著作権上問題がありましたら削除いたします)
4110形蒸気機関車は1914年(大正3)にドイツから輸入された4100形の機構を元に日本で設計・製造された国産蒸気機関車です。軸配置「0E0」の動輪5軸の強力型蒸機で、急勾配区間の奥羽本線・板谷峠超えや鹿児島本線(現・肥薩線)矢立峠越えに使用されました。
板谷峠の4110は直流電化が完成した1949年(昭和24)まで活躍しました。
6、庭坂機関区の4122。機関庫の中には巡行位置の4110の姿も。
巡行側のナンバープレートは特徴的な丸形でした。 写真 西尾克三郎
とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より
7、板谷駅を推進運転で出発する4110形4123牽引、福島行き普通列車
板谷駅は奥に見えるスノーシェッドの先の突っ込み線でもう一度スイッチバックして下って行きます。
その構造は、山形新幹線開通前まで続きました。 写真 西尾克三郎
とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より
8、庭坂駅を発車する4110形4146牽引4両、普通列車。
機関車の次位はオハ31と同型の客車に見えます。 写真 西尾克三郎
とれいん増刊・グラフ板谷峠‘83’より
ブログ記事を作成して気付いたのですが、荷物車は福島方に連結されていたようです。CRWでは米沢方に連結してあります。ご了承ください。
※CRWを運行する4110形の動画です。 4’19”
【鉄道模型】板谷峠の歴史01“4110形蒸気機関車”は以上です。
次回は“E10型蒸気機関車”の予定です。よろしくお願いいたします。