広島駅周辺の広電電車 2020-4 -③ | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

広島駅周辺の広電電車 2020-4 -③


4月5日に撮影した廃線決定区間の内、今回は猿猴橋町電停付近の写真をUPしました。

現代から見ると、線路がここを通っているために、八丁堀や紙屋町までの所要時間がムダにかかっているのですが。

広島駅が開業した1894(明治27)年には、駅前と広島市中心部を結ぶ橋は、江戸時代の国道にあたる西国街道の猿猴橋のみでした。



これは江戸時代に、現広島市中心部を流れる川を、外堀と見立てて広島城と城下町を建設したためで、1906(明治39)年になってやっと上流側に栄橋が架橋されました。

1912(大正1)年に路面電車が開業するにあたり、新開地となる稲荷町から広島駅へ向けて線路の敷設するよりも。

旧街道沿いの古い街であった愛宕や三本松、二葉から広島繁華街への導線として荒神町経由として建設されたため、駅前の橋は架けられず、鉄道橋として荒神橋が架けられました。



また、広島駅開業当時は山陽本線の終点でもあったので、留置線や修繕庫・工場・ヤードといった広大な鉄道町が造られ、そこに暮らす鉄道員と家族の足としても、使命を持つこととなりました。

線路は的場町から荒神橋を渡ると、広島駅へ向かって急カーブを曲がるので、電停は西国街道との交差点となる猿猴橋町へ造られました。

実際に西国街道は猿猴橋から、広島駅と鉄道基地の間で交差するので、その場所へ愛宕踏切が設置されて現在に至ります。



江戸時代から明治時代へと移り、広島城内へ陸軍鎮台が造られ、天皇陛下御座位所が設けられ、鉄道基地の町としても整備され、広島は時代の変革と共に大きく変わりました。

しかし今、その賑いは過去に消え去り、猿猴橋町を走る沿線は、人も車もまばらな長閑さの中にいます。

荒神橋は西区の上天満町交差点を起点として、途中に紙屋町交差点、稲荷町交差点を有して東区の府中大橋西詰交差点までを結ぶ、約5.9kmの広島市道の橋の1つで、この先には山陽本線を跨ぐ荒神陸橋があります。



広島駅前を平行に走る道路は、西区観音から横川駅前を通り広島駅前を抜けて、安芸郡海田町の大正交差点へ至る道路で。

この2本の道路は荒神橋と荒神陸橋の間で交差点となり、広島駅前では駅前大橋で繋がるので、交通量の多くは猿猴橋町電停があるこの道を通りません。

かつての鉄道町もなくなり、猿猴橋町電停を利用する乗客もほとんどなく、新たに稲荷町交差点から広島駅へと新線が敷設され、猿猴橋町を通る現在線が廃線となるのは。



時代と共にその役目を終えた、広島という都市の移り変わりの、その一片なのでしょう。

葦の生えた沼地だった古代から、戦国時代の覇者の1人となった毛利元就(もうりもとなり)公が広島へ築城したいと思い始めてから、広島という都市の歴史は始りました。

造られて貢献し、繁栄して衰退し、そして無くなって行く歴史の輪廻の中へ、開業以来この猿猴橋町を走る路面電車も、飲み込まれて行きます。



開業時の100型も150型も復元され、被爆した650型も保存されていますが、失われた型式の電車の方が遥かに多く。

軽快電車の3500型についても、現存しているのならドルトムント電車のような方法ではなく、何らかの形での保存方法を模索して欲しいものです。

広電から話しは逸れますが、閉園した加悦SL広場のキハユニ51も、運営者が車両の引き取り手を求めているのだから、もう少し市議会なり民間なりから、議論の声が上がっても良いような気がするのですけど。



元は芸備鉄道の車両で、国有化されて芸備線となってからも、広島のオリジナル形式車両として運行されていました。

広島市には広島市交通科学館(ヌマジ交通ミュージアム)なる施設があるのですが、京都にて現存の危機がある広島の文化財を保護できず、何の存在価値があるのか疑問です。

実際には、被爆建築物の保存は建造物としての老朽化が凄まじく、現役の橋梁だけでなく原爆ドームも含めて、莫大な予算が必要なのも事実で。



民間所有の被爆建物は、その維持管理に予算が立たずに、惜しまれながら解体された近年の件数を見ても、広島市単独では鉄道車両の保存はムリかも知れません。

が、他にもクラウドファンディングなど、打つ手はいろいろあるように思え、仮に実現できなかったとしても、もう少し声が上がっても良いように思えます。

と、話しは大きく逸れましたが、ラストの4枚は2009年に猿猴橋町で撮影した、2000型と3000型でした。

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愛犬の可愛いところ、教えて!

愛犬の日


11年の間に電停の停留所名標が、古来からの白色から、緑色に変わっています。

2000型も予備編成と称して1編成のみ、荒手車庫へ現存していましたが、昨年の8月に江波車庫へ移動回送されました。

広島電鉄は宇品線の終点・広島港から1.2km延伸し、その新しい終点の先に約2haの車庫を建設する予定です。


新車庫は延伸区間の終端一部を高架化の上、高潮被害を防ぐために2階建てとし、広電本社構内の千田車庫機能を、この新車庫へ移設します。

計画では稲荷町交差点から新広島駅ビルへの新線開業後、宇品線の延伸に取りかかる見込みですが、出島地区の区画工事は広島県と港湾が行うのて、意外と早く開業するかも知れません。

千田車庫の跡地は新規開発される予定ですが、江波車庫には2000型以外にも3500型や100型、150型などが保管されており、いつの日か広電の鉄道博物館のような形の物ができると、嬉しいですね。


さて、今日は愛犬の日。

昔・・・・20代の頃に犬がいましたけど、あの人懷っこいトコロや無邪気なトコロ、賢いんだけど変なトコがバカなトコロとか、愛おしいなぁと感じてました。

でも私自身は、ネコの方が好きなんですよね(笑)

115系の写真は2019年3月の撮影で、バックの荒手車庫にはGM、3100型、電柱に隠れていますが2000型で、ラストの写真は2018年10月に撮影した、まだ荒手車庫に保管されていた2000型です。

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