京都市電北野線が唯一1067㎜で残った理由は、京都市買収後の路線整理では当初、三哲-四条堀川堀川通りへ変更ののち、堀川中立売-北野を廃止し堀川中立売-北大路堀川を開業させる計画でした。しかし昭和恐慌による資金不足から見合わせるうちに戦時体制で凍結となり、戦後計画が正式に中止となったため狭軌のまま残りました。

廃止直前の京都市電
1961年
京都は太平洋戦争時に空襲こそ遭わなかったものの次第に戦後のただ住まいに変わり小さな路面電車は時代から取り残されていきます。
高度成長期に入って行くと観光客が押し寄せて小さな路面電車は老朽化も進み1961年7月一杯で廃止されてしまいます。

保存に向けてトラックに載せられる狭軌1型
1961年8月
左側の 15号車は現在の明治村No.2


京都市バス50号系統(北野線)は1961年8月に京都市電北野線廃止に伴う代替路線として誕生し、新設時の経路は京都駅前から三哲(現:下京区総合庁舎前) - 五条西洞院 - 四条堀川 - 堀川中立売 - 千本中立売 - 下ノ森を走り北野神社前(現:北野天満宮前)を走り始めました。


二条城前を走る狭軌1型
1961年6月

京都市電北野線時代と同じく沿線には二条城北野天満宮といった観光地も控えているため、観光客の利用者も多い路線です。

1976年4月、北野神社前 - 下ノ森 - 千本中立売下ノ森 - 北野神社前 - 千本今出川 - 千本中立売-   下ノ森 - 千本中立売北野神社前 - 千本今出川 - 千本中立売に変更しました。
1978年には下ノ森 - 北野神社前を、衣笠(現:立命館大学前)- 桜木町 - 北野白梅町 - 北野神社前に変更します。

現在では京都駅前から五条西洞院 - 四条堀川 - 堀川中立売 - 千本中立売 - 千本今出川を走りかつての京都市電北野線の終点:北野であった北野白梅町を通りわら天神前を通り立命館大学前を結ぶ路線となっています。そのため、同大学への通学客も多く利用します。

現在でも平日朝は10分おき、日中〜宵までは 15分おきに運行していますが、平日の朝の通学時に立命館大学利用者は50系統:北野線西洞院通・中立売通経由より車線数の多い西大路通を経由し速達性の高い快速205系統や観光客も急行101系統を運行するようになったことから最盛期に比べると利用者数・運転頻度が少なくなっています。

京都市交通局491
京2あ0491
いすゞBR351(1961年)
50系統:北野神社行き
1961年
最古参の路面電車のあとに導入されたのは京都市バスは最新鋭のリヤエンジンバスが導入されました。廃止代替路線として誕生した50系統:北野線
京都市交通局初のワンマンバスでした。
路面電車が走らなくなった軌道敷を走るワンマンカーはいすゞBR351(1961年)車体架装は西日本車体です。ワンマン灯系統幕方向幕が前窓上一杯に並びます。車体架装の特徴はオデコの形状に現れますが判別しにくい車輌です。
純正車体(川崎航空機製車体)に倣って乗用車並みにヘッドライト位置を下げています。
バスに付いてくるトラックは三輪自動車の三菱レオ(LT10)ダイハツミゼット(MP5)です。

京都市交通局
(車番不詳)
いすゞBR351(1961年)
某所
2017年8月26日
謎様 写真提供

この時導入されたいすゞBR351の廃車体が現在も某所に残っています。既にガラスは割れ落ちていますが、前後扉、左後輪のリヤエンジンルーバーや窓配置まで一致します。

京都市交通局
(車番不詳)
いすゞBR351(1961年)
某所
2017年8月26日
謎様 写真提供

因みに、車体裾の蓋の有無、リヤ扉の開閉を見ると違うようにこの廃車体は2輌あります。

このバスが登場の裏で引退した狭軌1型は明治村に2輌梅小路公園に1輌動態保存され、静態保存されている平安神宮の1輌が今月になり重要文化財指定となりました。

国の文化審議会は(2020年3月)19日、日本初の路面電車として知られる民間の「京都電気鉄道(京電)」が、明治時代などに市街地を走らせた車両(京都市交通局二号電車)1両を重要文化財(重文)にするよう、文部科学相に答申した。京都市左京区の平安神宮が所有し、路面電車では初めての重文となる。交通史や科学技術史において価値が高いと評価された。

長い歴史のなかで時に最新鋭であっても生い立ちや偉業によっては生き残るもの、そして朽ちていくもの。その陰と陽の姿が北野線廃止を巡り映し出されていました。
バスバス登場した廃バスバス
⑥⓪京都市交通局
(車番不詳)
いすゞBR351(1961年)
某所
バス⑥①京都市交通局
(車番不詳)
いすゞBR351(1961年)
某所