頑張れ支線(盲腸線)の旅14 近鉄天理線(最終編) | としのブログ

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前栽ー天理


前栽駅周辺の地図です。


前栽駅の駅舎です、ホームとは地下通路で繋がっています。
歴史は、天理軽便鉄道が開通したと同時の1915年(大正4年)に開業した駅で、1日の利用客数は約4,000人と、二階堂駅より少し多いが増えていく期待は余り無いようです。


前栽駅のホームです、島式の1面2線のレイアウトで、ホーム長は6両分で単線時代は棒状の1面1線で交換は出来ませんでした。

前栽駅東側の県道51号の踏切から東方向を見ます、県道と言えども道幅は狭くまだまだ田舎です、駅に車寄せも無く雨の日などお迎えの車は大変かなあと要らぬ心配をしてしまいます。


踏切の南側には、お地蔵さんにしては立派な「雲井寺厄除地蔵尊」が有ります、神社仏閣が大好きな私は立ち止まらない訳には行けません。

話によるとこのお地蔵さんに祠が出来たのは最近らしい。



前栽駅から終点の天理駅に向かいます。



終点の天理駅に到着です。

天理駅の地図です。

今回の旅の最終駅、近鉄天理線の天理駅に到着です、駅番号はH34で、平端駅が天理線がH32 橿原線の平端駅がB32で、京都線と橿原線が「B」を使い京都駅から平端駅が32番目と言うわけです。
ちなみに奈良線は「A」、大阪線は「D」です。
ただ面白いのは、京都線と橿原線を中心に番号を振ってあって、奈良線の大和西大寺駅はB26で、大阪線の大和西大寺駅はA26と同じ番号ですが、奈良線の一つ大阪寄りの菖蒲池駅はA21で、奈良寄りの新大宮駅はA27になります。

脱線したのでまた天理駅に話を戻します。

ホームは、始発駅又は終着駅らしく頭端式(櫛形ホーム)の4面3線のレイアウトです。
何か懐かしい感じがしますね。

駅の西側には引き上げ線があります。

駅舎は、JR天理駅との共同駅で南にJRの改札口があり、JR天理駅は改札口が1階にホームが2階にある高架駅です。
そのJR天理駅の1日の利用客数は、約3,000人と駅の規模にしては非常に少ない。

ガンバレ天理高等学校の垂れ幕を挟んで北側に近鉄天理駅の改札口があります。(コロナ菌が流行る前に訪れたので、選抜高校野球が開催される予定でした)
一方、近鉄天理駅の1日の利用客数は、約10,000人とJR天理駅とは比べ物になりません、これは天理軽便鉄道が出来た理由にあり、大阪から行く場合JRは遠回りしているからでしょうね。

駅東側のロータリーは広大な敷地があり、流石天理教のメッカです。

一方、駅の西側に回ると東側に比べてショボく、駅名表示板もショボいです。

駅の西側にある田井庄池公園にある蒸気機関車 D-51 691号車が静態保存されています。

また、D-51に繋がれている国鉄時代の客車 オハ61型も展示されています。

その説明書きです。

近鉄ラグビー部のLINERSのラッピングされた9020系が入線して来ました。

さあこれで近鉄天理線の旅も終わりです。
天理教がこの地にある限り近鉄天理線は安泰だろうけど、もっと乗客数が増えるのは厳しそう、頑張れ支線である。

[番外編]
平端駅から200mほど北に行った所に、前回の筒井順慶の墓があります。

地元の英雄、筒井順慶の墓がこの五輪塔覆堂です。

1944年(昭和19年)重要文化財建造物に指定されました。