(Pentax K-1・PENTAX-D FA24-70mm・F5.6・1/160秒・2020.1.3)
冬の高山本線をめぐる旅、1日目。
その2では坂祝から乗った下呂行きを飛騨金山で途中下車しました。
地方幹線の高山本線。長距離移動は特急列車が主体で、各駅停車だとどうしても乗り通せなくなってます。
乗って来た下呂行きで終点まで行っても、乗り継ぎは4時間待ち。
ゆっくり温泉に浸かるも良しなのですが、ちょっと気になっていた金山の街を散策することにしました。
扉のカットはホームから見た駅舎の壁。
美濃と飛騨の境をさす看板が掲げられてます。
平成の大合併で下呂市の一部となりましたが、合併前は岐阜県益田郡金山町。
旧金山町はもっと時代を遡ると、美濃国武儀郡、郡上郡、加茂郡と飛騨国益田郡が入り組んだ国境の町だったそう。
江戸時代には尾張名古屋藩、美濃郡上藩(のちに旗本知行地)、美濃苗木藩に
飛騨高山藩(のちに幕府直轄領・飛騨郡代管轄)の四藩が睨み合う、ちょっときな臭そうなエリアだったんです。
風情ある駅舎の飛騨金山駅の所在は旧飛騨国。
駅前通りを右折して左折すると金山橋が見えてきます。
飛騨川(右)と馬瀬川(左)のちょうど合流点になります。
かつて飛騨川はここから上流を益田(ました)川と呼ばれていて、左岸の橋台にその証しがペイントされてました。
ところでこの金山橋、だたのトラス橋ではなさそうです。(←そこに食い付くんかい!)
上弦材と下弦材の真ん中に副材が入って分格トラスになってますね。
ボルチモアトラスっぽいのですが、資料は探しきれませんでした。
橋を渡りきると旧美濃国。
商店が軒を連ねる通りを進むと旧飛騨街道に出会います。
中山道太田宿から高山を結んだ飛騨街道の宿場町で、
馬瀬川沿いを遡って郡上八幡へ抜ける和良街道の分岐点でもあった金山の街。
街道沿いは、昔からの古い家々が所狭しと並んでます。
木材をはじめとして様々な物資が集まり運び出される物流拠点だっただろうから相当栄えたと想像されます。
昭和の終わりまで営業していたお風呂屋さんの建物も現存していて、ふだんは内部の見学もできるそう。
おっと!国境警備隊のお方でしょうか。いぶかしげにこちらを見ています。
旧街道が国道41号線に飲み込まれる手前に鎮守山という小山があります。
せっかくなので登ってみましょう。
小高い山のてっぺんには小さなお堂。
お堂に相対して、なにやら像が立ってます。
両面宿儺(りょうめんすくな)と呼ばれるいにしえの鬼神。
日本書紀にも現れ、頭の前後に顔を持ち手足はそれぞれ四本ずつあったといいます。
天皇に服さなかったため武振熊命に討伐されたと記されていますが、
ここ金山には、37日間大陀羅尼を唱えて国家安全、五穀豊穣を祈念したと伝わっています。
飛騨地方には同じような伝承がいくつかあるらしく、
日本書紀とは違って民衆の味方として見られているようです。
街を見下ろす高台からいまでも住人達を見守っているのかもしれません。
登り口には井戸水を汲み上げる手押しポンプがありました。懐かしいなぁ~。
飲まないでくださいと書いてありますが、子供の頃実家の近くにもこんなポンプがあって
飲んでたような記憶がおぼろげにあります。
来た道とは別の道で戻ります。
前夜は雨が降ったのか道路がしっとり濡れていて、風情が増しますね。
ふたたび旧街道へ戻り、北の方向へ。
そうそう「筋骨」のことをすっかり忘れてました。
「筋骨」とは狭い路地のことを指します。
金山の街には数え切れないほどの「筋骨」が張り巡らされているそうです。
こんな細い路地も生まれ育った街に通ずるものがあります。
お目当てがあるので「筋骨」に迷い込んでみることは諦めて、さらに北の方角へ向かいます。
造り酒屋が一軒ありますね。あとで寄ってみようかな?
その4の前にお目当ての"ボツ写真館"と"鉄よもやま"を挿みます。
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