今から30年前の光景だそうです。

昔から敵対 (?) していた阪神と阪急が同じ線路を走っていること自体に違和感を感じる方も多かったと思いますが、これも神戸高速鉄道という鉄道があってのこと。1968年に開業した 「自社発注の車両を持たない鉄道」 は、それまで点でバラバラだった神戸市内の私鉄ターミナル間を結んだことによって、利便性の向上に大きく寄与。狭軌で乗り入れが出来ない神戸電鉄を除いた阪神、阪急、山陽の3社で相互直通運転が実現しました。

 

開業時、阪急と阪神は山陽の須磨浦公園まで、逆に山陽は阪急の六甲と阪神の大石までそれぞれ乗り入れていましたが、1998年に山陽は念願だった大阪への乗り入れを開始しまして、それを含むメインの乗り入れ相手に阪神を選び、梅田-姫路間の直通特急を走らせるようになりました。

これを機に、阪急の山陽乗り入れは中止になり、山陽の列車は三宮で折り返すようになりました。また、山陽の阪神乗り入れも直通特急のみとなって、大石までの乗り入れも中止されます。

 

なので、今はこのような光景を見ることは無くなりましたが、阪神もね、 “乗っ取り屋” の悪名高かった村上ファンドの株買い占め騒動が無ければ、ずっと阪急と相対していたでしょうね。この乗っ取り騒動を食い止めるべく、阪急に縋るような形で 「阪急阪神ホールディングス」 が誕生したわけですが、 「そういえば、そんなこともあったね」 的に随分前の話になってしまいました。

前述のように、阪神が阪急に泣きつく形で実現したグループ化ですが、そのような経緯があるから、もしかしたら、経営上は阪急が主導権を握っている可能性もあります。だからこの勢いでプロ野球チームも 「阪急タイガース」 に、その本拠地も 「阪急甲子園球場」 なったかもしれませんね。

 

画像をまじまじと見ると、阪急6000系の乗務員扉と乗降用扉の間にある 「H」 マーク (決して 「エッチ」 ではなくて、あくまでも 「エイチ」 です、念のため) も懐かしいわけですが、子供心にこの 「H」 マークって、国鉄の 「JNR」 マークを○○っているような気がしました。

参考までに・・・

 

 

これが懐かしき阪急の旧シンボルマーク。説明するまでもなく、 「HANKYU」 の 「H」 をデフォルメしたデザインになっていますが・・・

 

 

そしてこちらが旧国鉄の 「JNR」 マーク。

こうやって比較すると、明らかに 「H」 のタテ線部分は明らかに 「J」 と 「R」 を意識したデフォルメになっています。

 

もう一つ、6000系に代表される阪急の車両って、以前は並型自動連結器だったと思います。

そして阪神の特急ヘッドマークとバンドン式密着連結器も懐かしいですね。

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.916 (電気車研究会社 刊)

鉄道ファン No.232 (交友社 刊)

ウィキペディア (山陽電気鉄道本線)