京急のエアポート急行登場から10年!導入当時を写真で振り返る

神奈川新町駅で快特待避中の2021編成エアポート急行羽田空港行き(2010/5/27)

神奈川新町駅快特待避中の2021編成エアポート急行羽田空港行き(2010/5/27)
現在は引退している2000形8両編成はエアポート急行によく使われていた

ちょうど10年前の2010年5月16日(日)、京浜急行に新種別「エアポート急行」が誕生した。1999年以前に走っていた「急行」とは停車駅・運行形態などが異なっており、その種別名からしても「羽田空港と沿線を結ぶ」役割を与えられつつ、停車駅の多さもあり地域輸送の側面も受け持つ。

本記事では、そんな京急エアポート急行が走り始めた2010年頃の写真を元に、導入当時やその後しばらくの様子などを振り返ってみたい。(なお、エアポート急行羽田空港から品川・都営線方面、横浜方面の2系統が運転されているが、この記事ではどちらかというと横浜方面のエアポート急行の話が多いのでご留意いただきたい。)

直前の発表となったダイヤ改正・新種別誕生

京急川崎駅に掲示されたエアポート急行設定のお知らせ(2010/5/8)

京急川崎駅掲示されたエアポート急行設定のお知らせ(2010/5/8)

2010年5月16日(日)というのは、京急蒲田駅及び周辺駅の一部(上り線)高架化予定日であった。京急蒲田駅において、それまで空港線方面の列車は地上1番線しか使えなかったのが、(本線での方面別に)上下2線使える構造になり、制約はあるが上下線当時発着などができるようになった。当然、これに合わせてダイヤ改正が行われるものと考えられていたが、その正式発表はわずか9日前の2010年5月7日(金)であった。

ダイヤ改正の内容としては、「エアポート快特」の京急蒲田通過化(後に半数以上は快特化して停車)も社会問題レベルとなったが、それ以外にも一際目を引いたのが新種別「エアポート急行」の設定である。空港線内や京急蒲田以北はそれまでの「急行」と特に変わらないが、京急蒲田以南では1999年のダイヤ改正で一度消滅していた「急行」が、停車駅の見直しと共に事実上復活するような形となったのである。また、羽田空港と横浜方面を結ぶ主要な空港輸送列車が、それまでの「羽田空港-京急川崎特急京急川崎-金沢文庫快特併結・主に新逗子浦賀まで普通として運転」という形態の4両編成から、8両編成の新しい1本の種別に切り替わることも意味していた。

仲木戸駅(当時)に掲示されていたエアポート急行新設・当駅停車のお知らせ(2010/5/8)

仲木戸駅(当時)に掲示されていたエアポート急行新設・当駅停車のお知らせ(2010/5/8)

プレスリリース翌日、京急線各駅には新しい駅時刻表や即席で作られた各種案内が掲示されることになった。駅によっては(特にエアポート急行停車駅)、エアポート急行の新設が強調された。

旧「急行」が停車しなかったが「エアポート急行」は停車することになった駅の一つ、それが仲木戸駅である。つい先日「京急東神奈川」と駅名が改称されたことからも分かるように、JR東神奈川駅が至近距離にあるため、乗り換えの利便性(横浜線方面と羽田空港、など)を考慮して停車駅に設定されたと言われている。

導入当時は原則8両編成

導入当初はよくみられた2000形エアポート急行の並び(2011/1/13@仲木戸)

導入当初はよくみられた2000形エアポート急行の並び(2011/1/13@仲木戸)

以前の急行は、都営浅草線直通列車・他社線の車両の場合には8両編成が充当されていたが、特に京急川崎以南のみで走る列車については800形など6両編成が走ることが多かった。しかし2010年に導入された「エアポート急行」は、一部を除き原則として8両編成での運転となった。これにより、快特や特急が通過しているがエアポート急行が停車する駅において、8両編成の停車が珍しくない状態となった。

なお2012年10月以降は、エアポート急行の増発(普通列車の減便、また6両編成の車両置き換え)と共に6両編成もよく充当されるようになった。

ホーム延伸工事を行なった仲木戸駅杉田駅

ホーム延伸部分解禁直前の仲木戸駅(2010/5/8)
ホーム延伸部分解禁直前の杉田駅(2010/5/15)
ホーム延伸部分解禁直前の仲木戸駅(2010/5/8)・杉田駅(2010/5/15)

ところで先述の仲木戸駅、そして同じくJRの駅が徒歩圏内にあり急行時代は(井土ヶ谷・弘明寺・能見台のように一部時間帯で停車することもなく)完全に通過・エアポート急行は停車となった杉田駅は、元々6両編成までの停車しか対応していなかった。このダイヤ改正で8両編成が初めて停車することになったため、事前にホーム延伸工事が行われていた。この工事は、ダイヤ実施9日前のプレスリリース発表時には当然完成間近であり、この工事が行われていた頃から京急ダイヤ改正に対して様々な憶測がなされていたように思う。

誕生当時は、横浜方面・都営方面が交互に20分毎ずつの設定

2010年5月のダイヤ改正当初は、横浜方面のエアポート急行は日中20分毎の設定であった。羽田空港から品川・都営線方面の直通列車がエアポート快特エアポート急行それぞれ20分毎に設定されていた他、京急川崎-金沢文庫間では20分に「快特2・エアポート急行1・普通3」というダイヤ構成となった。

同じく日中の横浜方面について、99年ダイヤでは20分に「快特2・普通4」、2012年10月以降現在も適用されているダイヤでは20分に「快特2・エアポート急行2・普通2」というパターンダイヤである。2010年のエアポート急行誕生時ダイヤは、まさに過渡期のダイヤであったというのが様々な面で見て取れる。

エアポート急行導入当初の糀谷駅土休日時刻表(2010/5/9)

エアポート急行導入当初の糀谷駅土休日時刻表(2010/5/9)

空港線内の途中駅(快特通過駅)では、品川方面と横浜方面のエアポート急行が交互に停車していた。運転間隔をを許容すれば品川方面へも横浜方面へも直通で行くことができた、とも言える。

なお現在、日中の停車はすべて横浜方面のエアポート急行となっており、品川方面に出る際には京急蒲田にて階移動を伴う乗り換えが必要となっている。

横浜駅上りホームのエアポート急行到着数分前の発車標(2010/5/26)

横浜駅上りホームのエアポート急行到着数分前の発車標(2010/5/26)
特に注記はないが、エアポート急行神奈川新町駅での快特通過待ちが示唆されている。

エアポート急行20分毎ダイヤにおいて、ダイヤが複雑にならざるを得なかったことなどにより、エアポート急行快特を待避する駅は上下線で違っていた。下りは「京急川崎・上大岡」の計2回、上りは「神奈川新町」での通過待避であった。横浜方面の羽田空港直通列車が設定されたとはいえ、当初は上下線ともにエアポート急行は横浜-羽田空港間で先着する列車はほとんどなく、快特に追い抜かれていたのである。所要時間の問題と、またエアポート急行の乗車率が空いている分にはそこまで問題とならない一方、特に下りで接続する快特(あくまで8両、しかもA快特2100形2ドア車)が混雑しやすいという課題はしばらく残されていた。

なおエアポート急行が10分毎ダイヤとなった現在は、上大岡での快特待避とした上でダイヤの細部も調整することで、エアポート急行は上下線共に羽田空港京急蒲田京急川崎-横浜・上大岡間において先着する列車となった。快特の補完としての機能も多少は合わせ持つようになったといえる。

エアポート急行導入当初の新逗子駅時刻表(2010/5/18)

エアポート急行導入当初の新逗子駅時刻表(2010/5/18)

新逗子駅(現:逗子・葉山駅)では、エアポート急行と普通が交互に発車するような形となっていた。そのため例えば、横浜駅に出るのにエアポート急行だと直通が最速・普通列車では途中で快特に乗り換えが最速というようなダイヤ構造となっていた。

震災直後の節電ダイヤとエアポート急行

4両編成で運転た1429編成エアポート急行新逗子行き(2011/9/12@京急川崎)

4両編成で運転た1429編成エアポート急行新逗子行き(2011/9/12@京急川崎)

2011年3月に発生した東日本大震災に伴う電力供給量低下により、京急でもしばらく運転本数などの削減が行われていた。夏季の電力需要が多い時期において、平日日中のエアポート急行の一部が8両編成から4両編成に短縮されていた。間をとって6両編成などということにはなっておらず、なかなか大胆な施作だったように思う。

その後、9月23日のダイヤ改正で編成短縮は終了した。またこのとき20分に「快特2・エアポート急行1・普通2」のダイヤになっており、京急川崎-金沢文庫間で普通列車が減便となった分エアポート急行が速度向上できることから、下りの快特待避駅が京急川崎のみ(上大岡での待避無し)となった。ちなみに、このとき普通列車の日中の南太田待避が一旦解消されるが、2012年10月の改正で逆に快特エアポート急行の2本連続待避が常態化している。

エアポート急行・空港輸送の発展は、京急蒲田駅付近の高架化と合わせて

高架化前の糀谷駅
2100形「急行」品川行き
高架化前の糀谷駅と、2100形「急行」品川行き(2010/5/9)

そもそも、なぜスイッチバックが必要な羽田空港から横浜方面への直通列車を高頻度で設定することができ、また羽田空港と都心方面を結ぶ列車の高速化を達成し得たのか。それを目的にしたのが「京急蒲田駅付近の高架化」に他ならない。繰り返しになるが、元々京急蒲田駅から空港線方面へは単線1線しか繋がっておらず、上下線合わせてせいぜい20分に6本(各方面に3本ずつ)程度しか走らせることができなかった。それが高架化の完成によって、京急蒲田-糀谷間が「単線×2」という状態ではあるが京急蒲田から空港線への上下同時侵入は可能となり、空港線方面の列車も20分に8本(各方面4本ずつ)は設定できるようになった。

京急蒲田駅に掲示されている、羽田空港方面行き列車の発車案内(2016/8/6)

京急蒲田駅掲示されている、羽田空港方面行き列車の発車案内(2016/8/6)

京急蒲田駅羽田空港方面の列車が2階からも3階からも出発する」「羽田空港からとりあえず先行列車に乗ると、京急蒲田駅で2階(上り)に着くことも3階(下り)に着くこともある(何なら通過してしまう列車もある)」など、若干利用難易度の高い構造にはなっているが、ともあれ京急は、羽田空港と都心方面・横浜方面の両方をなるべく高頻度で結ぶという目的を達成したのである。

横浜方面のエアポート急行という視点で言えば、2010年5月の上り線高架化で20分毎、2012年10月の高架化完成で10分毎で運転されるようになった。また都心方面は、高架化完成で空港線途中駅を横浜方面のエアポート急行に委ねられるようになったことから快特を中心に設定できるようになり、平均所要時間の短縮を実現できた。

羽田空港国内線ターミナル駅(※当時)からは都心方面・横浜方面の列車が交互に発車(2020/1/25)

羽田空港国内線ターミナル駅(※当時)からは都心方面・横浜方面の列車が交互に発車(2020/1/25)

まとめ

以上、京急の「エアポート急行」という種別について、主に2010年の導入当時やその後のことを振り返りながら色々と語ってみた。

エアポート急行、あるいはそれが組み込まれたダイヤの利便性は、正直なところ駅によって格差が大きいと言える。とはいえ、京急蒲田高架化以前ではなし得なかったいくつかの移動・直通利用が実現したのもまた事実ではある。今後も、京急のダイヤにおいて影の主役である「エアポート急行」に注目していきたい。