【切符コレクション】硬券式特急券・急行券・グリーン券 | cavacho☆彡“きゃばちょこ”です。

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 本日も「#家で過ごそう」【切符コレクション】の話を続けます。

 

 紹介するのは、昭和40~50年代に乗車した特急・急行および普通グリーンに乗車した際に使った切符、

硬券式特急券・急行券グリーン券です。

 

 まずは当時乗った特急や急行の紹介から。

 

 初めて上京したのは小6の1968年(昭和43)3月で、姉の旅行に同行してでした。その時はキハ28・58の山形発の急行「第2ざおう」に乗車。郡山から新潟発の「いいで」と併結し上野を目指しました。

 その後、伊豆大島から下田へ。天城峠を通り修善寺。修善寺から伊東へ。急行「伊豆」に乗って再び上京、急行「第3まつしま」で帰福するというルートでした。

 

 1、伊東から乗車したのは、153系急行「伊豆」。 153系 平塚~茅ケ崎 74年(昭和49)。

 これは大学時代に撮った「急行東海」のものです。当時は普通列車にも153系は使われていました。

 

 2、帰りの急行「まつしま」は455系でした。 福島駅 72年(昭和47)撮影。

 ED7571と並ぶ455系。これは101M「急行いわて」盛岡行きです。

 

 3、唯一手元に残る455系運行のカラー写真は、85年(昭和60)作並駅で撮影した普通列車。

 当時鉄道はほとんど撮影していませんでしたが、長男を連れて山形から仙台を回った時のものです。写っている長男も今では36歳になりました。

 

 3、東北本線は特急銀座。485系特急「やまばと」とキハ181系特急「つばさ」 72年(昭和47)福島駅。

 当時奥羽本線福島~庭坂間は単線で福島駅で下り「やまばと」と上り「つばさ」の交換がありました。

 

 4、キハ181系特急「つばさ」 72年(昭和47) 福島駅。

 当時は奥羽本線山形以北が非電化で、特急「つばさ」はキハ181系で運行されていました。

 

 5、485系特急「やまばと」 72年(昭和47) 福島駅。

 福島駅3番線を山形へ向けて発車する485系「やまばと」右側のホームの建物は今でも残っています。奥に見える山は福島市の中心にそびえる「信夫山」です。

 

 6、485系特急「ひばり」 72年(昭和47) 福島駅。

 福島駅2番線を上野へ向け発車する「ひばり」です。

 白線からはみ出ても駅員さんに怒られることがないので、後追いで撮ったのが圧倒的に多いです。当時は前方でも前照灯は点いていなかったので、テールライトが点いている後追いの方が好きでした。

 

 7、583系 特急「ひばり」 72年(昭和47) 福島駅。

 485系ボンネット型に混じって、583系間合い仕様の「ひばり」も1往復ありました。

 私は昼行寝台兼用電車583系のボックスシートが好みでなく、当時583系の乗車は皆無、485系がほとんどでした。583系に初めて乗ったのは、普通列車用715系に改造されてからでした。

 

 前置きが長くなりましたが……。

 

 8、硬券式特急券・急行券のコレクションです。

 1列目左:伊東→200km急行券…初めて上京した時に伊東から乗車した急行「伊豆」の急行券。当時は小6で子供用で乗車した最後の切符。

 1列目中:第3まつしま座席指定券…帰福は指定席利用。上京の急行「ざおう」、伊東からの急行「伊豆」とも座れなかったので、姉が指定席を取ってくれたもの。当時は指定料金100円です。

 1列目右:福島→仙台特定特急券…当時の特急は全車指定でしたが、福島以北の特急「ひばり」に限り特定特急料金400円を払うと空いている席に座って乗車出来ました。

 2列目左:特急やまばと1号特急券…高1の時は初めて一人で特急に乗り上京しました。前年・中3の夏休みは福島始発の急行「あづま1号」で上野駅まで姉に迎えに来てもらいましたが、この時は一人で相武台前駅まで行きました。川俣線廃止前で、「岩代飯野駅」で特急券を購入しました。飯野駅は駅員さん1人だけの駅でしたので、みどりの窓口はありません。駅員さんが電話をして指定券を取ってくれました。

 2列目右:特急つばさ1号特急券…キハ181系に乗りたくて特急「つばさ」の指定券を手配しました。キハ181は外から見た厳つい感じが好きでいつかは乗ってみたいと思っていました。しかし特急といえども気動車。東北本線は当時120km/h運転でエンジンをフル回転で飛ばす騒音に驚きました。この120km/h運転がたたって故障が続発。結局この年の10月から板谷峠はEF71の補機を付けて協調運転での運行に、東北本線でもスピードダウンが行われました。静寂な電車にはかなわず、その後「つばさ」に乗車したのは485系電車になってからです。この特急券は、川俣線廃止になって国鉄バスの駅として誕生した「川俣町駅」で購入しました。

 3列目左:茅野から東京電環行き乗車券・急行券…これは父が利用していただいたもの。「東京電環(山手線)」の表現が懐かしいです。そういえば朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の時にも「東京電環ゆき」の切符が出てきたのを覚えています。

 3列目右:特急ひばり6号特急券…大学受験のため上京した時の特急券です。当時は福島駅のみどりの窓口で購入しマルス端末で打ち出された特急券が多かったのですが、この時は「川俣町駅」で購入しました。この後の特急券はすべて、みどりの窓口で購入するようになったので、以降の硬券式指定席特急券はありません。

 

 次は、急行券と普通列車のグリーン券のお話しです。

 

 9、当時の東海道線の主力は113系「湘南電車」でした。 74年(昭和49) 平塚~茅ケ崎。

 当時の113系グリーン車は1階建てのサロ113やサロ110で特急列車の普通車と同じシートでした。普通列車グリーンに乗る時は153系の急行形グリーンのフルリクライニングが良くて、153系を好んで乗りました。一方153系の普通車は片開き2ドアデッキ付きが災いしラッシュ時の乗降が大変。両開き3つドアの113系の方が圧倒的に利便性が高かったです。

 

 

 9、硬券式急行券&普通列車グリーン券。

 1列目左:茅ケ崎→横浜グリーン券…この時は姉が相武台前から転勤で茅ケ崎へ引っ越し。その手伝いに行った際に横浜へ利用。初めて東海道線の普通列車グリーン車を利用した時のものです。

 1列目中:東京→横浜グリーン券…大学に入学。武道館で行われた入学式の帰りは奮発してグリーン車に乗車。でもどうして茅ケ崎まで乗らないで横浜で降りたかは不明。

 1列目右:東京→51km以上グリーン券…この時からキロ表示のグリーン券に変わっています。50km以上は同一料金で300円だったようです。

 2列目左:博多→京都新幹線自由席特急券…初めて九州に行った際に利用した新幹線の特急券です。九州へは周遊券で行きましたが、特急券は別途必要だったので、特急券を購入。記念に無効印を頂き持ち帰っています。

 2列目中:大垣→101Km以上グリーン券…いわゆる「大垣夜行」の普通列車グリーン券です。大阪・京都に友人と行った際の帰りに利用。当時の普通列車グリーン料金は一気に高くなっていて1500円に。当時は赤字続きの国鉄。毎年のように運賃の値上げがありました。

 2列目右:青函連絡船用グリーン券(自由席)…初めて北海道に行った際、帰りの函館→青森で乗船した「摩周丸」はグリーン船室(自由席)を利用しました。私と友人以外に自由席のグリーン船室に乗客はほとんどいなくて、二人で大いに楽しみました。

 3列目左:福島から400km自由席特急券…72年(昭和47)10月改正で「エル(L)特急」が誕生。東北本線はあいづを除くすべての昼行特急が「L特急」になりました。それに伴い特急にも自由席が誕生。49年は料金が700円でした。これは2度目の大学入試のために上京した時のものです。

 3列目中:郡山→400kmまで自由席特急券…3年後の77年(昭和52)は特急料金が2倍になっています。当時はそれだけ料金値上げがありました。

 3列目右:福島→201km以上急行券…料金値上げの連続で、77年(昭和52)は74年(昭和49)の特急料金と同額になっていました。

 

 私の【切符コレクション】の紹介は以上です。まだまだ硬券切符はありますが、紹介はひとまず終了とさせて頂きます。最後までご覧いただきありがとうございました。