













羨ましいのでリブログさせていただきました。
初めて寺泊を訪れたのはもう37年前…。
旅行ではなく仕事で訪れたのが最初でした。
当時19歳だった私は高校を卒業してすぐにトラックドライバーとなって1年ちょっと…社会人としてもトラックドライバーとしても駆け出しでした。
いまでも覚えているのは東京から4tトラックで寺泊まで荷物を運んできて荷卸しをした後で昼食を食べたときのことです。
当時の寺泊は現在とは違って荒涼とした寂しいところでした。
むかしむかしの時代にはここから罪人が佐渡島へ流されていたのですが、まさにそんな雰囲気を現代に伝える風を感じたものでした。
せっかく日本海に面した寺泊まで来たのだから美味しい魚を食べて帰りたいと、更地ながらトラックも入れるような広い駐車場のある料理屋さんに入ってみました。
夏の海水浴シーズンには「海の家」と化するのではないかという広い座敷に通されました。
たしか刺身定食が2000円でした。安くはないとは思いましたが、料理が運ばれてきてびっくり❕
大きな桶にたくさん盛られた魚介…新鮮で美味しくてもちろんごはんが足りなくて何杯もおかわりしました。あれで2000円は安い…。
さすがに満腹ですぐには動く気になれず、それを察知したのか女将さんが笑いながら「時間を言ってくれたらそのときに起こすからお昼寝してもいいですよ」と言ってくれたものですからお言葉に甘えて畳の上で昼寝をしてしまいました(学習能力の無い私は同じようなことを10年ほどのちにドライブで訪れた同じ新潟県の糸魚川市でもやらかします)。
開け放しの窓から優しく吹き込んでくる海風が心地よくて起こしてくれるまですっかり眠ってしまいました。
それから数年後、テレビ番組や女性誌などで取り上げられて寺泊にもバブルの嵐がやってきたことは風の便りに聞いてはいましたが…。
息子がまだ幼かった頃にドライブで訪れたときに見た光景は観光バスが列をなしてやってくる変わり果てた寺泊でした。
まだ平成のバブルが弾けた直後のことで、バブル期の余韻が残っていた頃だったから店先には人を馬鹿にしたような値札が掲げられていました。
初めて訪れたときの印象が良かったからガッカリして出雲崎まで戻ったところで裏通りの魚屋さんで浜焼をいくつか買って長野の親戚宅へ向かったことを覚えています。
他にも新潟県のドライブインや定食屋さんではいくつか思い出もあるので、機会があれば回想して記事にしようかと思います。

寺泊を通る鉄道といえばJR東日本・越後線なのですが、画像が無いのでもう少し西側の信越本線の鯨波~青海川間の画像で代用しました。