東京~宇都宮 国鉄 東北本線 昭和52年1977年に上野駅で撮影した165系型の電車 | 架空鉄道 もしも宇都宮石材軌道の歴史が変わっていたら・・のブログ

架空鉄道 もしも宇都宮石材軌道の歴史が変わっていたら・・のブログ

明治時代後期~昭和初期に実在した軌道が、もし歴史が・・・と想像する架空鉄道を想像しながら楽しむ鉄道趣味

小学生の頃、祖父母は実家から車で約15分の近距離に在住し親戚も市内に多く「電車に乗る=東京へ行く」行動にしか利用する機会がありませんでした。その為、小学1年の夏から約3年間は「電車に乗らない・・・利用することが無い」空白の3年間がありました。

そして3年振り小学4年生の時に母と二人で当時、秋葉原にあった交通博物館と代々木のNHK放送センターを見学に行く東京日帰り旅行に行き久々の国鉄です。

たぶん初めて電車を被写体とした撮影画像が上記の165系です。

18番線ホームで列車番号が読みにくいですが514Mだとすると急行なすの4号が17:07上野着17:32発577Mの宇都宮19:29着の普通運用となる車両と写したとすれば帰りの電車として選択していれば適した時間なので・・・・当時の乗車は記録していませんが、画像から想像します。

 

宇都宮から東京へ行く時には当時、エル特急ひばり号の他、はつかり・やまびこ・やまばと他、急行なすの・日光・まつしま・ばんだい他に多数の有料特急・急行が上野~宇都宮を所要約1時間10~30分で運転されていましたが、普通でも約2時間でしたので宇都宮=上野の往復は普通利用が当たり前で「追加料金が必要な急行、特急は眼中になし!」でした。父が東京へ出張の場合も普通利用でした。仙台など北へ行く用事も皆無でしたので、 国鉄=東京へ行く為だけに利用する電車(しかも普通のみ)の認識でした。

 

東武もありましたが、沿線外の市民は利用しません。地元では国鉄に対し「東武電車」と呼びます。

昭和6年に東武宇都宮線が開通しましたが、開通当初より電車運転です。国鉄は汽車であり電化されたのは昭和33年であったことから、電車をアピールした東武鉄道により「東武電車」の呼称が一般化されています。

東武宇都宮駅に併設された「東武百貨店」があることから「とーぶ」と称することはデパートを指し「東武に行く」に「東武デパート」に買い物へ行くことがケンミンではないでしょうか。

 

架空鉄道の話

もしも私鉄ゆたかの線が走っていたら・・・

 

東武宇都宮線は存在せず・・・宇都宮~大谷~新鹿沼=東武線へ直通する栃木や浅草ゆきが存在した。

東武百貨店は宇都宮へ進出し 地元の上野、福田屋百貨店や東京から進出した西武百貨店と競争。地元民では「東武」「西武」はデパートを意味した。

 

私鉄ゆたかの線は宇都宮~池袋を国鉄と競合しながら那須湯本ゆき特急も停車し運行本数も多く、三重県内の近鉄沿線のように

東京への所用は・・・新宿などへは私鉄利用、東京へは王子まで私鉄または国鉄で どちらか?で選択

 

新幹線が開通し 今では新幹線利用が多いが 節約したい学生などは 運賃の安い 私鉄ゆたかの線 快速利用。

(現実ケンミンの新幹線好き!) 新幹線料金は高いけど 宇都宮=大宮、東京は 時間を買う人が とても多い・・・と感じます。 

 

特急利用者を増やしたい架空鉄道ゆたかの線は大手メーカー企業が多い清原、真岡の停車や本数を増やし東京と栃木の移動利用を促進していると想像します。