二俣尾 軍畑 (青梅線) | 国立公園鉄道の探索 ~記憶に残る景勝区間~

国立公園鉄道の探索 ~記憶に残る景勝区間~

国立公園内を走る鉄道の紹介と風景の発見
車窓から眺めて「これはいい」と感じた風景の散策記

[ 国立公園鉄道の探索 ]

二俣尾 軍畑 (青梅線 )

( 秩父多摩甲斐国立公園)

 

 

 

「秩父多摩甲斐国立公園」は、都心近郊へ向かって、その指定区域を広げています。

青梅線(立川~奥多摩間 37.2km )は、二俣尾~軍畑間の 平溝川(多摩川の支流)にかかる橋を越えると「秩父多摩甲斐国立公園」の指定区域内に入ります。

 

 

 

青梅線の青梅~奥多摩間は、多摩川渓谷沿いを走る区間が多くなります。使用されている電車は、首都圏の通勤電車でおなじみのE233系電車が走っています。

折角国立公園内を走るのだから、座席に一工夫あつてもよいように思われますが。

走行中、時折木の枝が擦り付けられる音が聞こえることもあります。

 

 

 

青梅線の前身、青梅鉄道(青梅電気鉄道)は、1920(大正9)年、この二俣尾駅まで延伸しました。その時は、石灰石採掘場から石灰石を運び出すことが、主にこの鉄道に課せられた役割でした。

因みに、「二俣尾」とは、二俣の尾根筋がここで途切れ、その尾にあたる地勢から名付けられた、という説があります。

 

 

2009年、世の耳目を驚かせた村上春樹著「1Q84」にこの「二俣尾駅」が登場しました。

「1Q84」の作中で、やがてベストセラー小説となる「空気さなぎ」を発案した美少女・「ふかえり」は、彼女の物語を完全な作品に仕上げようと試みる「天悟青年」を、彼女の保護者である文化人類学者の「戎野先生」に引き合わせようとします。

対面する場として設定れた、山中の静かな日本家屋がある場所として、この地が選ばれました。

「応接室の窓からは山の連なりがパノラマとなって見えた。陽光を反射しながら蛇行する川も目にできた」

(1Q84 本文209P より引用 新潮社 2009年 )

この描写は「秩父多摩甲斐国立公園」内の展望だと思われます。

村上春樹氏は、近代国家が辿ってきた、戦争や経済発展の中で、組織化された集団システム思考に隷属された人間と、自由で孤独な個人の軋轢の問題を作品の中に織り込んでいます。

静寂で人里離れた日本家屋から見下ろされた多摩川渓谷地帯も、国家の近代化の流れの中で幾度も変貌を迫られてきた地域です。

 

因みに、この「二俣尾駅」が登場する第10章には、「・・・進むにつれて武蔵野の平坦な風景が、山の目立つ風景へ変化していった。東青梅駅から先は線路が単線になった。そこで四両連結の電車に乗り換えると、まわりの山はまた少しずつ存在感を増していった。・・・」  ( 前出 207P )

という描写もあります。

これは、まさに、「秩父多摩甲斐国立公園」が大都市近郊と接するあたりを走る青梅線車窓の特徴をよくとらえた表現だと思います。

「村上春樹」という世界的作家も、「鉄道車窓ファン」の一面もある、と感じさせられます。

 

 

 

二俣尾で降りて、軍畑まで歩いてみることにしました。途中、多摩川の清らかな流れが望まれました。

 

 

平溝川にかかる「奥沢橋梁 (軍畑鉄橋)」の渡り際までやってきました。

 

 

この橋を渡ると国立公園内に入ります。遠くの、頂上が尖がって見える山は「御岳山 (奥の院 1077m) 」です。

1929(昭和4)年に、御岳山の登山口である「御嶽駅」まで青梅鉄道は延伸します。それまで、石灰石運搬鉄道の性格が強かったのですが、御嶽駅開業により、登山客の移動手段の役割を担うことになります。都市中間層誕生により、大衆登山や行楽が一般化して、多摩川渓谷へ出かける人も多くなっていく時代、青梅電気鉄道と社名を変更した青梅鉄道は、国立公園誘致にも動き、鉄道会社のイメージも変わっていくことになります。

 

 

 

 

電車で、軍畑鉄橋を通過する際には、先頭から「御岳山」を眺めることもできます。これから、国立公園内に入る、という感覚になります。

 

 

 

 

 

さて、「軍畑鉄橋」の上を歩いて渡ることは禁止されていますので、一旦平溝川の谷へ降ります。

ここからは奥沢橋梁(軍畑鉄橋)の姿を望むことが出来ます。

 

 

 

 

トレッスル橋なんですね。

 

 

普段は、何気なく、周りの風景を眺めながら通過していましたが、あらためてこの橋を眺めてみますと、凄いところを通っていたんだな、と感じます。

 

 

多摩川方面から、北側(成木方面)を眺めてみました。

 

 

青梅市の文化遺産であるとともに、国立公園へのゲートブリッジでもあります。

 

 

延長106m 高さ25m  とのことですが、下から見上げますと、数字以上に大きい、と感じられます。

 

 

 

平溝川が刻んだ軍畑側の斜面を登り、青梅線の踏切を渡り、そこから橋を眺めてみました。

 

 

軍畑駅は、先ほどの踏切からすぐのところにありました。

 

 

あたりは、国立公園指定区域になりますが、一番規制の弱い「普通地域」の扱いですので、普通に民家も見られます。

古風な屋根の家もあります。

 

 

 

 

山歩きのコースも沢山ありそうです。

 

 

奥多摩行の電車が軍畑駅のホームに入ってきました。

 

 

そういえば、青梅線へ乗り換えた拝島駅では、富士山が望まれました。多摩川渓谷へのエントリー駅では、遠望がききます。