筑波鉄道の真鍋機関区で撮影 宇都宮~岩瀬~土浦の計画もあった過去・・・ | 架空鉄道 もしも宇都宮石材軌道の歴史が変わっていたら・・のブログ

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明治時代後期~昭和初期に実在した軌道が、もし歴史が・・・と想像する架空鉄道を想像しながら楽しむ鉄道趣味

昭和60年EXPO85つくば万博を父の車で家族皆で見学に出かける前日、私だけ岩瀬駅で降ろしてもらい筑波鉄道線に乗車しました。

乗った車両は元、国鉄キハ10形(キハ10 47)昭和31年製で昭和54年に筑波鉄道へ来た車両に乗車し南下。

終点の一つ手前の新土浦で下車し隣接する真鍋機関区(真鍋信号所)へ。中央奥の3階建て建物は関東鉄道本社で令和の現在も存在しています。

キハ541 北陸鉄道能登線廃止後、昭和47年に譲渡された車両

キクハ11 昭和32年製。常総線より昭和53年に筑波線へ異動

キハ461 昭和9年製 国鉄キハ04形で遠州鉄道→北陸鉄道→昭和42年に筑波へ 撮影時は休車状態でしたが、

現在は大宮の鉄道博物館に展示されている貴重な車両。 

キハ820形とキハ810形 岩瀬から乗った車両が夕方の多客時間帯?に備えてか810形を連結して2連で来ました。

810形は雄別鉄道より昭和45年に筑波へ来た車両です。

撮影後、再び乗車し土浦駅へ。路線バスで筑波大学近くの家族が宿泊している施設へ行き合流し、翌日つくば万博へ行きました・・・。

 

筑波鉄道は大正7年に土浦~岩瀬が開通しました。

開業後、栃木県内では宇都宮~益子~岩瀬や宇都宮~真岡~岩瀬などの誘致運動が起きました。

筑波鉄道は大正15年に延長線として蒸気運転による岩瀬~大泉~田野~山前~真岡~下籠谷~平松~宇都宮で申請した。

更に岩瀬~真岡、真岡~宇都宮の順に電車運転で建設し岩瀬~土浦も電化を昭和7年までに行う計画変更したが、関東大震災と昭和4年の世界恐慌の不況により延伸計画は頓挫した。

架空鉄道ゆたかの線は、この計画上の真岡~宇都宮の計画路線が似たような経路で実現していますので筑波鉄道の計画は真岡までか?または芳賀鉄道が宇都宮~清原~益子で敷設した想定なので 岩瀬~益子の計画かも しれません。

但し、空想上でも 延伸計画は中止されたとします。

 

架空鉄道ゆたかの線は、新石下~石岡~水戸(小鶴)の敷設申請も筑波への参拝客や登山客を考慮し筑波鉄道への乗り換え駅を田土部に設けています。その後、筑波研究学園都市の計画に参入し豊里~大穂の間に分岐点を置き学園都市を南北へ貫き筑波駅へ至る路線を敷く想定です。

また筑波鉄道は系列会社としていたので廃線後の活用として、最初は筑波駅に廃車車両の展示施設、平成2年に筑波山口~真壁(10km)を保存鉄道として蒸気機関車や気動車の運転施設になり観光客の誘致へ・・・と空想中です。時代背景として平成初期のバブル景気、秩父鉄道のSL運行開始(1988年~)、JR西日本の山陰本線一部線路架け替えによる廃線を再利用した嵯峨野観光鉄道トロッコ列車運転の開始(1991年~)が登場しています。架空鉄道ゆたかの線は筑波山エリアの観光客誘致で真壁の歴史的な雰囲気ある街並み、雨引観音などと筑波山口~真壁の程よい距離を「筑波山麓線」として土日休日を主に運転している・・・・

 

筑波鉄道線は昭和62年(1987)3月、国鉄最後の日の同日に最終営業日となり廃線。路線の一部はサイクリングロードに整備されホーム遺構も残る「りんりんロード」として 懐かしむ 空想にふける場所となっています。