山陰本線の田儀-波根間は線路に沿って走破することは不可能で、撮影ポイントは両駅付近の二つに分かれています。好撮影ポイントはどちらかと言うと田儀駅側のほうにありましたが、オダタギほどの風景を望むことは出来ないと思っていました。
ところが後年、山陰本線西部に国鉄色の気動車や特急「出雲」終焉の頃になると、田儀川を渡り波根方面に行った所に“島津屋”の集落の素晴らしい山陰の風景が広がっている絶景の作品を目にするようになり、自分の探索力の無さを大いに悔やんだものです。
増してインターネットが普及して“島津屋”の集落を現役蒸機時代から撮ってた方が複数人おられる事を知り、その撮影地を見定める秀でたセンスには本当に関心させられます。このサイトに何度かコメントを戴いたKさんも其の御一人で本当に羨ましい限りです。
山陰西部の朝は先ずC57が牽く546レから
1972年3月31日
3970レと離合する筈の561レは遅れが出て田儀駅で離合しなかったので田儀トンネルの飛び出しを狙いました。
1972年8月8日
田儀港の波止から
田儀駅の場内信号は通過を現示して、今ごろ田儀駅では561レのD51貨物が此の3970レが通過するのを待っている筈です。よほど暑いのか?機関助手や車掌さんが大きく身を乗り出して風にあたっている姿が確認できます。
1973年8月
この日の561レもD51833が牽引しています。
1973年8月
鄙びた漁村の上を走る急行「だいせん1号」
田儀漁港からでは逆光気味になり気動車なら何とか撮れましたが、蒸気機関車では真っ黒につぶれてしまいました。 1973年8月
これは波根側
波根駅から時雨空の下をトボトボと歩いてトンネルの手前まで歩いた時のことです。ここからは遠く久手にある掛戸の松島まで見渡せて、素晴らしい光景にそれまでの苦労が吹き飛んだ思いでした。
1973年3月
上の写真とほぼ同じ所を走っている544レを波根川から見たところです。機関車の機番も分からないようなこんな写真を好んで撮っていましたが、復活蒸機では絶対に再現できない此の風景は撮っておいて良かった風景です。
1972年8月10日
高校1年の冬休み、田儀駅西側のトンネル上にどうも上がれそうなので、山陰本線撮影行の締めくくりに一度行ってみることにしました。期待どおりそこは東に田儀駅構内、西に田儀漁港が俯瞰できる私好みの風景が広がっていました。 後に立派な公園が出来て、平成の時代には国鉄色気動車の名撮影ポイントになりましたが、この時は耕作放棄地のような所で、背の高い枯草で覆われた草地でしかありませんでした。
田儀駅を出てきたD51貨物は朝の1891レ。ホームには248Dの気動車が止まっています。
1973年12月29日
生憎の時雨空で露出も厳しく、コントラストは殆どない条件でしたが、西側に向いては素晴らしい風景が広がっていたので標準レンズと広角レンズを付けた2台のカメラを据えて撮りました。
DF50と共通運用だった544レも、この日はD51で来てくれました。
1973年12月29日
寂し気な漁村にD51の汽笛がポッと響きました。
1973年12月29日
侘しい漁村をD51が通り過ぎて行きます。絶対に再現できない昭和の良き日本の純風景。
1973年12月29日
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。