去る20.3.14、JR東ではダイヤ改正が行われましたが、
その中でも今回改正で最大のニュースは・
『東日本大震災以来不通だった、常磐線9年ぶりの全線再開』ではないでしょうか・
福島県・浜通りを走る大動脈、さいごの不通区間だった富岡~浪江間の9年ぶり再開通を祝い、先日乗ってきました。
この区間はご存知の通り、東日本大震災に伴う原発事故で取返しのつかない被害が出た区間でもあります。
この地域は2017年のツーリング始め『相双に桜は咲いたか』(vol.255 17.5.3up)の作で訪ねました。今作はいわば、その"続編"として常磐線列車で再度訪ね、数駅で途中下車し、2017年との変化も見ていきたいと思います
(※1.今作では震災被害状況の写真を掲載しています。不適当だと思われるかたはご覧になるのをおやめ下さい)
(※2・行ったのはコロナ緊急事態宣言の前、3月中旬です)
ダイヤ改正が行われた直後のある日、JR品川駅
いつも僕はこの駅で京浜東北⇔山手線の乗換をする、ホント『普段使い』の駅ですが、この日はここから”特別な列車”に乗ってみたいと思います
品川発、常磐線特急『ひたち』仙台行
全線復旧とともに、震災前3往復あった仙台まで走り通す特急ひたちも運転を再開しました
震災前は上野駅から出ていた『ひたち』ですが、不通になっていた間に”上野東京ライン”が出来、常磐線も品川まで乗入になっているので、"仙台ひたち"も品川発着で復活
12:45発の『ひたち13号』、この列車で不通区間を一気に走破し、仙台までの全線復旧を体感し、今作へ反映させたいと思います。
なお今作では、別の日に普通電車で同再開区間を撮ってきたので、途中から両日の写真を混載しながらすすめていきます。
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品川駅を発車したひたち号、都心を通り抜け、一路常磐路へ・
(※東京駅&上野駅停車、新橋通過)
使用車はE657系、グリーン車1両/普通車9両の編成ですが、普通車も含め全車指定席です。この”全車指定席”、JR東独自のやり方で運営していて、指定がとれなかった場合でも"座席未指定券"なる券を購入すれば乗る事は出来ます。国鉄時代の"立席特急券"の現代版みたいなものか(?)
(※中央線の"あずさ"等もこの方式)
で、未指定で乗った人はどうすればいいかというと、↑の座席上のランプを見て、緑のランプの席に座れとの事(※緑ランプは指定券以内客がいない事を示す)
これ、東海道線(JR東)等の普通グリーン車でもおなじみのランプですが、普通グリーン車と違うのは、乗客がsuicaをかざさなくても中央からの設定で点灯してある事。あと、↑黄色のランプは"指定券を持った人がまもなく乗ってくるから席を移れ"というサイン
まぁ、ひたちやあずさに乗る際は予め指定取って乗れ、という事でしょう
この"ひたち13号"の凄いところは、上野を出たら次は水戸までノンストップ、なんとも俊足、さすが”特急”です^
この"ひたち13号"で特筆したいのは、この時点で全国的に”絶滅危惧種”となっている車内販売があった事(※2020当時:上野~いわき間)
江戸川、利根川、小貝川・
次々を橋を渡り、取手や土浦等の主要駅も通過、ひたち13号はひたすら常磐路へ走ってゆきます
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水戸を出ると、ひたち13号は一転、マメに途中駅に停まりだします
ひたちの役割はあくまで”茨城県・福島県内への速達サービス”で、これに徹しているダイヤです
↑常磐線随一の難読というか『難書駅』の大甕(おおみか)駅、つづいて常陸多賀駅→日立駅と、いわゆる”日立3駅”全て停車
日立を出ると、車窓から海が見えてきます。
いよいよ"福島県浜通り"へ入ってきた実感が
高萩駅を出ると、茨城/福島県境へ
そして福島県最初の停車駅が、↑勿来駅
当別荘初期の作"勿来の関"で訪ねました(08.1.27up)
15:13、約2時間半で福島浜通りの主要駅、いわき駅到着
この後も引続き乗車し、仙台まで全区間をゆっくり味わったんですが・
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ここからは一旦場面を変え、冒頭前述の通り、別の日に撮ってきた普通電車で、今回新たに復旧した区間を途中下車しながら乗っていきます。
改めて、いわきから普通列車に乗り、今回開通区間を中心にみていくんですが、常磐線について改めて概要を簡単に
東京都・日暮里駅⇔宮城県・岩沼駅間、約340kmを太平洋岸沿いに結んでいる路線です(※列車の運転系統的には上野~仙台間を”常磐線”としています)
そのうち上野~取手間は首都圏通勤電車の区間で直流電化、取手以北は交流です
いわき以北は大部分の区間で単線になります(※一部複線あり)
車窓からは太平洋の大海原、美しい光景ですが、この海から9年前、信じられないような巨大な津波がここを襲いました。
今作で特にみていく『いわき~原ノ町』間には途中16駅あります。震災により全線不通になった常磐線、震災翌日には早くも日暮里~取手間・岩沼~亘理間が再開。南北両側から復旧へむけた動きが始まりました。
同線の北部では主に地震や津波そのものによる被害が甚大でしたが、これからみていく福島県相双地区は原発事故による困難地域指定により立入が出来ず、復旧工事に手がつけられなかったため、まずは除染から始める必要があり、全線再開までに9年の歳月を要しました。
今回の再開に合わせ新開業した駅もあります。
いわきから北へ7駅目、Jヴィレッジ駅です。
臨時駅としては以前からありましたが、今回の全通を機に常設化されました。Jリーグのトレセンとして当地につくられた"Jヴィレッジ"の最寄り駅ですが、震災後は復興工事の拠点として使われてきました。
一昨年(2018)年から、本来のサッカーのための使用が再開されたとの事です。けっこう乗降が見受けられました
さらに相双の沃野を北へすすむ電車、まもなく新開通区間です。
次第に民家が少なくなってきます。
電車は大き目の駅に滑り込みました。
富岡駅です(※双葉郡富岡町)
繰返しですが常磐線は震災直後から復旧工事が行われ、北(岩沼)と南(日暮里)の両側から徐々に再開していき、次第に不通区間は狭まっていきました。
南側では竜田~ここ富岡間、北側では小高~浪江間が2017年に再開。さいごに残った不通区間が、最も原発に近い富岡~浪江間(※約20km)だけになっていました。
そして富岡駅を発車、新開通区間へ入ってゆきます
真新しい線路と架線に希望も感じます。
しかし、車窓から外へ目をやると、その希望も萎えそうになります。線路の外は帰還困難区域、全く復興がすすんでいない、荒涼とした光景が広がるのみです。
新開通区間には途中、3駅あります(夜ノ森駅/大野駅/双葉駅)
まず、震災前から主要駅だった双葉駅で降りてみます。
同駅には震災前同様、特急ひたちも停車します。
改札の外にはどんな街が広がっているのか、見てみます。
改札口はありますが、無人でした(※簡易式suica改札機あり)
無人の事務室横には、乗車時に取る整理券発行機と↑大型画面の案内板があり、時刻や遅延時の案内等を遠隔で出しています
新開通区間は日あたり普通11本、特急3本を運転(2020)
代替バスの富岡~浪江便が日2本だった事を思えば飛躍的な利便性向上です。
美しく新築された↑新しい双葉駅舎。
新しい時代の相双地区にふさわしい立派な駅ですが、しかしこれから歩く駅周辺は、9年前の、あの日のままでした。これから歩きます。
駅前にあった↑商店。飲み物でも買おうと思ったら・
お店は廃業したままでした。自販機も9年前(2011)のまま、稼働していませんでした。駅のすぐ目の前でこの光景、はたして街中は・
きれいに完工していたのは駅と道路だけで、その周囲に広がる街は9年前のまま、無人の街でした。
それもそのはず、除染が終わっているのは駅前広場と一部の道路だけで、その周辺の街中は2020時点でなお未除染で、帰還困難区域のままでした。
全てが震災のあの日のまま、朽ちるに任せる街。
荒れるに任せた薬局の前には・
製薬メーカーのマスコットが寂しく置かれたままでした。
山門だけを残し、本堂だった所は更地になっているお寺。
一見新しそうな街並も、除染と取り壊しを待つ状態です。
沿道の駐車場には車が停められているのを散見しましたが、全て2011年から動いていない車です。全てのタイヤからはエアーが抜けてしまっています。
除染を終えた区画には、処理した土がうず高く集積されています。除染工事で膨大に発生するこれら除染土を最終的にどう処理するか、未だに決まっていません。
駅前から歩いてすぐに広がっているこの光景、大変つらいですが、これが原発事故の結果です。
2011年に起こった震災に伴う原発事故、廃炉作業にはあと数十年かかるとも言われます。双葉郡の多くの人は、今なお故郷を追われています。避難先でただでさえ不自由な状況の中で、双葉郡の人々は今回のコロナ禍を過ごしています。普段電気に頼った文明生活をしている我々は、この厳しい現実を直視し、双葉郡の人々への思いを致さないといけないと僕は思います。
この現実に際してなおも、一部の国会議員や電力会社は「経済のためには原子力も含むエネルギーミックスは必要」などと寝言を言っています。この双葉郡の現実を前に、よくもそんな事を言えたものだと思います。
国道6号を横切り、さらに海のほうへ・
駅から3km程で海岸に出ます。海浜公園まで行こうと思ったんですが・
残念ながら、途中までで通行止になっていました。
駅に戻る途中で、防災無線のスピーカーから放送が流れました。
「困難区域内へ一時帰宅している人は、必ず午後4時までにスクリーニング場へお戻り下さい」
駅前に戻ると・
ちょうど上野行のひたちが通って行くところでした。
見事に復興した鉄道と、未だ復興半ばの街中のギャップは、想像していた以上のもので大変ショックでした。この日の時点では、双葉駅前で営業している何らかの店や会社は皆無でした。
再び普通列車に乗り、もう1駅降りてみます。
双葉駅の2駅隣、夜ノ森駅です(※双葉郡富岡町)
駅内には、放射線量を示すメーターが設置されていました。
この駅前から見える光景は、双葉駅よりさらに深刻でした。
除染してあるのは道路だけで、すぐ沿道の建物はまだ困難区域のまま、そのためフェンスは道路のすぐ脇に張ってあります。
つまり、駅を降りても"どこにも行けない"状態でした(※2020.4現在)
前述の2017年の相双ツーリングの時にも立寄った、↑夜ノ森の桜並木。行った時はまだつぼみが膨らみだした状態でしたが・
駅の東口にあった1本だけ、早咲き品種なのか見事な満開でした。
震災前は桜まつりも行われていたという夜ノ森、まるでこの桜がひとりでその伝統を守ろうとしているようでした。
困難区域を仕切るフェンスの向こう側へ見せるように、咲き誇る桜。
今作タイトルに"相双に桜は咲いたか・続編"と付けましたが、震災や放射線に耐えた桜は、誰もいない駅前でたしかに花を咲かせていました
いつの日か、コロナ禍を克服して復興がすすみ、沢山の花見客が降り立つ夜ノ森駅になってほしいと願いつつ、後ろ髪ひかれてあとにしました。
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作ラストに、特急ひたち乗車記に戻ります
浪江駅を出て常磐線の北側へ入ったひたち号、相双地区北部の要衝、原ノ町駅に停車します(※南相馬市)
普通電車は、原ノ町以北は仙台地区の車両が登場します
その後相馬駅に停車すると、再びひたちは”特急ぶり”を発揮します。
相馬駅を出ると、終点仙台まで停まりません。途中主要駅格の山下や亘理、岩沼、名取等全て通過。↑写真は、津波の被害が最も大きかった新地駅付近で、線路を内陸に付け替え、高架化して復旧しました。
ひたちは夕暮れの阿武隈川を渡って、宮城県へ入ってゆきます
品川駅から約5時間、終点・仙台駅到着
福島県浜通りを貫く”復興希望の鉄路・”常磐線。普段僕は北千住~上野間で時々利用しますが、この線路は仙台まで続いているという事に今後は思いを馳せながら乗りたいと思います
コロナ禍で大変な現在の日本ですが、こんな時でも忘れてはならない事もある、という意味であえてこの時期にupさせて頂きました(※感謝)
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☆関連過去作↓
vol.255 相双に桜は咲いたか 2017年ツーリング始め
(17.5.3up)
https://ameblo.jp/maruwo26/entry-12269639034.html
vol.23 勿来の関(08.1.27up)
https://ameblo.jp/maruwo26/entry-10068361898.html
(※2022.12 2025.2 文一部修正)