旭川からJR最北端の地稚内まで、259.4 kmを結ぶ宗谷本線。
この路線には過去に何度か乗車したことがある。一度目は学生時代、14系客車で運転されていた夜行の「急行利尻」で稚内に向かい、帰りは確か現在は廃止されている天北線を走っていた「急行天北」で戻ってきた(と思う)。この急行を音威子府で下車し、名物の駅そばを食べたのち名寄へ出て、これまた現在は廃止されている深名線で深川に向かった(はず)。
二度目は社会人になってから礼文島に行く際、同じく「急行利尻」を稚内まで利用した。このときは使用車両がキハ400系気動車+14系寝台車に変わっていて、友人4人で利用する寝台車はとても楽しい時間だった。終着稚内が近くなるころ、朝の車内放送で目が覚めて車窓を見ると、列車名の由来ともなった利尻島がはっきり見えたことを思い出す。稚内到着後は礼文島まで船に乗って遊びに行き、帰りは札幌丘珠空港まで飛行機を利用した(ような気がする)。
宗谷本線に関して覚えていることはそれくらいで、というか全然記憶に残ってないじゃんw 乗車していたのは夜間のほうが多いし、覚えていないのも無理はない。
宗谷本線には旭川稚内間を3時間40分~50分程度で結ぶ特急列車が3往復走っているけど、本日乗車するのは6時間かけて宗谷本線を走破する6:03発の普通列車稚内行。長距離鈍行に乗ることは、学生時代ではなんともなかったけど、最近はすっかり歳をとったせいか、同じ列車に乗り続けられるのは2時間ぐらいが限度になってきたので、予定を立てる段階から不安になっていた。まぁ、疲れたら後続の特急列車に乗ればいいんだしってことで。
ホームに上がると、2両編成のディーゼルカーが出発準備中。赤帯のキハ54が終点稚内までの車両で、緑帯のキハ40は名寄で切り離される模様。青春18きっぷシーズンの最終日近くだったせいか、旭川出発時は50%ぐらいの乗車率。ガラガラではなかったですね。
作業員さんが行先札を取り付けてくれました。いいデザイン(^^)
座席は昔の特急列車から持ってきたものを利用していて、これから6時間の乗車も耐えられそうw 窓と座席が合わない部分が残念だけど、これはまぁ仕方なしか。
国鉄からJRになってもう何年たつだろうか。それでもしっかり残っている国鉄マーク。
大都会旭川を定刻に発車し、高架線を快適に走行していきます。天気は下り坂の予報なので、この先が心配。
旭川を出発して20分程度でこの景色。いいねぇ!実にいい!
6:26比布着。「ぴっぷ」である。あのCMを思い出さずにはいられないわな。
希林さんが若いな!wwww
比布駅が宗谷本線にあるのは知っていたんだけど、意外と旭川から近いことに気がついた。名寄よりもっと北のほうかと思っていた。Twitterなんか見てみると、なかなか魅力的な街みたいなので今度訪れてみたいものです。
だんだん民家も少なくなってきたな。この先、塩狩峠を越えていきます。峠を越えたところに塩狩駅がある。
三浦綾子の小説「塩狩峠」は、明治時代の鉄道事故をもとに描かれた作品。個人的には初めて三浦綾子の著作にふれるきっかけとなったののがこれ。
これは図書館などでも手にできるはずなので、ぜひ一度読んでいただきたい。感動した人もいるんだろうけど(というか、圧倒的に多いんだろうけど)、自分は正直申し上げて、当初は「こんな善人いるわけないじゃん!創作乙!」という、ひどい感想だったことを明確に記憶している。「殉職する」という終わりがわかっていて読み始め、「ああ、いい人と言われていたのに、悲しい最期でしたね」という予想通りの展開。「それじゃぁ、つまらなかったの?」と聞かれれば、そんなことはない。
主人公は最初から善人だったわけではない。どうしてこのような最期になったんだろう。いや、「最期」と書くと悲劇的だけど、果たして本人は悲しかったんだろうか?もしかして…、といろいろ考えさせられました。
ここ塩狩駅のそばに「塩狩峠記念館」があるそうです。ここにもいつか訪れてみたいものです。
旭川を出発して1時間経過。7:05剣淵着。この列はバスを待っている人ではなく、ワンマン運転のこの列車に乗車する人の列でして(;・∀・) 通学時間帯だもんね。
道が果てしなくまっすぐなのも、北海道感あふれていて大変魅力的。
宗谷本線の駅は小さな駅が多く、各駅ともなかなか魅力的なのです。これは下士別駅で、待合室がまるで民家の玄関w
縦書きの駅名標が特徴的な瑞穂駅は板張りの簡易なホーム。板張りのホームはここだけでなく、いくつかの駅でみることができます。長さも1両分ぐらいしかないんじゃないかなぁ。
7:45名寄着。ここで後ろの1両を切り離し、この先は1両だけで運行されます。7分停車なので、ホームに出て身体を伸ばしてみるなど。
初野駅もホームが板張りだった。駅名標がだいぶ劣化しているみたい。
廃屋を見かけました。住んでいた人はどこに行ってしまったんだろうか?
たくさんの牛たち。
ここは豊清水駅だったかな?上り特急と列車交換のため小休止。
「咲く」「来る」と書いてさっくる。小さな花壇がありました。
旭川を出発して3時間、美味しい駅そばで有名な音威子府に到着。天北線の分岐駅だったせいか、構内は広め。
車窓に天塩川が見えてきました。
この風景なんか、北海道開拓時代からずっと変わっていなかったんじゃないか?と思います。
原野を開拓して生活していくということは、とても厳しいものだったと思う。どんなものだったのかを、ことあることに本で調べてたりしているけれど、これを北海道に住んでいた時にやっていればよかったと、かなり後悔しております(´・ω・`)
旭川を出発してから4時間半、北緯45度の町、幌延に到着。ここでは20分ほど停車時間があります。
駅の一角に「ホロカル」と名付けられた幌延町の案内所がありまして、ホットコーヒーを売っているというんで何気なく、本当に何気なく注文したところ、豆を挽くところからスタートというガチなコーヒーだったwww。
幌延町の魅力を聞かせていただきながら待つこと10分弱、長旅を続けてきたせいか、記憶に残る美味しいコーヒーをいただきました。本当に美味しいのでおすすめ。
幌延から2つ目の駅豊富で列車交換。終着稚内まで1時間を切りました。
この列車はワンマン運転なので、切符を持っていない人は乗車時に整理券をとって、降りるときに運賃箱で精算する方式になっています。長距離を走ってくると、このように金額表示がすごいことになってくるwww
意図はよくわからないけど、古い客車が置いてあった。
このあたりが天北原野にあたるんだろうか?今回、稚内を訪れようと考えたのは三浦綾子の小説「天北原野」の影響だったので、じっと車窓を眺めてみる。
JR民営化の話題で、北海道と九州が比較されるのを目にすることがあるのですが、九州でこのような原野を目にすることはなかったなぁ。すみずみまで行ったわけではないけど。しかも、冬は一面雪景色になるんでしょう?今度は冬に乗ってみたいかも。
11:49抜海着。この駅は小泉今日子主演のドラマ「少女に何が起ったか」の第1話で出てきたことを強烈に記憶している。
上り列車を待つキョンキョン。
宇津井健が背後から忍び寄り、キョンキョンに航空券を手渡す。
次のカットがもうコレwww 稚内空港とか旭川空港を使わなかったのは、いろんな大人の事情と思われる。 このドラマ、いろんな意味で全く期待を裏切らないので、ぜひご覧いただきたい。
日本海が見えてくれば、長かった宗谷本線の旅もまもなく終了。計画段階では、6時間という乗車時間に体力が持つかどうか本当に心配だったのだけど、乗ってみれば杞憂に終わりました。途中、居眠りもせず、音楽も聴かず、ずっと車窓を眺めていたような気がする。開拓時代に思いを馳せたり、学生時代の旅行のことを思い出したり、これからどうやって生きていこうとか、思いつくままにのんびり考えていても邪魔が入らないという、最高のひとときでした。大変贅沢な時間を過ごせたと思う。
旭川を出発してから6時間5分、終着稚内に到着。
関門トンネル,瀬戸大橋,青函トンネルで結ばれている全国のJR線がここにつながっているかと思うと、なかなか感慨深いものがある。
6時間お世話になったキハ54もおつかれさんでした。
自分が学生時代に訪れた稚内駅はもうちょっと北寄りにあって、その時の線路がいまも残されています。さらに昔になると、線路は稚内港まで延びていて、そこから樺太に向かう連絡船へ乗り換えができたとか。その遺構はこのあと訪れる予定でして、ここから6時間の稚内観光がスタート!
(つづく)
お読みいただきありがとうございました。