前回の利府の続きです。
行ったのは、平成15年7月26日です。
実を言うとこの日、利府に行く予定は全くありませんでした。では、なぜそうなったのか?、順を追って説明しましょう。
当初は、航空自衛隊松島基地航空祭に行くため、友人のインプレッサ・グラベルEXで深夜に出発しました。
第21飛行隊のT-2最後の航空祭ですので、期待大で出発しましたが、出発時から雨が降っていて、嫌な雰囲気です。
明け方、仙台市内に入りましたが、雨はやむ気配なし・・・、これは、パッチやTシャツなどをしこたま買いこむ、「松島お買い物ツアー」になりそうだと話しているうちに、仙台駅近くの立体駐車場に到着。
この当時は、高速道路網が完全ではなく、基地まで車で行くと、帰りの大渋滞に巻き込まれるので、仙台で車を置いて、仙石線を利用していました。
エンジンカットし、機材を降ろしロックして、出発前に朝食にしようかと機材を持ち上げた瞬間、グラっと来ました。
多分震度5弱くらいだったと思います。仙石線は運転見合わせになったので、とりあえずはマックで朝食をとりました。
その後、松島海岸駅まで運転再開したので、とりあえず乗りました。
途中、国道45号線には、災害派遣の自衛隊トラックが通っています。これは航空祭中止っぽいねぇ~と話しているうちに、基地と連絡が取れ、やはり中止となり、本塩釜駅で下車しました。
駅員さんに確認しても、松島海岸から先の運転再開の見通しが立っていない状況でした。
それじゃあ折り返しましょう・・・ということですが、折り返す前にせっかくなので、少し撮り鉄します。
ちなみに、11月29日に松島基地オープンハウスとしてイベントが行われましたが、この日も雨でした。
というわけで、懐かしいですねぇ~、宮城野電車区(仙ミノ)T-112編成の103系です。
最北端の103系です。
仙ミノM-3編成の205系3100番台です。
M-3編成の後打ちです。
この後の電車で、仙台に引き返しますが、その後どうしよう・・・ということになり、んじゃ利府に行こう~ッ!ということになりました。
で、当初は利府駅構内の留置線に保存されていた赤いカマ達ですが、2002年サッカーワールドカップの輸送力増強で、利府駅に2番ホームを建設した際に、一部留置線を撤去することになり、車止めの奥に移動させられました。
この時に、DD15-4が解体されてしまいました。
前の画像の機関車部分をトリミングしました。
これ、近くで見た時はショックでしたねぇ~。何がって?、3列並んでいますが、画像中央の列と右の列のカマ、車体側面に落書きがされていたんですよ~。
えっ、白ペンキで「要求貫徹」とか「団結」とか、「当局粉砕!」とか「スト権奪還!」とか書かれていたんでしょって?(若い人は知らないか・・・)
ちなみに、白ペンキ云々は、昭和の時代、春闘の時期になると、そういう機関車が貨物列車を牽引してまして、そういう列車が来ると、がっかりしたもんです。ちなみに通勤電車は、ビラがベタベタ貼られていました。
話を元に戻して、ようは街中で見かける、カラースプレーによる落書きです。唯一無事だったのは、道路に面した左の列の左側面です。
置き方がまずかったねェ~という感じです。
その後、平成17年3月の新幹線車両センターに移設・展示の際、綺麗に再塗装されたので良かったですけどね・・・。
福島運転所所属のカマが多かったわけだから、福島運転所の一部を利用して、交流電機博物館でも作れなかったのかなぁ~。
ほんと解体は残念です。
締めは利府駅停車中の仙台電車区(仙セン)所属の701系です。