明光バス
和2あ2358
日野BD15P❓(1961年頃)
白浜  円月島

今回、紹介する明光バスポストカードの中で最も新しい車輌です。一見するとトップドア路線車に見えますが当時としてはごく標準的な観光バスでした。車体架装は金沢産業(キンサンコーチ)明光バスは好んでこのコーチビルダーでバスを製造しました。

明光バス
日野BD15P(1961年)
福山自動車時計博物館
2005年5月28日
外観の特徴からほぼ同車(か同型車)と思われます。

前面二分割窓オーナメントウインカーバンパー形状と類似点が多いですが、福山自動車時計博物館にある廃車体の車番が分からないので同車か判別が付きませんショボーン

明光バス
日野BD15P(1961年)
福山自動車時計博物館
2005年5月28日

フレーム付シャーシ構造で車輌中央床下にエンジンを搭載するレイアウトは自由な車体架装が出来る事からバス以外にも検診車馬匹車など特装車にも架装されるなど独自の販路を確立し、大阪市交通局など前後扉のバスユーザーには好まれました。
FOHの短い中扉対応シャーシがBD30前ドア対応シャーシはBD10を名乗り、エアサス車はBD14/BD34以降に設定があり、末尾にPが付きます。金沢産業、新日国車体が初期の標準でしたが次第に帝国車体の比率が増えてきます。BD系は1962年のBD15/BD35まで製造されています。
車内の静粛性や保守点検の利便性から次第にリアエンジンバスの登場を期待されて1960年にRB10が登場した後、フレームレスのBN長尺のBGBDの後継機となるBTへとセンターアンダーフロアエンジンの血筋は受け継がれていきます。

明光バス
日野BD15P(1961年)
車内
2005年5月28日

車内の座席は最後列と運転席に椅子が残っています。国鉄バスや在来線(東海道線113系など)でよく見られたブルーのモケットだったようです。
車内に置かれていた前扉も、窓の"間隔"を観ると絵葉書のバスとよく似ています。

明光バス
日野BD15P(1961年)
運転席周辺
2005年5月28日
運転席廻りの様子。至ってシンプルな構造で今ではコラムスイッチとなり操作が容易な各種スイッチはハンドル左側ダッシュボード下の引き抜きスイッチが並んでおり、これをON↔︎OFFします。
おそらくパワーステアリングは無く、送りハンドルすると反動でバーンと持っていかれますガーン


日野ブルーリボンについては、後輩である日野BT51の記事も併せてご覧ください照れ

『信南交通・日野BT51について』


バスバス登場した廃バスバスバス
⑥②明光バス
日野BD15P(1961年)
福山自動車時計博物館