昨夜、この記事をアップしようとしていたところ寝落ちしてしまいまして、ネタとしては1日遅れの記事となります。

 大正6年(1917年)4月27日、京都・三条大橋から3日間かけて東京・上野不忍池までの23区間の東海道駅伝徒歩競争が行われ、この日が駅伝誕生の日とされています。
 ゴールだった上野・不忍池に設置されている駅伝発祥の碑。
 現代では「駅」といえば鉄道の駅が思い浮かぶわけですが、もとはといえば昔の街道に16里毎に置かれた中継所のことであり、駅伝の名称も東海道五十三次に因んで付けられたそうです。
 もっとも、発祥とされる東海道駅伝徒歩競争の終点は上野の地は東海道の起点である日本橋からさらに北へ数キロ行ったところになるので、東海道から奥州街道(日光街道)へ少し進んだ地点となるのですが…。

 それにしても…この東海道駅伝徒歩競争、京都から東京まではほぼ東海道を進んだのでしょうが、東京に入ってからどのような行路を設定していたのでしょうか?
 現代の箱根駅伝のゴールから現代の道路でいえば外堀通りをさらに北上して湯島を通って不忍池へと向かっていたのか、それとも中央通りを通ってきたのか、あるいは昭和通りを通ってきたのか…調べてみたい気にもなるところであります。

 JR東日本・東北本線上野駅

 上野駅といえば現在は東北・上越・北陸新幹線の列車がひっきりなしに発着し、在来線も上野東京ラインの開業以降はかつての「北の玄関口」としての機能も東京駅に移った感はありますが、その風格はいまも大きなターミナル駅としての威厳を感じさせます。





 この地図の中で上野駅を通る列車は現在は福井県と山梨県と静岡県には定期列車は行きませんが、静岡県には臨時特急列車の「踊り子」が常磐線の我孫子駅から伊豆急下田駅まで向かいます。また、福井県にはかつて信越本線経由で夜行急行列車「越前」が向かっていましたし、近い将来北陸新幹線が敦賀駅まで延伸されると福井直通列車が復活します。

 新型コロナウイルスの影響でさまざまなイベントが中止となってしまい、このままでは来年の箱根駅伝もどうなってしまうのかという危惧もあります。

 いつか世界中が元気と笑顔を取り戻したときには東海道徒歩競争を再現してほしい気もします。
 願わくば…駅伝発祥の地である京都三条大橋と東京上野を舞台にそれぞれを起点としたさまざまな長距離駅伝を企画してほしい…。

 現代の高崎線や信越本線の一部がかつて中山道線として東海道本線に先駆けて東京・京都の東西両京を結ぶ鉄道路線として計画された(当時の技術から建設は困難とされて頓挫し、高崎線や信越本線は東京と信州や新潟・北陸を結ぶ路線として計画が変更されました)経緯があります。中山道徒歩競争なんて実現したら壮絶だろうなぁ。険しい山岳コースとなるわけですから…。
 マラソンもドラマを感じますが、駅伝も戦略的意味では魅力的であり、箱根駅伝をはじめ実業団対抗駅伝や全国高校駅伝などテレビで見ていてとても楽しいスポーツだと思います。

 不忍池を起点に東日本エリアで東北や上信越・北陸方面へ……京都から西日本エリアで山陽・九州や山陰方面への駅伝なんて催されたら素晴らしいのにと思います。