京成赤電とと阪神赤胴車、どちらかをブログで取り上げる時、必ず添える言葉があります。それは 「京成と阪神はクリソツだ」 ということ。それは幼少の頃からずっと感じていたことです。

正面貫通タイプで、赤とクリームのツートンカラー、そしてでこの左右に取り付けられた前照灯など、京成赤電と阪神赤胴車の類似点は数多あります。同じ線路幅ですし、車体長も確かほぼほぼ同じ18m級。このまま阪神電車が京成線を、京成電車が阪神線を走っても違和感は全然無いような気がします。さすがに京成青電と阪神青胴車は似てませんが、この呪縛は永遠に解き放たれ無さそうです。

 

古くから阪神電車の色は、特急や急行といった優等列車用は車体腰部が赤 (朱色) で、普通列車は青となっていました。以前にもお伝えしたことがありますが、当時の人気漫画 「赤胴鈴之助」 が赤胴車の由来と言われており、その歴史は1958年まで遡ります。因みに、青胴車については最初から 「青胴車」 と呼ばれていたわけではなく、 「普通列車用車両=ジェットカー」 という図式が出来上がっていたので、最初は 「ジェットブルー」 と呼ばれていました。これはおそらくジェットカーの試作車両である5201形の5201-5202がステンレス車体だったことから、 「ジェットシルバー」 って呼ばれ方をしていたことに端を発するのでは無いかと思われます。

 

画像をよく見ると、先頭車両は 「7821」 と読めますので、7801形であることが判ります。

1963年から1971年までに90両が製造された優等列車用車両で、電動車が7801形、付随車が7901形を名乗る事実上の2両1ユニットで、これを2組つないで4両で編成を組んでいました。

7801形は大きく3つのタイプに分類することが出来、画像の7821号車 (7921号車) は初期グループに分けられます。

初期グループは非冷房+片扉で、1969年度製造分の中期グループは非冷房であるものの、両開き扉が採用され、1970年以降のグループは新製時から冷房が取り付けられています。片開きを両開きにするのはムズいですが冷房化は容易く、7821-7921は1973年に冷房改造されています。後に7801形の2両固定バージョンである、7861 (7961) 形が登場し、これが最後まで残った赤胴車じゃなかったかと思われます。

冒頭、 「赤胴車は優等列車専用」 って申しましたけど、例外で普通列車仕業にも充てられました。それが支線運用。

武庫川線と西大阪線がその代表格 (・・・といっても、阪神の支線はこれしか無いんですけどね) で、武庫川線もl西大阪線も普通列車しか走らないんだから、青胴車で事足りるだろうと思うんですが、本線ほどロケットスタートが要らないので、優等列車用車両の中でも3000系列を充てていましたよね。知らない人の為に申しますれば、西大阪線は今のなんば線になります。阪神の大阪中心街乗り入れはある意味、エポックメイキングな出来事でした。

 

さて、画像ですが、 「1975年1月、打出-芦屋間で撮影」 と記録されています。

背後に六甲の山々が見えますので、画像右が梅田側、左側が三ノ宮側になります。

まず、この打出-芦屋間ですが、20年近く前にここでテレビ番組企画でTOKIOが阪神電車とリレー対決をやっていますよね。当時のビデオを観ますと、この築堤とガーダー橋も映っていますので、ここで間違いないと思います。 「阪神ジェットカーに勝てるか?」 ということで、結果は1勝1敗でした。

そして、1975年撮影ということは、我らが石野真子さんもリアルタイムではないかと思います。

当時、真子さんは尼崎にある有名女子中学に通っていましたが、あるファンからの情報ですと (殆どストーカーですけどね) 、真子さんは芦屋から今津まで阪神を、今津-西宮北口間を阪急今津線、そして西宮北口-下車駅を阪急神戸線を使って通学していたのだそうです。さすがに今も昔も今津には特急は停まりませんが、思いを馳せると、我々も懐かしく感じる今日この頃です。

 

【画像提供】

い様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.940 (電気車研究会社 刊)

キャンブックス 「阪神電車」 (JTBパブリッシング社 刊)