国の戒厳令に従いずっと活動していないので、今回も想い出話になります。

 

2011年3月に東北大震災があった直後被災地に石油を運ぶ目的で磐越西線にデーデー重連が牽引するタンカー貨物が走りました。

 

沿線は別に原発周辺の立ち入り規制地域ではありませんが、沢山の被災者が出ている中お遊びで撮った写真をネットに公開するのは不謹慎だという風潮が広まり、ほとんどの方は自粛しました。

 

小生も友人と撮影に行き、やはり当時は公開しなかったのですが、あれから9年経ったので、ここで初めてご披露することにします~

 

撮影に行ったのは4月初めですが、まだ所々に根雪が残っていて暖冬の今とは大違いです。

 

臨貨の合間に国鉄型のキハが来ましたが、この頃はごく当たり前の光景でした。

 

デーデーは会津若松~郡山の電化区間もナナゴに交替することなく通しで牽引します。

 

 

クルマ鉄なので非電化区間まで追っかけました。

 

因みにこの時会津若松市内に宿泊しましたが、宿の近くで見事な看板建築の店舗を見つけました。既に休業していましたが果たして今でも残っているのでしょうか?

 

こちらも昔の銀行か病院風のとても威厳ある建物ですが、やはり使われていない様です。

 

その後2018年夏に山陽本線が水害で長期不通になった時、山陰本線にやはりデーデー牽引の迂回貨物が走りましたが、この時は皆さん堂々と写真を公開していて、それに対して特に批判は起きなかったようですね(^_^;)