山陰の旅 大田市駅でのこと | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

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 山陰本線の大田市駅は2018年に運転された迂回貨物でDD51貨物列車どうしの離合するダイヤが組まれ注目を浴びましたが、現役蒸機が走っていた頃からC57とD51の並びや82系「まつかぜ」のD51貨物追い抜きなど何かと話題に事欠かない駅でした。

 

 本線のD51貨物列車を横目に側線からキハ82系「まつかぜ」が出てきました。特急「まつかぜ」の6両目に食堂車のキシ80が連結されているのが見えます。跨線橋の屋根には春闘の「団結」の旗が翻っています。 1974年3月

 

 

深夜の大田市駅。跨線橋の明かりが広告のプラ板を透過して来ています。跨線橋から覗いているような人影は広告板の写真のようです。側線には当駅止まりの普通列車キハ20が止まっています。 1973年9月

 

 

朝6時27分、下りの客車列車521レが大田市駅に到着すると構内には3両のD51が集まります。これは1973年10月のダイヤ改正で蒸機列車の運用が減ったために521レの本務機DD51の後ろに回送のD51が付いた事で実現したものです。 1974年8月

 

6:39発の866レD51貨物が発車します。車掌さんが後方確認のためか?窓から大きく顔を出しています。 1974年8月

 

8時過ぎには気動車急行やC57・D51が顔を揃えます。当駅が最も華やいでいる時間です。 1972年8月

 

 

福知山区からの転属機C5741のテンダーでは石炭の掻き寄せ作業が続きます。この544レのC57も1973年10月のダイヤ改正でDF50に代わり、これで浜田のC57は米子までの運用がなくなりました。

 

 

 

真夏の炎天下、博多からの82系特急「まつかぜ」が排煙を上げ猛然と出発して来ました。ホームの有効長の関係だからだと思いますが、本線にデンっと止まったD51貨物の横を、側線から出て来る気動車特急を見るのは痛快でした。 1973年8月

 

 

駅止まりの写真だけでは面白くないのでD51貨物の正面ドカンの写真でも! 本当は上の「まつかぜ」の次のコマに写っていた写真でした(^^ゞ  久手-大田市 1974年3月

 

 

 

あまり話題には昇りませんでしたが、大田市駅の西方にはとても好ましい形状の給水タンクがありました。  1972年4月

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました。