今日はKさんシリーズです。前回の予告にありましたが、1994年のC1266真岡鐵道入線当初、1999年のC11325復活2年目とSL重連など2回連載とのこと。いつものように代理投稿 by D51338
1994年3月は私、名古屋にいました。3ヶ月後に東京に転勤とは知らず(^^)
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Kです。初期の復活蒸機編、前回の秩父鉄道に続いては真岡鐡道を全2回でお届けします。
現在放映中のNHKの朝ドラ「エール」の舞台となっている福島県川俣町に保存されていたC1266が復活整備され、真岡鐡道線での運転を開始したのが1994(平成6)年3月27日でした。その直後、平日か休日かわかりませんし4月に入っていたかもしれませんが、当時小学生(次男は入学した年)の息子2人を連れて私Kは早速真岡を訪ねています。
① 真岡駅を発車するC1266。
画面左下のキロポストが "1/2 16"となっているので真岡で間違いないでしょう。C1266はヘッドマークやよけいな装飾もなく、実にスッキリとした好ましい姿で、白煙とドレーンで初対面の挨拶をしてくれました。
② 茂木-天矢場。現在の有料お立ち台のところでしょうか。当時は茂木駅の転車台が整備される前で、復路はバック運転でした。不思議なことに改めてネガを確かめても、往路は①しか撮影していません。一体どうしたのでしょう?息子たちを列車に乗せ、私も車で追っかけながら部分的に乗車していたのかもしれません。その割には列車内とかの写真も残ってないし・・・。
③ はっきりしませんが、いかにも七井-益子っぽい景色です。②と③を両方撮れてるので、車で行ったことは間違いないようです。この日の写真はこれだけしか残っていませんが、ローカル線らしい素朴なC12の姿を記録に残すことができました。
ここから先は1999(平成11)年5月5日の撮影です。C11325の復活と真岡鐡道での運行開始は1998年10月のことでした。真岡鐡道のSL重連運転実績をまとめていただいたサイトhttp://www.mokarailfan.com/m/6002.htm
によりますと、C11325の復活当初数年間は2001年の10回を最高に、月1回に近い頻度で重連運行が行われていたようです。というわけでC11325復活後何回目かの重連運転となるこの日に撮影に訪れました。
私Kの場合1995-99年は鉄道撮影の頻度はかなり低く、というのは息子2人が少年野球のチームに入り私も毎週末練習や試合の手伝いに行ってたもので、遠出をする機会がほとんど無かったわけです。ところが5月5日の子供の日は申し合わせにより全チーム少年野球の活動はお休み(現在も横浜、川崎ではそうしているようです)。息子たちの姿は写ってないので一人で行ったと思いますが(笑)、重連を撮影することができました。
④ 下館までのプッシュプルの回送、八木岡での撮影ですね。
⑤ その後追っかけて、折本を過ぎたあたりでしょうか。
⑥ さて、重連をどこで待ち構えたか定かでありませんが、久下田の前後のどこかだと思います。バックに筑波山を入れて、キハで練習です。当時のキハは今のスイカの前の世代。バスの車体構造を取り入れた富士重工製の車両で、国鉄から転換された第三セクター鉄道の多くに導入されていました。
⑦ 本命のSL重連も同じ角度で写したのかと思いきや、不思議なことに別角度の写真しか残っていません。⑥の画面右側の木のあたりをアップで切り取っています。客車わずか3両を重連で牽いているせいかもしれませんが、復活当初から真岡でのC11325は煙控えめだったようです。
只見線に行くと豹変するのですけどね。
⑧ 次の写真は、ゴールデンウィークなのにまだ菜の花が満開のところで撮りました。西田井の前後だろうと思いますが、⑥-⑧の写真、撮影場所おわかりの方は教えていただけると助かります!
⑨ 下り列車の最後の撮影は、天矢場のサミットの近くではなかったかと思います。景色の緑色は鮮やかなのですが煙は寂しいですね。
以降、この区間では駅発車からの上り勾配で力行が続く、市塙駅に近い場所で撮るようになりました。
次回に続きます。折返し時間に足を伸ばし撮影したJR烏山線と、SL重連の復路の模様をお届けします。