野島橋

2020.4.1 (7) 野島橋「野島橋」(西南) 2000-1500

岡崎と西尾をむすぶのが土呂西尾みち(とろにしおみち)。東海道線岡崎駅のにしがわを起点に、西南方向からにしむきにすすんで、岡崎市の区域から西尾市の区域にはいったとこで、安藤川(あんどうがわ)のかわぞいにでる。みぎにかわ。ひだりにまちと三和(みわ)小学校。まちのはずれまでいったとこで、みちがみぎ45度にまがってかわをわたる。これが野島橋(のじまばし)だ。

西尾のほうから野島橋をわたるとき、みちのむこうのまちなみといっしょにみちのまがりぐあいがみえる、ほの光景は印象的だ。

こんな印象的なはしなのにながいあいだはしのなまえをしらず、こんかいたしかめてきた。まわりのはしもあわせて、野島橋のようすを紹介する。

◇            ◇

野島橋と川田橋

2020.4.1 (3) 野島橋(ひがしから) 1570-1190

ひがしがわから野島橋をみる。てまえが米野町(こめのちょう)。対岸が小島町(おじまちょう)。それぞれの町名から1字づつとって、野島橋っていうなまえにしたにちがいない。

2020.4.1 (2) 野島橋「1964年8月改築」(東南) 1200-900 2020.4.1 (4) 野島橋「のじまばし」(東北) 1200-900

ひだりの欄干に「1964年8月改築」、みぎの欄干に「のじまばし」ってかいてある。

2020.4.1 (5) 野島橋(にしから) 2000-1500

にしがわから野島橋をみる。

2020.4.1 (6) 野島橋「安藤川」(西北) 2000-1500 2020.4.1 (7) 野島橋「野島橋」(西南) 2000-1500

ひだりの欄干に「安藤川」、みぎの欄干に「野島橋」ってかいてある。

2020.4.1 (8) 川田橋「1964年3月改築」(東南) 1200-900 2020.4.1 (9) 川田橋「かわだばし」(東北) 1200-900

ところで、野島橋からにしにつづいて、ちいさなはしがある。ひだりの欄干に「1964年3月改築」、みぎの欄干に「かわだばし」ってかいてある。

2020.4.1 (11) 川田橋「下総川」(西北) 1600-1200 2020.4.1 (12) 川田橋「川田橋」(西南) 2000-1500

ひがしがわからみると、ひだりの欄干に「下総川」、みぎの欄干に「川田橋」ってかいてある。安藤川にならんで下総川っていうちいさなかわがながれとって、川田橋(かわだばし)っていうちいさなはしがかかっとるだ。

2020.4.1 (10) 川田橋(にしから) 2000-1480

にしがわから川田橋と野島橋をいっしょにみる。

米野橋

野島橋のすぐひがしにあるのが米野橋(こめのばし)。土呂西尾みちと交差する西尾みちが安藤川をわたるのがこのはしで、てまえの米野町のなまえをほのままはしのなまえにしとる。西尾みちは、きたに、矢作川(やはぎがわ)にかかる小川橋(おがわばし)のひがしのたもとにある新村町(しんむらちょう)交差点につながって、みなみに、県道花蔵寺花ノ木線(けぞうじはなのきせん)と交差する大和田(おおわだ)交差点につながる。

2020.4.1 (13) 米野橋(みなみから) 1400-1050

みなみがわから米野橋をみる。土呂西尾みちと西尾みちの交差する米野交差点から、きたに安藤川をわたる。

2020.4.1 (14) 米野橋「1977年12月改築」(西南) 1600-1200 2020.4.1 (15) 米野橋「こめのばし」(東南) 1570-1150

ひだりの欄干に「1977年12月改築」、みぎの欄干に「こめのばし」ってかいてある。

2020.4.1 (16) 米野橋(きたから) 1600-1200

きたがわから米野橋をみる。

2020.4.1 (17) 米野橋「安藤川」(東北) 1600-1200 2020.4.1 (18) 米野橋「米野橋」(西北) 1200-900

ひだりの欄干に「安藤川」、みぎの欄干に「米野橋」ってかいてある。

三和橋

2020.4.1 (19) 三和橋(きたから) 1600-1200

ついでに、米野町交差点から西尾みちをちょこっとみなみにいって、三和橋(みわばし)をみる。

2020.4.1 (20) 三和橋「三和橋」(ひがし) 1600-1200 2020.4.1 (21) 三和橋「みわばし」(にし) 1400-1050

ひだりの欄干に「三和橋、1982年2月」、みぎの欄干に「みわばし、1982年2月」ってかいてある。

いや、かわはばはせばくて、はしともわからんぐらいのはしなだけど、このかわのきたがわをはしっとった西尾鉄道のえきがこのはしのへんにあったはずで、さがしてみたけどわからんかった。ちなみにこの三和橋からにしにいったとこで西尾鉄道は安藤川をななめにわたっとって、いまも橋台のあとがのこっとる。

2020.4.1 野島橋と米野橋(あきひこ) 750-670

〔2020年4月ついたち訪問〕


(さんこう)

  • 中島のたび - 2020年3月19日 - あきひこゆめてつどう|2020/04/05
    • 2020年3月19日、電車とバスをのりついで中島までいってきた。このひとつきまえに東岡崎と西尾をむすぶ名鉄東部交通のバスで中島までいってきたのにつづいてだ。ほのときは、きたまわりに東岡崎からのバスで青野街道をとおって中島までいって悠紀斎田(ゆきさいでん)をみてきただけど、こんかいは、みなみまわりに西尾からのバスで県道西尾吉良線をとおって中島までいってまちあるきをしてきた。かえりは、おんなじ名鉄東部交通のバスでも、県道西尾吉良線をとおるバスじゃなくて、土呂西尾みち(とろにしおみち)をとおるバスで西尾までもどった。バスの前后に電車にのったようすもふくめて、以下に紹介する。
    • 大和田(おおわだ)交差点を直進。高河原(たかがわら)バス停を通過。高河原町(たかがわらちょう)交差点を直進。
    • 米野町(こめのちょう)交差点を直進するとすぐにみちがみぎ45度にまがって、安藤川にかかる野島橋(のじまばし)をわたる。はしのこっちがわ米野の野とむこうがわ小島(おじま)の島を合成してなづけたにちがいない。
      2020.3.19 (47) 西尾いきバス - 野島橋をわたる 1400-1050 2020.4.1 (1) 野島橋(みなみから) 1200-900
  • 悠紀斎田と西尾鉄道 - あきひこゆめてつどう|2016/09/22
    • 西尾鉄道廃線あとをたずねる
      岡崎市悠紀の里のある中島から西尾口駅にかけては、ほとんどのとこで廃線あとが道路に転用されとって、これをとおっていくことができた。いや、じつにおどろきだ。1943年の西尾鉄道の廃止からまあはい73年もたつっていうのに。
    • 安藤川鉄橋もこのように橋台がはっきりとのこっとる。この鉄橋は線形改良のためにかけかえられたっていい、かけかえのあとはかわをななめにわたるようになった。う~ん、はし部分がながくなることは、建設のときもほのあともおかねのかかることなのに、ようやったもんだって感心。