381系 特急やくも Ⅵ | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

381系 特急やくも Ⅵ


185系と251系の記事が続くので、そろそろ飽きられるかなぁと、修善寺駅での写真も区切がついたところで、381系をUPしてみました(笑)

185系の記事でも記しましたが、現在の国鉄特急型電車はJR東日本の185系 特急踊り子と、JR西日本の381系 特急やくものみ。

形式上では485系も現存しているものの、ジョイフルトレイン用に改造された"華"・"リゾートやまどり"・"ジパング"の車両のみとなっていて、特急型車両として定期運用するものは残っていません。



さて、岡山駅での381系"特急やくも"ですが、撮影したのは"サロンカー山陽"が運転された、昨年の11月3日だったりします。

他の鉄道写真同様、ずいぶんと寝かせてしまっていましたが、185系のお陰で陽の目を見ることができた次第です。

正統国鉄特急フェイス、最後の生残り381系も2022(令和4)年度を目処に、置き換え用の新型車両が導入予定されています。



381系電車は、幹線であるにもかかわらず地形上の問題から勾配や急カーブが多く、出力UPによるスピードアップが不可能だった路線のために誕生しました。

2017(平成29)年、島根県・鳥取県・岡山県選出の国会議員や県議会議員がJR西日本と非公式会談をした折り、新型車両の導入について要望しました。

JR西日本は『2022年度の導入を目処に検討する見通し』という腰の引けた言い回しを用いて回答していました。



1970(昭和45)年に国鉄は、曲線通過速度を向上させることを目標に591系を試作し、そのテストデータを基に営業列車用として開発されたのが381系でした。

1973(昭和48)年から中央本線の"特急しなの"に投入され、1978(昭和53)年には阪和線・紀勢本線の"特急くろしお"、1982(昭和57)年に伯備線の"特急やくも"へ投入されました。

2022(令和4)年は伯備線へ投入されてから40周年にあたり、要請がある以前からJR西日本的には『その辺りが寿命かな』との見立てはしていたため、非公式会見の回答がそのようになったのだと思います。



ただ、現時点ではまだ2022年度で置換・引退が決定している訳ではなく、その辺りを目処にとしているに過ぎない現状です。

が、いずれにしろ早ければ再来年、遅くとも数年以内に381系は引退する見込みです。

それは美しき国鉄特急型列車の終焉を意味しますが、新しい時代に相応しい新しい列車の誕生でもあります。



曲線が連続し続ける伯備線への新型車両は、やはり通常車両ではなく振子式車両か、最近流行りの車体傾斜構造の台車を履いた車両か。

とても気になるところではありますが、近い内にその答えと共にデザインなども公表されるでしょう。

ただ、乗って快適なだけではなく乗りたくなるような、外観デザインと車内エクステリアを兼ね備えた列車になって欲しいですね。



山陽新幹線の岡山開業を控えた1971(昭和46)年に、新大阪~ 岡山~ 出雲市間を走る、伯備線初の特急列車として、キハ181系 を使用した"特急おき"がデビュー。

1972(昭和47)年に新大阪~岡山間が先行開業すると、伯備線の特急列車は岡山~ 出雲市の運転区間となりましたが、列車名は"特急おき"から変更され、ここに"特急やくも"が誕生します。

ダイヤ的にはこうして誕生した"特急やくも"ですが、ネームドトレインとしての"やくも"には、もう少し古い歴史があります。



1956(昭和31)年に誕生したキハ44800形(キハ55)が、昭和34(1959)年に米子機関区にも配置され、同年9月のダイヤ改正で米子~ 博多間に"準急やくも"が誕生し、これがこの列車名の誕生です。

蒸気機関車牽引による客車列車しか存在しなかった山陰本線西部において、高速で無煙のディーゼルカーを使用した"準急やくも"は、たちまち人気列車となりました。

翌年からは正明市(長門市)駅で分割し、山陰本線経由と美祢線経由の準急となり、再び下関駅で連結して1本の列車に戻る、後の"急行さんべ"の原型ともなりました。

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エッフェル塔、行ったことある?

エッフェル塔の日


『シンロクモメリーだぁ』

数々の名台詞やギャグが思い浮かびますが、私はCMでのこれが第1位です。

本来はエッフェル塔の日ですけれど、先日亡くなられた志村けんさんについて、少しだけ語りたいと思います。

志村けんさんは3月17日 倦怠感の症状があったため自宅静養を始めましたが、2日後の19日には発熱と呼吸困難に陥ったそうです。

翌20日、訪問診察をした医師の判断により、都内病院に搬送し、重度の肺炎との診察を受けて入院。

検査の結果、23日に新型コロナウイルスの陽性が判明しましたが、既に意識不明の昏睡状態となっていたそうで。

29日23時10分に永眠されました。


発症してから僅か12日で、突然の生涯終焉を迎えさせられる新型コロナウィルス。

これまでも多くの方が亡くなっているのは分かっていましたが、親しみのある芸能人が亡くなると、より一層の衝撃と危険性の実感を覚えます。

私が子どもの頃、荒井注さん脱退の代わりに、ザ・ドリフターズのメンバーになって、8時だよ 全員集合!に出演されるようになってから。

ほのぼのとした笑いを、私たちに与え続けてくれました。

志村けんさん、本当に今までありがとう。

ご冥福をお祈り致します。

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