2013年・下関のロンドンバス乗車記(前編) | 鉄道で行く旅

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今回は2013年に再び下関・門司に出かけたときの旅行記です。

2013年3月末限りで下関市のロンドンバス(ルートマスターですが本投稿ではロンドンバスとします)の運行が終了することになり、その直前に下関市のロンドンバスに乗っておきたくなったために下関まで行きました。

新大阪駅から鹿児島中央行のN700系7000番台の「みずほ」に乗車し、小倉駅で下車しました。

その列車が満席で、しかもダブルブッキングでした。先に女性の方が座っていたので、声をかけて女性の指定席券を確認したうえで、私が車掌室まで行ってダブルブッキングであることを連絡しました。私の予約はEX-ICでしたので、それを見た車掌は、即座に「もう一人のお客さまの指定席券が誤りだと思います」という判定をしました。そして、新大阪駅出発後に車掌が女性を他の空席に案内していました。

 

小倉駅の在来線ホームで見たJR九州の813系です。

 

左側の415系で小倉駅から下関駅まで移動しました。

 

撮影は2度目の下関市のロンドンバスです。(2013年3月末に運行を終了しました)

下関市のロンドンバス(ルートマスター)は日本国内の道路運送車両の保安基準に適合するための改造が行われています。

次回の後編で、日英のルートマスターの比較画像を掲載する予定です。

 

2008年の下関市のロンドンバスです。この2008年は、まだ広告(スポンサー)がありませんでしたが、2013年の撮影時にはコカ・コーラがスポンサーになっていました。(この画像は2008年に撮影)

 

ずいぶん前から自宅にあるルートマスターのモデルです。これもコカ・コーラがスポンサー(笑)です。

ロンドンのヒースロー空港の免税店で買ったルートマスターのモデルも持っていますが、そちらはコカ・コーラ広告ではありません。

 

前々回の英国旅行のときの同行者がロンドン市内で土産として買っていたルートマスターのキーホルダーの画像を送ってくれましたので、その画像を追加します。チョロQのような動きをするそうです。

 

ロンドンのヒースロー空港でポンド(パウンド)紙幣や硬貨を消費するために買ったルートマスターのスケールモデルです。

このモデルは、ロンドン市内の12系統(エザーローストリート~オックスフォードサーカス)の路線バスになっています。車体に路線図の一部である「オックスフォードサーカス~ウェストミンスター」の部分が描かれています。

 

正面から見た下関市のロンドンバスです。この下関駅の駅前から長府の乃木神社の鳥居前まで、このバスに乗車しました。

下関市のロンドンバスの運行は地元のバス会社であるサンデン交通が受託していました。

 

バスに乗る前にJR山陽本線の下関延伸開業時の話と、1971年に廃止された下関市の路面電車の山陽電気軌道(現在のサンデン交通)について説明します。

↑長府~下関の間の山陽本線の線形と下関要塞の関係図

現在のJR山陽本線は旧国鉄時代の国有化前に民営の山陽鉄道によって建設が行われたものです。

馬関駅(下関駅)までの延伸は1901年(明治34年)5月27日のことでした。

敵国の艦船の艦砲射撃を警戒して、海岸沿いの鉄道建設に反対する陸軍軍人が多数派だったのですが、「(要約すると→)海岸沿いでも構わないから早急に鉄道を建設せよ」と言った児玉源太郎(長州藩の支藩である徳山藩の藩士出身、山陽鉄道建設時は陸軍次官で陸軍少将 ・・・ 後に陸軍大将)の英断(*1)のおかげで、山陽鉄道(現在の山陽本線)は海岸沿いを中心に建設が進められました。それでもなお、対岸の門司を含む関門地区の大要塞である「下関要塞(*2)」の海岸沿いについては、陸軍の強い反対によって旧山陽鉄道を海岸側に通すことができず、「火の山」を中心とする要塞を避けて、長府(ちょうふ)から山を越えで幡生(はたぶ)を経由して馬関(現在の下関)に至る遠回りの経路で鉄道建設が行われました。

(*1)英断としたのは、鉄道建設を急がせたことにより、1904年2月から始まった日露戦争の直前に「青森~下関(下関港)」の軍事輸送網が完成したことです。日清戦争(1894年~1895年)のときには本州の鉄道網の最西端だった広島の宇品港から船で武器や兵士を大陸に送らなければならなかったのです。・・・日清戦争の前に糸崎から広島・宇品港まで山陽鉄道を延伸することができたのも児玉源太郎が山陽鉄道を支援したからです。児玉源太郎次官(当時)は、目的達成のための優先順位のつけかたが並みの軍人とは違っていたのです。

(*2)下関要塞は関門海峡周辺全体を防備するためのものでした。九州側は富野、和布刈、高蔵山を含む小倉や門司の山々、下関側は火の山、霊鷺山などの山地全体を要塞化した巨大な要塞です。画像は山陽本線に影響した部分だけをピンク色に塗っていますが、下関要塞の全体像を示しているわけではありません。

また、北海道と青森県に設けられた「津軽要塞」も函館市の函館山などを含む津軽海峡全体を防備するものでした。

開業時の馬関駅(初代下関駅)・・・自宅所蔵の古写真からの引用です。

 

開業後、間もない下関駅(初代)の駅舎です。・・・自宅所蔵の古写真からの引用です。

 

旧・山陽鉄道の1等・食堂合造車(上)の外観と食堂室(下)の内部です。・・・自宅所蔵の古写真からの引用です。

食堂室の座席は8席しかなかったようです。奥の棚の上のシャンパンが気になります。

 

↑全盛期の山陽電気軌道の路線図

旧山陽鉄道(山陽本線)開通後よりも後に開業した山陽電気軌道の路線図です。(山陽電気軌道の路面電車は1926年から1971年まで運行されていました)

複雑な歴史を省略して、ごく簡潔に山陽電気軌道を説明しますと、国有鉄道(旧山陽鉄道を含む)が敷設されなかった彦島口~下関~長府および唐戸~東下関~幡生を結ぶ軌道線(路面電車)が山陽電気軌道でした。

このうち東下関(通称は東駅)から幡生までの区間は長州鉄道から山陽電気軌道が譲り受けた区間です。長州鉄道の路線のうち、国有化後に山陰本線にならなかった区間の一部です。

1971年に路面電車が廃止された後、山陽電気軌道がバスだけの会社になったため山陽電気軌道の社名をサンデン交通に改称したものが現在のサンデン交通です。旧・山陽電気軌道は旧山陽鉄道や兵庫県の山陽電気鉄道とは資本的な関係はありません。

 

今なお現存する山陽電気軌道(現在のサンデン交通)の電車!

高知県の「とさでん交通」で今も活躍する山陽電気軌道からの移籍車両を2019年3月の四国の旅のときに、たまたま撮影していました。

元・山陽電気軌道700形の「とさでん交通」700形です。1958年(昭和33年)製の車両です。

 

元・山陽電気軌道800形の「とさでん交通」800形です。1959年(昭和35年)に製造された元・山陽電気軌道700形の改良車です。

700形・800形は故郷の下関では12年~13年しか活躍しておらず、移籍後の高知に来てからの活躍期間が2020年4月現在で約49年になります。

 

そのサンデン交通が下関市から運行を受託していた下関市のロンドンバスの車内です。

2013年の乗車時に撮影したロンドンバスの1階席です。ロンドンのルートマスターも1階の後方はロングシートですので、大きな違いはなく、ロンドンバスの雰囲気がそのままでした。

違いとしては、天井の隅にパナソニック製の真新しい小型扇風機が取りつけられていることと、後述する降車合図用の天井紐(ひも)が下関市のロンドンバスでは使われていなかった点です。

 

下関市のロンドンバスの2階席です。扇風機と非常扉の増設を別とすれば、本場のロンドンバス(ルートマスター)そのものでした。

これは、今思い返しても、下関市とサンデン交通に対しては激賞に値すると思えるような、たいへん見事なロンドンバスの運行でした。

 

下関市のロンドンバス2階席の左やや前方の席に座って長府方面に向かっています。

画像はロンドンバスの2階席から見た「1915年(大正4年)竣工」の旧秋田商会ビルです。

 

ロンドンバスの2階席から見た安徳天皇を祀る赤間神宮です。

 

ロンドンバスの2階席から見た壇之浦古戦場です。

 

下関市のロンドンバスと比較のために、ロンドンの旧型ルートマスター(ヘリテージルート)の画像を入れておきます。(2016年9月)

ロンドンの旧型ルートマスターの2階席から見たチャリング・クロス駅の駅ビル(右側)です。

 

ロンドンの旧型ルートマスターの1階です。扇風機はありません。天井にある紐(ひも)が乗客本人が使用する降車合図用の紐です。

1階席後方は下関市のロンドンバスと同じロングシートです。画像に写っている人物はバスの車掌さんです。

 

ロンドンの旧型ルートマスターの2階席の一番前の席からの眺めです。下関市のロンドンバスと同じです。

 

ロンドンの旧型ルートマスターの2階席から見たラドゲート・ヒル(通りの名称)とセントポール大聖堂です。右側は15系統の対向区間を走る「ヘリテージルートバス」です。以上は2016年9月当時の運航状況でした。

【ロンドンの旧型ルートマスターのその後】

現状は、おそらく新型コロナウイルスの影響(運休など)が出ていると思いますが、今も予定どおりに運行されていることを前提にして書きますと、2019年3月に動態保存のヘリテージバスの運行が大幅に縮小されており、下記のような運行状況になっている模様です。

2019年3月2日以降は、ロンドン市内の「ヘリテージバス(旧型ルートマスター)の運行は15系統だけで、運行日も減る」というニュースが出ていました。

↓その英文記事を邦文に翻訳したものを転記します。(2019年1月のニュースです)

 『(ロンドンの)ヘリテージバスは土曜・日曜・祝日だけの運行になった。期間は3月の最後の土曜日から9月の最後の週末までである。その運行日にはルート15のヘリテージバスに乗ることができる。 これはおよそ60日(/年)で、2019年3月1日以前の6分の1未満の運行日数である』というような記事でした。・・・2020年4月現在では、必ずしも最新ニュースではないかもしれませんので、ご注意をお願いします。

 

路線バスではない観光用のバスツアー(アフタヌーンティーツアーバスなど)は運行(非常時を除く)されています。

バスの後方の建物はフローレンス・ナイチンゲールゆかりの聖トーマス病院です。フローレンス ナイチンゲール博物館が併設されています。(2019年4月・ロンドンのウェストミンスター橋)

 

フローレンス ナイチンゲール博物館(2016年9月)

 

ルートマスターをオープントップバスに改造したツアーバスです。(2016年9月・ロンドン市内)

(つづく)