こちらは、一昨年4月8日に東武鉄道日光線の東武日光駅で撮影した、6050系の61102+6162Fによる新栃木行きの普通列車🚃で、下今市までそれに乗って行きました。

東武6050系🚃は、1986(昭和61)年10月9日の野岩鉄道会津鬼怒川線の開業に備えて導入された、トイレ🚻付きの2ドアセミクロスシート車であり、前年の1985(昭和60)年11月15日にデビューしていました。

東武6050系には、1985年から1986年に掛けて6000系(茶色のツートンカラーの2ドアセミクロスシート車だった車両)から車体載せ替え更新された編成(6151~6173Fの22本44両)と、1988(昭和63)年に導入された完全新造車(6173~6179Fの7本14両)に分けられており、東武鉄道によって導入され、野岩鉄道と会津鉄道に譲渡された編成(前者は100番台の3本、後者は200番台の1本)を合わせると、33本66両(うち、東武鉄道による所有編成は29本58両)導入されたことになっています。

野岩鉄道に譲渡された3本(100番台)は、1985年、1986年、1988年に1本ずつ完全新造車として導入された編成であり、1990(平成2)年10月12日の会津鉄道会津線の会津田島~会津高原(現、会津高原尾瀬口)間の電化の時にも、200番台(61201F)が完全新造車として導入された分が会津鉄道に唯一の電車として譲渡されていたので、1990年まで製造されていたことが分かります。

野岩鉄道と会津鉄道所有編成は、東武鉄道所有編成(6151~6179F)と共通運用であり、管理が東武鉄道の南栗橋車両管区新栃木出張所(栃、トチ)に委託されています。

5桁の番号のほか、番号の横に野岩鉄道または会津鉄道のロゴマークが入っていることで、東武車と見分けることが出来るけど、東武車には、後述の6000系リバイバルカラー編成を除いて東武鉄道(TOBU)のCIロゴマークが入っています。

今回乗った61102Fは、1986年10月9日の会津鬼怒川線の開業に合わせて導入された野岩鉄道所有の完全新造車であり、自分(しゃもじ)の大好きな富士重工業(SUBARU(スバル)の前身)製の鉄道車両でもあります。

富士重工業製の鉄道車両(宇都宮製作所製)の銘板は、バス車体と同様にスバルマークではなく、○フマークとなっているので、それを見た時にテンションが上がっていました。

富士重工業宇都宮製作所での鉄道車両の製造は、2003(平成15)年の甘木鉄道甘木線(福岡県、佐賀県)のAR303号車まで行われていたけど、これらの車両の甲種輸送は、JR日光線の鶴田駅が拠点となっていました。

2002(平成14)年に、真岡鐵道🚃🚂(茨城県、栃木県)向けに導入されたモオカ14形気動車🚃の初期型(1号車と2号車)は、関東向けで最後に導入された富士重工業製の鉄道車両となっています。

富士重工業製の東武電車の導入はは、1999(平成11)年の30000系の31406F(現在は31606Fとペアが組まれた状態で東上線で活躍中)が最後でありました。

2003年3月には、伊勢崎製作所(現、桐生工業伊勢崎工場)で行われていたバス車体の製造も終了していたので、鉄道車両製造の終了と同じ時期での撤退となっていました。

東武鉄道のバス事業本部(東武バスグループの前身)でも、富士重工業車体のバス(いすゞ(ISUZU)車または日野(HINO)車)🚌が盛んに導入されていたので、沿線企業としての結びつきがあったことの縁もありました。

2002年に分社化された東武バスグループは、東武バスセントラル(東京都北東部、埼玉県南東部)、東武バスウエスト(埼玉県中南部、南西部)、東武バスイースト(千葉県北西部)、東武バス日光(栃木県の日光エリア)の4社であるけど、群馬エリアに関しては、1999(平成11)年までに関越交通(東武、朝日自動車グループの群馬県のバス会社)に移管されていました。

かつて東武バスの観光バスタイプの車両に描かれていたTO-Bのロゴマークは、東武百貨店(東武デパート)🏬の旧ロゴマークと同じタイプでありました。

TO-Bマークは、東向島にある東武博物館のバスの座席カバー💺に残されています。

一方の6162Fは、同じ1986年に6000系の6119Fから車体載せ替え更新された編成であり、更新作業は東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)で行われていました。

6162Fは、昨年11月に、東武日光線開業90周年事業の一環として、6000系時代の塗装(茶色のツートンカラー) にリバイバルされ、同年12月1日に南栗橋発着の臨時列車に使われていたけど、撮影出来なかったのが残念でありました。

今年1月には、霜取りパンタ付きの6179F(1988年に富士重工業宇都宮事業所で完全新造された編成)もツートンカラー化されたことにより、冬季の野岩鉄道会津鬼怒川線、会津鉄道線でも使えるようになったことに加え、4両編成で運転される場合でもツートンカラー同士の編成を組めるようになっています。

車内では、6000系時代と同じ色の座席モケットに復元されているので、乗る楽しみもあります。

6050系の霜取りパンタグラフ付き編成は、東武鉄道所有車のうちの9編成(6153,6154,6155,6156,6173,6174,6175,6176,6179F)と、野岩鉄道、会津鉄道所有車の全編成であり、冬季☃️の会津鬼怒川線と会津鉄道(会津田島~会津高原尾瀬口間)の普通列車は、これらの車両で限定運用されています。

6000系は、1964(昭和39)年から1966(昭和41)年に掛けて製造された8000系ベースの2ドアセミクロスシート車だった車両であり、誤乗防止により、当初から側面の行先表示が取り付けられていました。

非冷房車だった為に冷房化や会津鬼怒川線の長大トンネル区間対応工事を施して使うことが検討されていたけど、車体が老朽化していたことや、イメージアップの為に車体が載せ替えられて冷房付きの6050系となったのであります。

2017(平成29)年4月21日の改正で、6000系の時代から続けられていた6050系の浅草への定期運用が廃止されていたけど、その後のゴールデンウィークには、4両編成の臨時快速(浅草~東武日光間)で浅草への乗り入れが復活していました。

当時は一昨年5月まで活躍していた赤い1800系(元りょうもう号)の1819Fも臨時快速で活躍していたので、あの頃が懐かしいなと思っています。

このことは、今年3月8日をもって西武鉄道4000系の池袋への定期乗り入れが廃止されたことに似たような出来事となっていました。

浅草駅に定期乗り入れしていた頃の6050系は、2+2+2の6両編成で、前の2両が、会津田島行き、中間の2両が、新藤原行き、後ろの2両が、東武日光行きで、下今市駅と新藤原駅の2回で分割・併合が行われていたので、かつて国鉄→JR常磐線の403系や415系(土浦駅と勝田駅)で見られていたようなロケット方式🚀の列車となっていました。 

6050系で廃車となった編成は、6158,6161,6163,6165,6166,6171Fであり、全て6000系から更新された霜取りパンタグラフなしの編成でありました。

6000系の完全新造車のうち、6177Fと6178Fは、634型(スカイツリートレイン)というイベント列車🚃💺に改造されているので、西武鉄道4000系の4009Fが52席の至福🚃🍴に改造されたことに似ています。

6050系は、1991(平成3)年7月21日の改正まで、6000系から受け継がれていた有料の快速急行(だいや、おじか、しもつけ号)に使われていたけど、約50年前に115系で運転されていた中央東線の急行かいじ号のうちの1往復(遜色急行)と同様に、セミクロスシートなのに料金を取られていたぼったくり列車の状態だったので、遜色急行ならぬ遜色快急となっていました。

6050系のトイレ🚻は、東武日光、会津田島寄りの先頭車にあり、6000系時代と同様に和式となっています。

西武4000系のトイレ🚻(飯能、西武新宿寄りの先頭車)も和式であるので、トイレも6050系に似ているなと思いました。

東武6050系のボックスシート💺には、西武4000系にない折り畳み式のテーブルがあるけど、逆に東武6050系には西武4000系にあるようなドアの押しボタンが付いていないです。

6050系の運転台後部にある車内の行先案内表示は、車内表示としては珍しい幕式となっているので、アナログ式の車両と呼びたくなります。

東武日光駅は、3面5線の駅で、1,2番線が4両分、4~6番線が6両分であり、Y字状に分かれていることにより、東海道・山陽新幹線🚅の東京駅の14,15番ホームと、16~19番ホームに似ているところがあります。

日光線系統の特急は全て4~6番線発着となっています。

駅舎は、1979(昭和54)年から使われている山小屋風の三角屋根の建物であり、JR日光駅の洋館風駅舎と同様に日光のイメージにぴったりだと思います。

発車メロディー🎵は、夜のストレンジャー(Crystal Clear River)であり、一昨年3月の自動放送化により、かつて鬼怒川温泉駅で使われていたものと同じタイプに変更されていました。

現在の鬼怒川温泉駅の発車メロディーは、東武ワールドスクウェア駅と同様に、東武ワールドスクウェアのテーマソングとなっています。

夜のストレンジャーの発車メロディーは、東武アーバンパークライン(野田線)の大宮駅1番線でも使われています。

野岩鉄道会津鬼怒川線の路線

(東武鬼怒川線、鬼怒川温泉、下今市、浅草方面へ直通運転)←新藤原~龍王峡~川治温泉~川治湯元~湯西川温泉~中三依温泉~上三依塩原温泉口~男鹿高原~会津高原尾瀬口→(会津鉄道会津線、会津田島、会津若松方面へ直通運転)

1986年10月9日に開業した当時は、中三依温泉駅が中三依駅、上三依塩原温泉口駅が下野上三依駅、会津高原尾瀬口駅が会津高原駅となっていました。

開業当時の上三依塩原温泉口駅で、下野上三依駅と呼ばれていた理由は、国鉄→JR会津線の芦ノ牧温泉駅が上三寄駅(読み方は同じかみみより)となっていたことにより区別する為でありました。

1988(昭和63)年10月19日には、上三依地区と塩原温泉郷を結ぶ国道400号線の尾頭トンネルが開通したことにより、上三依塩原駅となり、2006(平成18)年3月18日には、塩原温泉郷のアクセス駅であることを強調する為に上三依塩原温泉口駅に変更されていました。

上三依塩原温泉口駅の近くには、日光市上三依水生植物園もあります。
 
塩原温泉郷♨️へは、上三依塩原温泉口駅から、国道400号経由の路線バス🚌で行くことになります。

2006年3月18日は、中三依駅が中三依温泉駅に、会津高原駅が会津高原尾瀬口駅にそれぞれ変更された時でもあったけど、その2日後の2006年3月20日には、今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村の合併により、現在の日光市となっていました。

会津鬼怒川線の駅は、2006年3月20日以降、福島県南会津郡南会津町にある会津高原尾瀬口駅を除いて栃木県日光市に位置しているけど、2006年3月19日までは、新藤原、龍王峡、川治温泉、川治湯元、中三依温泉、上三依塩原温泉口、男鹿高原の各駅が藤原町、湯西川温泉駅が栗山村でありました。

鬼怒川温泉♨️も、藤原町だった場所であり、現在は日光市の一部となっています。

湯西川温泉駅は、全長4250mの葛老山トンネル(会津鬼怒川線で最も長いトンネル)の中にある1面1線のトンネル駅であり、道の駅湯西川も併設されています。

道の駅湯西川には、日帰り入浴を楽しむことの出来る温泉施設♨️や足湯もあるので、待ち時間に入ることも出来ます。

駅名の由来となった湯西川温泉♨️へは、駅前から日光交通ダイヤルバス🚌で行くことになるけど、所要時間が約30分掛かります。

湯西川温泉駅の北側にある湯西川橋梁(トンネルを抜けた後に渡る橋)は、五十里(いかり)湖に掛かっているので、五十里橋とも呼ばれています。

野岩鉄道の野岩とは、下野(しもつけ)国と岩代国(昔の福島県中通りと会津地方)を結ぶ路線であることを意味しており、国鉄時代に打ち出されていた野岩線計画の名残でもあります。

国鉄野岩線は、今市駅と会津滝ノ原駅(現在の会津高原尾瀬口)を結ぶ路線(非電化路線)として計画され、藤原~会津滝ノ原間の工事が日本鉄道建設公団によって行われていたけど、1980(昭和55)年に国鉄再建法が施工されたことで工事が凍結されていました。

そんな中、栃木県、福島県、東武鉄道の出資の第三セクターの野岩鉄道によって工事が再開され、新藤原駅から東武鬼怒川線と直通させることで、東武線から日光・鬼怒川地域に加え、南会津地域へも乗り換えなしで結ばれるようになったのであります。

今市~藤原間で新線を建設するよりも、鬼怒川線を活用させたほうが効率が良いと判断されていたこともあったと思っています。

栃木、福島県境(男鹿高原~会津高原尾瀬口間)にある山王トンネル(全長3441m)は、非電化向けトンネルとして完成したものを電化させたものであります。

会津鬼怒川線は、トンネルや橋梁が軒を連ねている山岳路線であるので、4000系の走る西武秩父線に似ているところがあります。

1999年7月4日に自分(しゃもじ)が会津鬼怒川線に初めて乗った時にこのことを実感していました。

西武秩父線の正丸トンネルは、全長4811mと、西武鉄道並びに関東の私鉄で一番長い山岳トンネルであり、葛老山トンネルよりも長いです。

今日でゴールデンウィークの最終日を迎えるところばかりだけど、今年はコロナ大騒動による緊急事態宣言が直撃していたので、ゴールデンウィーク(GW)ならぬ我慢ウィーク(Gaman Week)となってしまいました。

昨年の今日もゴールデンウィークの最終日だったけど、昨年のハッピーエンドに対して、今年はバッドエンド(BAD END)となってしまいました。

今日で終了するはずだった緊急事態宣言が5月31日まで延長されたので、バッドエンドであるのもそのはずであります。

本当にテレビニュースでは、新型コロナウィルス新型コロナウィルスとうるさいことで気分が悪くなるので、見るのが嫌になってしまいます。

なのでネットで情報を入手したいと思っています。

感染拡大のピークは過ぎたけど、まだまだ油断は出来ない状態であります。

早く長いコロナトンネルから抜け出したいです。

今日も旭莉子氏🐻によるSHOWROOM配信に参加することが出来たけど、熊🐻が好きだと言っていたので、熊マーク🐻としました。

熊マーク🐻は、既に99%LOVERの香月まゆか氏🐻(つか氏の推しメンでもある)を表す時に使っています。

このように、自分(しゃもじ)🐰の推しメンを絵文字で表しているけど、あーにゃこと水湊あおひ氏😸の場合は、猫マーク😸で表しています。

因みに、自分(しゃもじ)のしゃもじスタイル🐰は、国場美々花氏🐰(こちらもチャレガの推しである)などと同様に、うさぎマーク🐰としています。

東武6050系は、南栗橋駅より先の区間でしか撮影及び乗車出来ない列車となってしまったので、西武4000系が飯能~西武秩父間及び秩父鉄道線でないと乗ることが出来ない電車となったことと同様の現象となっています。

本当は、リバイバルカラーを撮影してみたいけど、コロナ大騒動はもちろんのこと、南栗橋駅より先の区間に行かないと撮影出来ないのがネックとなっています。

6050系は、スカイツリートレインを除いてどうなるのか分からないので、リバイバルカラー以外でも撮影・乗車しておく必要があります。

このように、東武日光から下今市まで、6050系に乗ることが出来て良かったです。

おまけの画像は、昨年12月1日の南栗橋での東武ファンフェスタで撮影した、634型(スカイツリートレイン)です。