人吉鉄映会です。
コロナ対策もいよいよ次のステップに進もうとしてます。緊急事態宣言解除が経済の復旧や地域の活性化になるのか、はたまた第2波を引き起こすのか、それは我々の行動にかかっていますね。引き続き気を引き締めていきたいところです。
今回も肥薩線を駆け抜けた「急行えびの号」の活躍紹介の4回目となります。
時代は昭和60年台になり、人吉も高速道路の人吉ICが開通した時期になります。(開通当初は加久藤方向までは繋がっていませんでしたが)
即ち、人々の移動の手段が鉄道から自動車(自家用車・バスなど)へ転換していった過渡期に当たります。
えびの号は最盛期は10両編成だったのですが、この時期は基本3両編成までに減っていました。
えびの3号 5613D 熊本発宮崎行き
キハ58+キハ65+キハ58 (以後の写真も同編成です。前年のダイヤ改正でグリーン車(キロ28)運用は廃止されています。)
肥薩線 大畑-矢岳間 1985年(昭和60年)2月24日
えびの2号 5612D 宮崎発熊本行き ヘッドマークが復活
肥薩線 白石-吉尾間 1988年(昭和63年)4月9日
えびの1号 5611D 熊本発宮崎行き
通常編成にジョイフルトレイン「サウンド・エクスプレスひのくに」2両増結
(「サウンドエクスプレスひのくに」は懐かし写真⑬でご紹介してます)
肥薩線 人吉-大畑間 1988年(昭和63年)8月7日
えびの1号 5611D 熊本発宮崎行き
肥薩線 大畑ループ線1988年(昭和63年)10月24日
えびの2号 5612D 宮崎発熊本着
肥薩線 人吉-大畑間 1988年(昭和63年)10月24日
えびの1号 5611D 熊本発宮崎着
JR発足後でJRロゴ入り
肥薩線 人吉-大畑 1989年(平成元年)8月27日
今回はここまでです。以降は2両編成の青のシーガイア号での運行。そして廃止の憂き目に・・・。またご紹介します。
皆さんご自愛ください。