JR西広島駅 2020-04 -① | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

JR西広島駅 2020-04 -①


西広島駅周辺の再開発に伴って、建て替えられることとなった、JR西広島駅。

広電西広島駅の駅ビルは一足先に解体されて、現在は公園となっていますが、JR西広島駅の建て替えが完了すると、駅裏・JR西広島駅・広電西広島駅を結ぶ、プロムナードの一部となります。

さて、広電西広島駅は置いておいて、JR西広島駅の4月5日の姿をUPします。



解体工事のために周囲が白い矢板で囲まれてしまっていますが、建物自体はまだ存在していました。

この2枚の上の写真で、横断歩道が描かれている道は西国街道(旧山陽道)で、宮島街道ができる以前は、国道2号線でした。

基本、家から己斐へ向う時は、この旧道を使ってきたので、この位置から見るといつもそこに佇んでいた西広島駅でした。



駅舎の中を覗いてみますが、まだ建物の原形は留めていました。

上の写真は仮設壁の隙間から、下の写真は1番ホームから撮りました。

古い駅舎に後付けの"IC"のプラカードが下がっていますが、西広島駅でICOCAが使えるようになったのは2007(平成19)年からで、広島エリアで使用開始と同時でした。



西広島駅の開業は、山陽鉄道が徳山まで延伸した1897(明治30)年で、9月25日より営業開始しました。

営業は旅客列車のみでなく、貨物の取り扱いも行っており、現在の構内配線は貨物用が撤去された以外は、ほぼ変わっていません。

開業登時は神功皇后に因む地名をとって"己斐駅"と命名され、1906(明治39)年12月1日に国有化されました。



1945(昭和20)年8月6日に被爆しますが、駅舎は新築されずに改築となり、その後も近代化に連れて幾度も改修されて来ました。

改築・改修によるリニューアルを繰り返しているので被爆建物ではありませんが、基礎と骨格は山陽鉄道時代のまま、21世紀のこれまで明治・大正・昭和・平成・令和と広島市街の西の玄関口として歩みました。

西広島駅に改称されたのは1969(昭和44)年10月1日でした。



自販機コーナーと看板が貼ってある場所は、国鉄時代はKIOSKでしたし、隣のオレンジに塗られているエリアは、駅うどんのコーナーでした。

ここは駅うどんでなくなってからも、ずっと飲食店として営業してきましたが、私は昔の駅うどん時代はよく利用していて、醤油豚骨スープのラーメンが大好きでした。

一画にガラスで仕切られた場所がありますが、そこはみどりの窓口だった所で、最後にそこで買ったのは3月7~ 8日に、修善寺と伊豆急下田へ185系 特急踊り子を撮りに行った時の切符でした。



さて、ここからは裏口です。

表口は正式に南口で裏口は北口となっており、ウィキペデイアや一部資料で言われている西口は存在しません。

この北口のあるエリアは、国鉄時代は貨物ヤードで、1897(明治30)年9月以来ずっと車扱貨物駅でしたが、国鉄分割民営化より一足早い1984(昭和59)年1月1日、87年続いた貨物の取り扱いが廃止となりました。



貨物線路の撤去は早かったのですが、しばらくは空地として放置されていました。

先に駐車場として整備されますが、続けて北口が設けられ、それまで踏切を回って来なければ駅を利用できませんでしたが、山手の住人にやっと改札口が開かれました。

が、当初は朝夕のラッシュタイムのみの、簡易改札口でした。



西広島駅は管理駅として山陽本線の新白島~ 大竹間の各駅を管轄していましたが、2016年4月1日より宮島口駅へ管理駅が移転し、JR西日本広島メンテックによる業務委託駅となりました。

宮島口駅管轄の駅では唯一、エレベータの設置が行われていない西広島ですが、それはアストラムラインの延伸問題の紆余曲折によるものです。

アストラムラインの延伸ルート案は、現在終点の広島広域公園から五月が丘団地内へ2駅、ジ・アウトレット広島の敷地内に石内東駅(仮称)、己斐地区内に2駅を設置し、終点の西広島駅へと到達するもので、2030年頃の完成予定です。



広域公園前~JR西広島駅の7.1kmに6駅を新設と決定するまで、五日市駅接続案や新井口(商工センター)駅接続案など、誘致活動で紆余曲折してしまったアストラムラインですが、本通~ 広域公園が建設される以前の当初案は西広島駅接続予定となっていました。

その結果、貨物ヤード跡地が手つがずとなってしまい、広島市街の西の玄関口ながらも長閑な風景が広がっていましたが、やっと再開発に着手となった次第です。

最後の4枚は己斐中踏切から見た1番ホーム・2番ホームと、2番ホームから見た1番ホームです。



貨物の取り扱いがあった同時は、1番ホームと2番ホームの間に2番線があって、2番ホームは3番線でした。

JR化直後はここにズラッと広告板が立っているだけで、レールがあった形跡はありありだったのですが、それらが撤去された後もすぐに線路が再敷設できそうな状態でした。

今は様々な物が移設されている最中で、本当に西広島駅は変貌するんだなぁと、しみじみ感じさせられます。

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今の2番ホームは回送列車の退避や折り返しの停車のみに使用されていて、レール輸送列車やキハ40系の5連、トワイライトエクスプレス瑞風などが止まります。

昔、2番線があった頃は、今の2番ホームにはEF58の牽引する郵便列車が停車していました。

旧2番線には西広島駅で荷物を積み降ろしした貨車を解結したり連結したりするため、貨物列車が停車していました。


貨物列車が停車すると、踏切を塞いだままとなってしまうので、己斐本町踏切側は貨物駅へ引き込まれ、己斐中踏切は踏切の幅部分だけ切り離されて停車していました。

郵便列車も貨物列車も、止まっている写真がどこかにあるんだけど。

国鉄型車両も終焉が近づいているし、広島駅や西広島駅も生まれ変わってしまうし、そろそろ本腰を入れて探してみますかね。


ところで、土曜日の夕夜辺りから降り続いた雨ですが、120mm/hの豪雨の危険もありますと伝えられていましたが。

そこまで降らなかったのは幸いだったとは言え、32mm/hはなかなかな雨量です。

風も台風並みに強くて、冷たいくて。


4月中旬だと言うのに、ストーブに火を点けるぐらいでしたが、山間部では雪が積もったらしいです。

コロナウィルスの生命力は季節や気温に左右されないようで、暖かくなっても威力は衰えないと言われていますが。

人間の抵抗力という観点から見ると、気温が安定して高ければ基礎体温が上がるので、ウィルス自体の感染力は変わらずとも、発症率や重篤率・死亡率は下がるはず。


ストーブが必要なほど、台風並みに吹き荒れる凩なんかいらないので、早く4月中旬らしい気候に戻って欲しいですね。

今日のブログスタンプは、2月14日がバレンタインデー、3月14日がホワイトデーなので、その1ヵ月後をパートナーデーと、佐賀市が制定したらしい日。

パートナーと上手くやる方法は人それぞれでしょうが、上手くいっている夫婦とか観察すると、趣向や趣味、学歴、知識、性格、価値観などに共通点が無くても、人間としてのレベルが同じな人が良いようです。


男声から女性に、女性から男性にかかわらず、優しさや思いやり、愛情を示しても人間としてのレベルが違うと、相手がそれを感じないようで。

どんなにパートナーのことを深く愛していても、相手が愛されていると思わないのですから、長年積り積もって浮気や家庭内不和やDVへ発展し易いのカモ知れません。

ただ、DVの場合は人間性の欠陥という問題もあるので、一概には言えないようですけど。

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