今日はKさんseriesの日。前回の予告にあった鉄道博物館に保存されている車両が走っていた頃とのこと。茨城交通のキハ11など2回の連載のようですよ。 代理投稿 by D51338
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Kです。今回と次回は、現在大宮の鉄道博物館で保存されている国鉄型気動車キハ11 25が、茨城交通湊線(現、ひたちなか海浜鉄道)で走っていた頃の写真をお届けします。
湊線では現在でもキハ20形キハ205が走行する姿を時折見ることができますし、以前は北海道の廃線となった私鉄から譲り受けたキハ22形も保有し2015年頃まで様々な国鉄色塗装の姿でイベント走行していましたので、撮影や乗車に行かれた方も多くおられると思います。
その一世代前になりますが、茨城交通では旧国鉄から譲り受けたキハ11形(キハ17系列の両運転台タイプ)を3両保有し主力として使用していました。その中の一両、キハ112(旧国鉄キハ1125)は第一線から引退後も2004年までは時折湊線内でイベント走行する姿が見られ、私Kは2000-2002年にかけキハ11などの撮影乗車のため何回か湊線を訪ねていました。
今回は2001.5.5のイベント走行の模様を中心に、一部2000年の走行時の写真も紹介します。
① 2001年こどもの日のイベント走行は、勝田側キハ112、阿字ヶ浦側キハ205の国鉄一般色2両編成でしたが、運行最初の列車の那珂湊-阿字ヶ浦間のみ、ディーゼル機関車のケキ102が牽引するというおまけもありました。那珂湊駅3番線でスタンバイするケキ102の姿です。
1957(昭和32)年新潟鉄工所製造の自社発注の機関車で、廃車は2005年だったようです。
② この列車に阿字ヶ浦の一つ手前の磯崎駅まで乗車し、阿字ヶ浦方に向けて発車する列車を後追いで撮影しました。
③ 最初の列車を牽引した後、ケキ102は阿字ヶ浦駅の側線でお休みです。勝田まで一往復して戻ってきたキハ11の車内から、特徴あるバス窓越しにケキ102を撮ってみました。
④ この後は国鉄色キハ2両編成の撮影です。平磯駅から少し殿山駅方に戻ったカーブのところで、キハ20先頭に阿字ヶ浦に向かう列車です。
⑤ 返しの列車は、平磯から少し磯崎駅方向に歩いた先、見通しの良い直線区間で撮りました。こちらはキハ11が先頭です。
2両目のキハ20と比べると車体が一回り小さいのがわかります。
運転席の窓もその分小さいので、キハ20とは少し顔が違いますね。
⑥ 次の阿字ヶ浦行は隣の磯崎駅まで歩き、キハ20を先頭に進入してくる列車を撮りました。磯崎駅の平磯方は広大な畑の中の長い直線となっていて、茨城県らしい景色の中を国鉄型のキハが走る姿を見ることができました。
⑦ 到着したキハに乗車し終点阿字ヶ浦駅へ。
折り返し待ちのキハ2両編成と、左側のコンクリート製の構造物は給水タンクの跡でしょうか。
湊線にDLが導入されたのが1953(昭和28)年だそうなので、蒸気機関車が走っていたころというと私が生まれる前かもしれません。
⑧ 阿字ヶ浦駅側線のケキ102。
乗務員さんが乗っているので、駅構内で少し動かしていたのかと思います。
⑨ キハ11+キハ20の編成は定期列車として夕方まで湊線内を走り続けましたが、この日午後撮影の写真は次回紹介します。
この後2枚は2000年6月10日のキハ112運転時の撮影です。2001年以降はキハ11のエンジンの状態が思わしくなかったのか、キハ20系車両との併結運転となりましたが、2000年まではキハ11の単行運転も行われていました。殿山駅の手前から平磯方の直線、上り坂を駆け上がってくるキハ11。夕方の撮影で、前照灯を点していました。
⑩ 単行運転のときに乗車し走行中に撮影したキハ112車内の写真です。
キハ11形の製造初年は1955(昭和30)年。
扇風機にJNRのマークが入り、網棚は見えにくいですがリアルの網、取り付け金具の装飾。幅の狭い座席と、後ろに座っている人の圧を感じられる(笑)一枚モケットの背もたれ(国鉄時代はビニール張り背もたれの車両に乗った記憶があります)といったキハ17系列の特徴がそのまま残っています。
次回は湊線キハ11の続き、同時に撮影したJR常磐線の車両も少しだけ紹介します。