2002年・京都嵐山 | 鉄道で行く旅

鉄道で行く旅

鉄道旅行を中心としたブログ記事を投稿しています。

今回は趣向を変えて、かなり地味なブログ記事です。

2002年に京都の嵐山まで出かけたときの記録です。

嵐電(京福)の北野白梅町からモボ106号に乗って嵐山に向かいました。

 

北野線から嵐山本線への乗り換え駅の帷子ノ辻駅で見たモボ103号です。当時の、嵐電90周年記念「のり~なちゃん」塗装でした。

 

嵐山の保津川の下流部分の大堰川(おおいがわ)です。

保津川・大堰川は豪商でありながら河川改修の土木工事を得意としていた角倉了以(すみのくら りょうい)が1606年(慶長11年)に、それまでは渓流に過ぎなかった保津川の流れを、舟が通れるように改修して丹波と京を結ぶ舟運の大動脈に変えたのです。

 

少し前のブログで説明したNHK連続テレビ小説「エール」の古山裕一(こやま ゆういち)のモデルである古関裕而氏作曲の「露営の歌」の歌碑です。この歌碑がある大堰川(保津川)の右岸を上流に向かって進んでいきます。(2006年撮影)

 

保津川の急流が終わったあたりの場所です。

 

当時の老舗旅館「嵐峡館」に向かって坂道を登っていきます。

画像は上流から見た大堰川と渡月橋です。渡月橋の下流が桂川です。

 

2002年当時の嵐峡館(現在の「星のや京都」)です。

ここは夏目漱石が2度も泊まった旅館です。

夏目漱石の小説「虞美人草」にも大悲閣の温泉として登場します。

「嵐山も元とはだいぶ違ったでしょうね」
「ええ。大悲閣の温泉などは立派に普請が出来て・・・」

 

「大悲閣」の「大悲」というのは、以前の説明のとおり、観音(ここでは千手観音)を本尊とする寺院の堂宇のことです。

その近くにある嵐峡館が「大悲閣温泉」です。

京都市による嵐山の大悲閣(千光寺)の説明です。

大悲閣(千光寺)は保津川(大堰川)の開削工事で犠牲になった人を弔うために角倉了以が建てたものです。

 

江戸時代初期の作られた京都の高瀬川も角倉了以と素庵の父子が開削した運河でした。鴨川は段差があるため舟運利用には向いておらず、鴨川を改修するよりも新たに運河を開くほうが簡単だったのです。(2001年4月・高瀬川一之船入)

角倉了以が開いた高瀬川沿いの場所にある立誠小学校跡の建物の前に角倉了以の顕彰碑があります。(1999年12月)

角倉了以は京都の人々には豪商というよりも水運を開いた改革者・技術者として崇敬されています。

レリーフのように自らが石割斧を持って、工事に加わりながら陣頭指揮を執っていたそうです。儒教的思想からは遠く離れている、日本人らしい人だったのでしょう。

 

大悲閣(千光寺)から見た嵐山です。

 

大悲閣(千光寺)から見た嵯峨野観光鉄道(山陰本線旧線)です。

右奥に見えている山は愛宕山ではなく比叡山です。

 

今春(2020年)の嵯峨野観光鉄道は、4月8日以降5月6日までの間、終日トロッコ列車の営業運転を見合わせることを発表しています。

(2020年4月15日現在の情報です)

 

嵯峨野観光鉄道のDE10です。

 

2018年1月に梅小路で撮影した冬眠期間中の嵯峨野観光鉄道のDE10です。

 

同じく冬眠中の嵯峨野観光鉄道のトロッコ客車です。

 

京都駅1968-1971

山陰本線旧線の保津峡駅で撮影したC57牽引の上り普通列車です。(1969年4月)

 

保津峡駅

D51が牽引する下り貨物列車が山陰本線旧線の保津峡駅を通過するところです。(1969年4月)

 

嵯峨野観光鉄道の駅前広場にあったD5151です。(2018年1月)

2004年に京阪の「くずはモール」から嵯峨野観光鉄道の駅前広場に移ってきましたが、保存車としても老朽化が激しいため2020年に入ってから解体されたようです。

くずはモールから嵯峨野観光鉄道への移籍直後のD5151です。(2004年9月)

 

北方貨物線

現役時代のD5151(吹田一区)の僚機で同じデフなし「なめくじ」機だったD5178です。デフがないのは、機関車の主な任務が吹田操車場内の貨車の入換業務であったからです。

 

北方貨物線

D5151も、よく見たのですが、なぜかカメラで撮ったことがなかったようです。

 

このときも嵐山から阪急電車で帰りました。車両は2300系です。

 

身辺抄の番外編です。

この年齢になって、まさかの新規クレジットカードを取得しました!

1.上段のカード移行

阪急の「ペルソナ」から青色カード(割引カード)の廃止通告があったため、やむなく赤色カード(ポイント)に切り替えました。

割引カードが好きだったわけではなく、変更するのが面倒なので放置しておいたのです。以前は、これとは別に百貨店のお得意様カード(自主返納済み)も持っていましたし。

今回のペルソナカードの移行は、手続き上は移行ではなく「カードの廃止(解約)」と「新規取得(審査あり)」でした。低所得者なので『審査に落ちたらどうしよう?』と思っていたのですが、与信額も昔のままでした。

2. 下段のカード入手

WAONのオートチャージ機能を使いたいためにイオンカードを入手しました。

これまで使っていた「WAON POINTカード」の制度改悪(2020年4月1日から)もイオンカードの入手理由の一つです。

(おわり)