こんばんは
今回は、古いカードから中央線の201系の写真がたくさん出てきたので、201系の特集をやっていきます‼️
撮影場所は、はっきり分かるもののみ紹介していきますのでご了承下さい。
国分寺駅入線シーン
撮り鉄には、有名なハチトタのS字カーブ
豊田〜八王子間で撮影
豊田〜八王子間で撮影
立川駅入線も、今でも良く撮影に行く定番スポットです。
快速線を颯爽と走る姿
H4編成がさよなら運転した時は、特製のヘッドマークを付けて走っていました。
最後の2編成が、豊田車両センターの外から撮影しやすい所に置いてあったので、駅から歩いて見に行きました。
最後は、お気に入りの東京駅入線シーン‼️
やっぱこの姿が1番好きでした
201系は、祖父母の家に遊びに行く時に必ず乗っていたので思い出がたくさんあったので今でもまた乗りたいなって思うくらいです。
そんな201系を、今回まとめて見て改めて引退間際のいっときにいっぱい撮影したなって実感しました。
本当は、中央線から完全に卒業って言う日の写真も撮りに行ってるのでどこかにあると思うので、また載せられたらなって思います
さてと明日からゴールデンウィーク明けて本格的に仕事再開なのでそろそろ寝ます。
おやすみなさ〜〜い💤💤💤
ほんでもって今日は何の日⁉️
由来は⁉️
日頃の母の苦労を労り、母の恩に感謝する日。
1907(明治40)年のこの日、アメリカ・ウェストバージニア州で教師をしていたアンナ・ジャービスが、母親の3回忌にあたる5月8日に、友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案した。翌1908(明治41)年の5月10日、彼女が勤めていた学校に470人の生徒と母親達が集まり、最初の「母の日」を祝った。彼女は参加者全員に、彼女の母親が好きだった赤いカーネーションを手渡した。このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなった。1914(大正3)年に、「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められた。
日本では、戦前は皇后の誕生日である3月6日(地久節)に行われていたが、1949(昭和24)年ごろからアメリカの例に倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。