日南線(昭和39年)当たり前なのかもしれませんが、昭和39年当時、志布志は終点ではなく、鉄道要衝地でした。 路線としての目的は、大隅半島を一周して、国分まで結ぶことだったのでしょう。 それより、都城(西都城)から志布志までつないで路線があったことに驚きです。 やっぱり 「港」って重要だったのでしょう。