1930年に和歌山県白浜に創業したバス会社:明光バスの絵葉書がありました。


1957〜1961年頃、利用者に配られた(売られていた?)ポストカードです📮。

1936年5月、明光バス三段壁から大浦までの3.9kmの村有地を30年間借り受けてバス専用道の建設を開始します。これが明光バス専用自動車道で、専用道路は同年11月には最後の舗装も終り現地で盛大な竣工式を挙げました。

明光バスは新型21人乗りバスを用意し、臨海、千畳敷、三段壁を経て専用道路を通り、大浦廻りの遊覧バスの運行を開始しました。


明光バス
民生ディーゼルBR324(1954年)
白浜 平草原


民生デイゼルが1950年に初めて発売したリアエンジンバス「コンドル号」で車体架装は富士重工で架装されています。フレームレスモノコック構造で、KD3型2サイクルエンジンを横置きに配置し他のボディを架装するものも合わせてBR系を名乗りました。当時の富士重工製車体は米:GMC製バスを範としたためアメリカンスタイルで当時としては大きく画期的なバスでした。


開通したあと、1940年前後の明光バス定期観光バスについての評論の記録がありました。


専用道路の眺望絶佳、スマートな鴬嬢のガイドアナウンスもなかなか好評。一周十三哩のコースである。料金壱円也。


戦前には、バスガイドが小唄とアナウンスを織り込んだレコードも発売されていました。

大分県の亀の井バスでは戦前の別府地獄めぐりが作られて好評を博し、近年この音源がCD化されて話題となりました。


白浜湯崎温泉めぐり(新白浜小唄入)


   杉本君子(明光バス車掌)吹込
森本高子(テイチクオーケストラ)吹込
獨唱 生野静子
坂東政一編曲

 一,霞む白浜 いで湯の都
    黒潮列車が今日も来る
    花の浪花と白良々の空へ
    恋の旅客機(フオツカー)一と渡り


様御持遠様名勝めぐりで御座居ます。ご案内申し上げます。ここは名に負う歌まくら白良々の浜で御座居ます。

雪の色に同じ白浪々の浜千鳥 声さえさゆる曙の空 湯の香に明ける白浪々の浜 夕日にはゆる緑の松

誠に白砂青松の文字そのまゝのながめこそ白濱のシンボルで御座居ます。バスはトンネルを過ぎました これから先が湯崎温泉で御座居ます。古牟婁のいで湯とて日本最古の温泉場かしこくも斉明天智持統文武の天皇の行幸仰ぎし光栄の温泉街で御座居ます。有名な湯崎七湯をへて車はこれより温泉街を見下して山の景勝へとドライブ致します。うす霧む向ふはたしか切目沖かの大塔の宮様が浦の浜木綿幾重ともしらぬ波路に泣く千鳥紀の路の遠山びやうびやうと長汀曲浦の旅の路心をくだきなやませし切目王子や日の御崎夜は船路をまもるなる燈台の灯の廻転もまさしく見えるので御座居ます。 

皆様やがて参ります千畳敷や三段壁の波荒き日の有様はよせてわ返す白波の白銀空にまい上り萬雷ほへて岩を打つ誠に壮絶無比で御座居ます。

はい千畳敷につきました。此の正面は一望萬里はてしなき太平洋遠くアメリカと波つヾきで御座居ます。
 二,誰と行かうか  遊覧バスで
    波の千畳や   番所山
    夢のドライブ  心は燃える
    バックミラーの 片えくぼ

続いて京都帝大臨海研究所へ御案内申し上げます。向ふに浮かぶあの岩は円月島目がね岩とも申し舛右にまわれば徳川の鎖国は永く三百年其の夢破りし黒船をここで見はりし番所山今は楽しい遊園地 麓の桔梗平には龍宮城をそのまゝの水族館も御座居ます。附近の御見物をすませまして絵の様な田辺湾の景色を賞する事に致します。見渡す海は田辺湾行手に見ゆる真向ふの島は神島とはたけ島畏れ多くも今上の臨幸ましける光栄の島々で御座居ます。海の彼方の家並みは安藤公の旧城下町田辺町で御座居ます。

昔語りの武蔵坊弁慶出生の傳説や闘鶏神社 高山寺その他名勝旧跡も数ある町で御座居ます。江津良の浜続きに参りました皆様御覧下さいませこゝらあたりは浜木綿や水仙の自生地で有名で御座居ます次は東白浜で御座居ます向ふ海辺の建物は風光絶佳景絵の様な東白浜水族館魚つりの設備も御座居ます 。次は白浜桟橋続いて白浜温泉の中心地御幸通りで御座居ます。思えば昭和4年に我が大君の親しくも玉歩しるさせ給ひける光栄の御道筋で御座居すこれで一周十里海と山とを訪ね来て白浜湯崎温泉の名勝めぐりはすみました。

おつかれ様御機嫌よをさよなら

 三,木の葉がくれに漁火見えて
   暮れる湯崎の 三日月
   宵はホールよ 夜明けはホテル
   響け恋しの 波の音
                                  終り

 (昭和拾五年和歌山縣白浜温泉療養所ニ在院中記ス
 テイチクレコード吹込六一八七番号)


別府地獄めぐりの音源でもそうでしたが、最後の
"おつかれ様御機嫌よをさよなら"
と最後はバタバタと社交辞令的に終わってしまいます。

明光バス
日野BD32(1957年)
白浜 円月島

断崖絶壁を縫う岬めぐりのバスです。バス専用道路のため対向車もお構いなく急カーブをバスが行きます。バスの向こうに見えるのは白浜の景勝地:円月島です。
写真は日野ブルーリボン、日野BD32あたりでしょうか?前面は2枚分割窓、フロントオーバーハングの短い中扉専用車は乗合貸切兼用車かもしれません。前扉前側にサボを差しています。
車体架装は金沢産業で、明光バスが好んだコーチビルダーでした。BD33の場合は左側スライド窓後ろに縦長の固定窓があるのでBD32と鑑定しました。年式は1957年、エンジンはDS22(125ps)を搭載しています。1950年代のバス開発は日進月歩、そのためエンジンルーバーの配置や車体の特徴に型式が暴かれやすいのが特徴です。


こんなスナップ写真も入っています。