このところ、出歩けなくなっているせいか、当ブログでも、ここ1か月の記事別アクセス数でも、乗り鉄や保存車両の記事へのアクセスが増えています。
1日も早く収束して、またいろんなところに出かけられるように願いつつ、出かけられない分は、懐かしい写真をどんどんアップしていきたいと思います。
ということで、前回の平成2年9月19日に撮影した続きです。
柏駅で数本撮影して、馬橋駅へ移動です。
馬橋駅の下り方突端です。
左は415系普通電車、右は緩行線の203系です。
これは、先程の203系を引きつけて撮ったものですが、柏駅で後打ちした東マト57編成が折り返してきました。
下りのL特急「ひたち」485系の7両編成です。
先頭車は、クハ481の300番台車ですね。
この当時、「スーパーひたち」が651系、小刻み停車の特急「ひたち」が485系で運転されていました。
とそこへ、総武流山電鉄のクハ71を先頭に、クハ71+クモハ1301の2両編成「あかぎ」が来ました。
そういえば、この当時の流電は、非冷房でした。
常磐快速線の下り線から、武蔵野線の短絡線に渡って来たのは、「新」EF65-1076牽引の貨物列車です。
ちょっと俯瞰気味で撮れば、ウネウネ感が伝わったかなぁ~。
EF65-1076・・・昭和52年10月東洋電機製で、新製配置は新鶴見機関区、国鉄民営化の際にJR貨物に継承され、引き続き新鶴見機関区に配属。
昭和62年~平成元年にかけて、長大編成の常用ブレーキを早く効かせる、「常用ブレーキ促進装置」の改造を受け、識別を容易にするため、ナンバーが赤地のいわゆる「赤ナンバー」に変更。
平成元年3月・・・乗務員の作業環境改善のため、助手席に冷風装置を設置
平成4年1月・・・ATS-SFの設置
平成17年・・・ATS-PFの設置
平成24年5月・・・省令改正により、100km/h以上で走行する列車には運転記録装置が義務付けられ、運転記録装置を取り付けた旅客用のEF65-1000番台と区別するために、原番+1000で、EF65-2076となり、JR貨物色に赤ナンバーで現役です。
武蔵野短絡線に向かって上っていくところを中途半端に後打ちです。
機関車の次位には、車掌室が設置されたコキフ50000が連結されています。コンテナの影になっていますが、車掌室が見えます。
車掌室の室内レイアウトは、ヨ8000に準じています。
昭和60年3月のダイヤ改正で、貨物列車の車掌乗務が廃止され、車掌車の連結はなくなりましたが、コキフは相変わらずそのまま運用されていました。
その後、車掌室がデッドスペースになっているので、車掌室は撤去され、コンテナ5個積みのコキに改造されました。
というわけで、コキフのフの成れの果てです。
これだったら、輸送費も抑えられそうだから、JR貨物のイベントで、一般向けに販売しても良かったんでないかなぁ~。
籠り部屋にピッタリです。
下りの普通2463M、水カツK81?(手前7連)+K5??(奥4連)の415系11両編成です。
続いて、武蔵野短絡線から降りてきたのは、EF65-1115牽引の14系700番台「サロンエクスプレス東京」です。
EF65-1115
昭和53年8月川崎車輌+富士電機製、新製配置は東京機関区
昭和60年3月新鶴見機関区へ転属
昭和61年11月田端運転所に転属、JR東日本に継承され、引き続き田端運転所配属
令和元年4月現在田端運転所所属
スノープラウが無いのがちょっと残念かな・・・。
昨年の段階では、残っていますが、予断は禁物ですねぇ~。
後打ちです。
「サロンエクスプレス東京」、当初は品川客車区所属だったこともあり、「品サロ」と呼ばれていました。
また、欧風客車として改造されましたが、その後稼働率が下がり、お座敷列車の需要が高くなると、お座敷客車に再改造され、「ゆとり」と愛称が変わりました。
平成20年3月9日、老朽化や、機関車付け替えの手間、速度面でダイヤ設定が難しくなることから運用離脱、以後のJR東日本の団体列車は電車になることに・・・。
2009年11月14日に、尾久車両センターで行われたイベントで撮影した展望車です。
その後、平成27年7月に長野車両センターへ廃車回送されました。
水カツK-820編成の415系7連による、上り普通2466Mです。
ちょっと判りずらいですが、先頭1号車から4号車までと最後部7号車が、ステンレス製の415系1500番台車、5号車モハ414と6号車モハ415の1ユニットが、従来の鋼製白塗装車です。
勿論、同系列ですから併結可能です。
続いてやってきたのが、ローズピンクも懐かしい、「田」EF81-56牽引の上り貨物列車ですが、下り緩行線の203系に被られました。
EF81-56
昭和47年9月・・・日立製作所製、新製配置は酒田機関区
昭和60年3月・・・長岡機関区へ転属
同年8月・・・田端運転所へ転属
昭和61年3月・・・長岡運転所へ転属、民営化の際、JR東日本に継承され引き続き長岡運転所に配置
昭和63年3月・・・田端運転所に転属
平成20年度に廃車
ちょっと後打ちしてみました。
水カツK-5編成、485系7連による、上りL特急「ひたち」です。
先頭のクハ481-1000番台のタイフォンは、暖地向けのスリットタイプです。
右隅に、千代田線の6000系がちょこっと写っています。
今回のラストは、武蔵野短絡線から常磐線上りに降りてくる、EF65-515牽引の貨物列車です。
EF65-515
昭和40年9月・・・東洋電機製、新製配置は吹田第2機関区
昭和42年7月16日・・・小郡機関区に貸出し
同年7月24日・・・吹田第2機関区に返却
昭和43年9月・・・新鶴見機関区に転属
昭和44年11月・・・広島機関区に転属
昭和48年10月・・・吹田第2機関区に転属
昭和59年1月・・・沼津機関区に転属
昭和61年11月・・・高崎第2機関区に転属、民営化後もJR貨物に継承され、JR貨物高崎機関区に配置
平成20年3月…廃車
この515号機は、EF65でも高速貨物列車対応のF型で17両製造され、近年は僚機が次々と廃車される中、最後の1両として孤軍奮闘していました。
次回からは、利根川を越えた向こう側が中心となります。