情報・写真提供を戴いた謎様から追加の写真提供がありましたので、京都市電北野線の代わりに導入した京都市バス初のワンマンカーいすゞBR351について観てみましょうニコニコ

現役当時の京都市バス491
京2あ・491
いすゞBR351(1961年)
1961年
京都市交通局
北野線廃止代替バス
いすゞBR351(1961年)
2017年8月26日
写真提供 謎様

某所に2輌並んで置かれているいすゞBR351の廃車体で森のなかに眠り続けています。窓ガラスは割れ落ちて現在では放置状態。何の目的でこの場に置かれているのか分かりません。
このような場合は現場休憩所資材置き場か…幸いな事に車体は改造されたり塗り替えられておらず現役当時の姿を残しています。


奥ゆかしいグリーン京都市バスカラーは森のなかではカムフラージュのよう。



このマークは今も変わらない京都市の市章。1961年式だと、当時の乗合バスの寿命は5〜10年程度使用されていました。単純に1970年まで活躍すると推定すれば既に半世紀、この森に眠り続けています?


NSKのロゴが読めます。西日本車体架装車で、刻印から製造年や製造番号が読めますがこの写真からは読みとれませんショボーン


西日本車体は西日本鉄道の傍系会社で、戦後は社名の通り滋賀県以西(沖縄県を除く)の各地でその姿が見られ、一部ではKD生産を含み静岡鉄道や横浜市交通局・仙台市交通局などにもその姿が見られました。
この車輌は1955年頃にモデルチェンジされたもので、後のボディスタイルの基本を確立しています。側面窓の隅にRがあるのが西日本車体の特徴です。1961年ごろに他メーカーに準じたマイナーチェンジが行われ、正面窓が連続窓になりました。


浜松市交通部No.326
靜2あ3073
いすゞBR351(1962年)
浜松市交通部
1963年1月

川崎航空機製車体を架装したいすゞBR351の一例。いすゞBUで架装されたいすゞKBX車体登場直前まで製造された車体で、いすゞBU登場時はこの車体で、いすゞBR20やBX731、BXD系のほか、日野・三菱架装車には1966年頃まで架装されました。
扉配置は中扉引戸で当時の都市型バスで普及が始まったラッシュバス仕様(横引幅広ドア)となっています。正月に撮影されたのて、正面にしめ飾りを付けています。


浜松市交通部No.323
靜2あ2927
いすゞBR351(1961年)
市役所前

浜松市役所前交差点をゆく浜松市営バスは浜松市所蔵の1枚です。乗降扉は中扉折戸ツーマンカーです。最後部窓の固定窓の形状が変更され1963年頃のいすゞBX731〜BXD30と車体形状に特徴がよく似ています


この廃車体で特徴的な点は、最前部(写真右側)と最後部(写真左側)の車体加工が対照となっている点です。


川崎航空機製車体では、いすゞBXD30みたいに3分割窓なんですが、このクルマはまるでこちらが正面のような、当時としては大きな1枚窓です。

これは前後共通ボデーと云って、高度成長期は爆発的な自動車の増加に伴い交通事故も増加してしまい、車体前後を共通設計することで事故復旧の際の部品数を減らして経費低減を図りました。ピラーやクロスメンバーなどの車体骨格を自前でストックするバス会社もありました。


テールランプはバス協型テールランプを使用していますが、ギリギリ年式が付合しません。後年の改造かもしれません。テールランプ下の丸いオーナメントはいすゞ自動車のオーナメントです。

🔵いすゞBR351諸元一覧🔵


型式                       BR351

製造初年                1961年

寸法(長×幅×高)      9,650 × 2,450 × 3,050

ホイルベース          4,800㎜

車輌総重量            10,935kg

定員                       77名                

エンジン                 DA640T(170ps/2600rpm)