だいだらボッチの激安おでかけバンザイ

都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。


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碓氷峠アプトの道で廃線ウォーク

最近鉄道好きになったもので、若い頃にあった新線や廃線等の出来事に当時は全く興味を持たず、歳を重ねてから後付けで情報を知ったオヤジながらも後追い世代の鉄道ファンの僕。
なので今更になってあの時リアルタイムで見に行って体験しておけば良かったという後悔も多々あります、その主たる場所(路線)はやはり分断前の信越本線。

現在の信越本線
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信越本線の分断と解体

現在の信越本線は高崎~横川・藤ノ井~長野・直江津~新潟の分断された3区間のみで、その他の区間は第3セクターに経営分離、北陸新幹線開業に伴い幹線の役目を譲った形になりました。
中でも(上路線図)群馬と長野の県境×印は廃線箇所、そうですここが日本の鉄道史において重要な意味を担っていた「横川~軽井沢」碓氷峠、最大勾配66.7‰(パーミル  1000m進むと66.7 m登る勾配)に鉄道関係者が果敢に挑戦してきた歴史があります。

明治時代になって、東京と京都・大阪を結ぶ幹線鉄道は中山道に沿ったルートで建設がはじまりました。しかし難工事の連続で、完成しても運転時間がかかりすぎることがわかり東海道線を先に建設しました。
一方で本州を横断する上野~直江津間の鉄道建設が急がれましたが、そこに立ちふさがったのが碓氷峠でした。

【引用先】鉄道文化むら資料館パネル

両区間はわずか11.2Kmの距離ですが、群馬県横川側の標高386mに対して長野県軽井沢側の標高は939m、急な勾配を登り切りそして安全に降りる事の出来る線路と列車が必要になったのです。
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1891年(明治24年)最短ルートとなる中尾線ルートをアプト式で建設することが決定された。アプト式とは線路の中央にラックレールという歯形の軌条をおき、 機関車の車体の下に取り付けた歯車をこれとかみ合わせ走らせる登山用の鉄道で、 ドイツ人のローマンアプト氏が発明したものです。

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碓氷線概史 −66.7の軌跡−

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アプト式時代信越本線碓氷峠写真電気機関車ED42

 

・旧線(アプト式)
1893年(明治26)4月~1963年(昭和38)年9月
アプト式を廃止し補助機関車(EF63)の重連で粘着(通常)運転を開始よって旧線は廃線
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国鉄EF63形電気機関車 - Wikipedia

・新線
1963年(昭和38)年9月~1997年(平成9)年9月
北陸新幹線開業により廃線
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北陸新幹線 - Wikipedia

新旧線共々に現在は廃線、それだけ危険で費用のかかる難所だったのです。

 

アプトの道

現在遊歩道として散策出来るのが旧線跡のアプトの道、横川駅から旧熊ノ平信号場までの片道約6kmの道です。
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横川駅改札前で撮影、峠の釜飯で有名な「おぎのや」さんは本日は臨時休業。
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ここは以前軽井沢へ繋がる線路でした
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軽井沢行きのバス停、本数はかなり少なめ、やはり高崎から新幹線で行くのが王道なのでしょう。
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バス停そばにアプトの道入口があります、モチロン無料!
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廃線の線路をEF63が試運転しております

EF63  横川~軽井沢間の運行の為だけに製作された機関車、別名「ロクサン」「峠のシェルパ」碓氷峠を越える列車に2両で連結(重連)、登りは最後列から列車を押し上げ、降りる時は最前列でブレーキ役を果たしました。

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土日は先の峠の湯までトロッコ列車が運行する生きた線路なのです。
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碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」

そして一般の方々のEF63の体験運転が可能(研修を受けます)今日は試運転をしておりました堂々と動いているEF63に感動。
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写真左側は鉄道文化むらで静態保存されているEF63
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途中鎮魂碑がありました合掌
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碓氷峠は古代より要衝嶮難の地として、東海道箱根の天嶮と並び称されていました。この地に明治18年より碓氷アプト式鉄道の建設が開始され、当時の富国強兵の国是により太平洋と日本海を結ぶ鉄道として距離11.2km、26のトンネル、18の橋梁、高低差553mの碓氷線が1年9ヶ月の短期間で開通しました。当時の技術を考える時、おそらく人海戦術であったろうと想像されます。この難工事に全国各地より工事人夫が集められ、多数の犠牲者があったと言われています。その慰霊の為、鹿島組の招魂碑が建設されたものと推測されますが、時久しく路傍の片隅で寂しく眠っておりましたので、この度鎮魂碑建立を機会に同地内に移転し、遠い異郷の地で殉職した方々を合せて慰霊いたしました。

再び歩きはじめます
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振り返ると若干の下り坂ですが、長編成の列車にとってはこれでもかなりの急勾配。
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しばらくすると丸山変電所が見えてきます
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確氷線電化の特徴は第三軌条方式にしたことです。 これは線路脇の地上より高さ約60cmほどのところに架線を引き下面接触により機関車は、集電子より電気をとっていました。確氷線のトンネル高は4250mm と低く漏水個所も多く、営業運転をしているなかでのエ事であったため、ニューヨークのセントラル鉄道の第三軌条を参考にしたものです。 危険防止のため第三軌条には木で覆いがしてありました。

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旧丸山変電所について
丸山变電所は、明治45年(1912年)碓氷線を走る機関車の電化に伴い造られたものです。確氷線とは、信越本線の横川~軽井沢間の通称です。信越本線は日本の近代化を担う重要な鉄道のひとつでした。碓氷線は日本で唯ーアプト式を取り入れ、日本一の急勾配である碓氷峠(66.7%)を越えていました。
しかし、遅い速度・低い輸送力・トンネル内での煙などの問題に悩まされていました。これらの問題を解決するために、日本で最初に電化されました。丸山変電所の役割は、発電所からの電気を機関車に供給することでした。昭和38年(1963年)新線開通に伴い丸山変電所はその役割を終えました。
その後丸山変電所は日本の近代化に貢献した鉄道施設の様子をよく示すものとしての価値が認められ、平成6年(1994年)12月7日に国の重要文化財に指定されました。そして平成14年(2002年) 7月に修復工事が完了し現在に至っています。

丸山変電所は2棟の建物から成っています。向かって右側の建物が蓄電池室、左側の建物が機械室です。
蓄電池室には、機関車が峠にかかる時に必要な電力を補うため312個の蓄電池が並んでいました。

変電所を先に進むと線路跡は通行止、左折して線路下をくぐり抜けアプトの道は進みます。
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旧線(左)と新線(右)の分岐点、写真左の建物が峠の湯、入口手前に休憩所と飲料の自販機があります、この後は自販機は無いので必要なら購入をお勧めします。
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ここからがアプトの道本番、碓氷第1隧道入口。
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トンネルの中は涼しくて夏場だったら天然のクーラーで気持ち良いでしょうね。
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トンネルを抜けると碓氷第2橋梁、写真で見ると崖を降りて正面からの写真が撮れそうなのですがメチャクチャ急坂で危険、道を外れるのはいけません。
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第2隧道入口には線路らしき物、急勾配を頑張りながら走る機関車を想像して想いを馳せてしまいます。
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第3・第4隧道は出口の明かりが見える割と短めのトンネル
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左側には国道18号線が見えます、歩行者には全く優しくない道。。ここら辺で日が暮れてしまったらかなり焦ってしまいます…ゆとりのあるスケジュールを心がけたいものです。
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若干長めのトンネルの第5隧道、ここを抜けると有名な碓氷第3橋梁、通称めがね橋です。
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明かりが見えてきました
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碓氷第3橋梁(めがね橋)

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立入可能な場所から外観を撮影
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長さ 91m、高さ 31m、 確氷線最大のレンガアーチ橋。使われたレンガは202万8千個で、深谷、 川口から運ばれました。明治25年4月から基礎工事を始め9月25日は橋脚が完成し、その後アーチ部分のレンガを積み始め、同年12月5日には完成したといわれています。 明治27年の地震で橋脚の一部にひびが入ったため、その後2年間で補強工事が行なわれました。その為、アーチリングも太くなり、当初のスマートさはなくなりましたが、その後の重い列車の通過にも耐えられました。

 

第一橋台(横川方)は地盤が固く簡単な基礎で済みましたが、第二橋台(軽井沢方)は地盤が軟らかかった為、 下からトンネルを掘り、固い地盤を見つけ、 その上に楕円状のレンガの基礎を造り橋台にしたと言われています。 第三橋脚(軽井沢方)も同じように地中深く橋脚が埋められています。 橋脚には細長い石が縦に入っており (強度を高める為、 現在の鉄筋の代わり)橋梁の上部は軽量化の為 (水抜き穴の上部、 現在でもその機能を十分に果たしている) レンガ屑や石炭ガラで埋められているといわれています。

下に降りる階段があります、下は国道18号で車でのアクセスも可能。
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ここが撮影スポット、結構車と人が行き交う場所なので注意しながらの撮影。
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レンガ造りの堂々たる建築物で重要文化財
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でも…僕の写真はこんなもんです💧
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橋の上に戻ります
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向こう側には新線の橋が見えます、あちらもこちらと同様に廃線なのです(>_<)
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橋梁の説明や昔の写真が展示(?)しております、以前訪問した時にはボランティアのオジサンらしき方が観光客に色々と解説しておりましたが今日はお休みみたいです。
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以前のアプトの道はここ碓氷第3橋梁まででしたが、2012年(平成24年)3月に旧熊ノ平信号場まで延長しました。

旧熊ノ平信号場

橋にサヨナラして第6隧道に入ります
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外が見えます、なんだか学生時代に苗場スキー場へバスで行った時、外が見えるトンネルが連続してあった事を思い出しました。
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碓氷第4橋梁…僕はカワイイ感じがして好きですよ(^^;)
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第7隧道と第8隧道は同じ山で、工期短縮のため山の途中からも掘りトンネルを2つに分けたものです。
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この部分からも掘ったのですね、工期短縮を煽られてヤケッパチ感いっぱいで掘ったのでしょうか?
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そして第6橋梁、第5橋梁はいったいドコにあったのでしょうか?見落としてしまいました…
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帰り道の時に第5橋梁を見つけました(^_^)ノ
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第9隧道
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第10隧道
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出口には旧熊ノ平信号場が見えます
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勾配が続く横川~軽井沢間において束の間の平坦な場所、階段だったらエントランス部分、新線(写真左)もここを走っておりました。
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信号場から駅に昇格しながらもやがてまた信号場に降格…信越本線に翻弄され続けた場所、今でいうと正規雇用と非正規を行ったり来たりする感じなのでしょう(x_x)写真は熊ノ平変電所バリバリの廃墟、これ天気が悪い時はマジで怖い場所ではないのでしょうか?
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ここ熊ノ平信号場では過去に脱線・崩落事故が起こった場所でもあります。
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1918年(大正7)
軽井沢側から退行しながら10箇所のトンネルを通過暴走して熊ノ平駅の引込線に突っ込み、第10隧道終点側出口壁に衝突し列車は転覆して大破。

1950年(昭和25)6月は碓氷峠周辺で降雨が続き、6月8日の午後8時半頃に熊ノ平駅構内の第10号トンネル北側で約3,000立方メートルの土砂が崩壊して本線・突込線が埋没した。
この時点で人的被害はなく、作業員を160人による復旧作業が開始、しかし含水量が多いことなどから作業が難航した上、翌日その上方で7,000立方メートルほどの崩落が発生し、作業中の人員や宿舎4棟・8戸が埋まった。

ご冥福をお祈りします
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様々な犠牲を伴いながらも急勾配を克服していった場所です。
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残念ながらここから先は立入禁止、軽井沢駅に繋がる線路が廃線とは信じ難いものがあります。
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数々の歴史を刻んだ線路だからでしょう、新幹線に役目を譲って廃線となりましたが、偉業と犠牲者とご冥福は後生にも語り継がれて欲しいものです。

 

帰り道に碓氷湖

第2隧道と第3隧道の間に景色の良い湖があるので帰り道に立ち寄りました。
碓氷湖は碓氷川に建設された坂本ダムによって形成される人造湖(ダム湖)
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碓氷湖手前にコーヒーハウスがあるので、登ってみたら飼い犬2匹にワンワン吠えられてビックリ。
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(アプトの道に)戻れなくなり、仕方なく歩行者に優しくない道から碓氷湖に向かいます。
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アプトの道の帰り道はまだまだ長く見るだけが湖を一周するか迷いましたが、疲れついでに一周しようと決意。
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約20分程度で一周です
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かわいいイラストの割には過激なお知らせです(>_<)
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橋を渡ります
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良い景色です
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トンネルもあって何だかアプトの道を意識したルート
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この橋もアプトっぽい
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ゴール近く坂本ダムの階段
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ダムの上を通ってゴール
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ただし本当のゴール「横川駅」は約4.2km先、まだまだアプトの帰り道を歩かなくてはいけません(ノД`)