広島駅前の広電電車 2020-04 -① | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

広島駅前の広電電車 2020-04 -①


新しい広島駅ビルが完成すると、広電の広島駅前電停は無くなるので、まだ広島駅ビルが建っている内に、最後の風景を撮ってみました。

とは言え、広島駅ビルの解体作業はこれから始まるので、広島駅前電停は5年近くは存在するのですが。

コロナウィルスの影響で、駅ビル工事の進捗も気になるところです。




まずは広島駅前の"市内電車のりば"のホームから、そして周辺からと撮りました。

広島電鉄は1912(大正1)年11月に広島電気軌道として、広島駅前~ 紙屋町~ 御幸橋の区間と、その途中電停の八丁堀から分岐する支線として、白島に至る区間が開業しました。

広島市内の繁華街は西国街道(旧山陽道)沿いに商店が建ち並び、今の本通商店街やえびす通り商店街となり、広島城の八丁堀から西国街道と交わるように歓楽街が発展し始めま、後に現在の流川通りや薬研堀通りになりました。




軍都として近代都市化されつつあった明治末期から大正時代、八丁堀~ 紙屋町間は国に接収されて陸軍施設として活用されていた広島城の、城壁沿いに走っていた路線です。

広島バスセンター付近には広島城の正門である大手門(一丁目口御門)があり、そこから陸軍関連施設のある千田町方面へ延伸し、明治天皇御行幸の最近地である御幸橋まで、第一次開業として結ばれました。

白島線沿いも広島城のお堀に沿って敷設され、京口門や裁判所など軍関連や司法関連を結ぶための路線として開業しました。




それから広島の市内線は己斐(西広島駅)や宇品(広島港)の他、横川駅・江波へと延伸しますが、その起点として広島の玄関口"広島駅"と共に広島駅前電停も、その歴史を歩みました。

そしてあと数年で、約110年の歴史に幕を降ろし、新しい姿へと変わろうとしています。

前述の繰り返しとなりますが、バックに建つ広島駅ビルの方が、先に解体されて姿を消しますが、この広島駅前の線路もまだここにある内に、これから時々ですが撮ってみようと思っています。




ただ、広島駅前周辺へ行く際には、やはり気がかりなのが、密閉空間を他人と共有せざるを得ないこと。

怪しい人の近くに寄らないよーに・・・・って、そんなもの見ても判らないよね。

行かないという選択肢が最善ではあるんですけど、3月7~ 8日と4月5日以外の休日は、全く外出せずの引きこもりなので、その辺は様子を伺いながら・・・・と言うところでしょうか。




撮影した4月5日、割かし長い時間ウロウロしたのですが、GL、GM、MAX、LEX、APEXに単コロと新型車の百花繚乱競演乱舞。

2000型や2500型は既に過去の車両ですが、3100型も今や線内車て、営業運転していること自体が貴重な存在。

あぁ、線内車とは宮島線内のみを営業運転する、ラッシュ帯波動輸送専用の俗称です。




当然、市内線へは直通しないので、広島駅前まで来ることは、通常ありません。

誰かが団体貸切で、広電宮島~ 広島駅前まで使ってくれたら、ダブルスーパーレアクラスな風景が見られますが、コロナウィルスが落ち着く頃には、広島駅ビルは無くなってますね。

もしコロナ禍がなければ、朝ラッシュに3000型の姿が、見ることもできたのでしょうか。



ノンステップ車両が通常化している現在、3700型、3800型、3900型、3950型というGL=グリーンライナーも、使い勝手の良くない車両。

近い将来には、淘汰される運命にありますが、両数から考えて意外と長く使われるとは思います。

何せ、線内車とは言っても3100型が現役ですもんね。

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しじみのお味噌汁、家で作ったことある?

しじみの日


さて、今日はしじみの日。

『しじみは昔から身体に良いって言いますもんね』

しじみ習慣のCM。

オルニチンは確かに、滞貯しているエネルギーを、燃焼させてパワーに変える働きがあるので、睡眠中の疲労回復の他、免疫力の向上や活動中の持久力保持に効果があります。

が、オルニチンだけでは脂肪がエネルギーに変換されないので、やっぱり偏らない食事を心がけたいですよね。

なかなか難しいけど。

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