赤胴車 走る姿は これっきり

絶体絶命のコロナ戦争、誰がいつ感染者や濃厚接触者になっても不思議ではない状況です。気がつけば3月も月末になり、4月から新生活を始める人たちを「いい日旅立ち」で送り出してあげたいところ、とても残念に思います。

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武庫川線の終点武庫川団地前に到着する阪神7861形・7961形、通称「赤胴車」です。平成28年(2016年)11月に取材した時の写真を紹介します

これまで通勤通学で利用してきた電車には皆それぞれに思い入れがあることでしょう。大手私鉄の支線として地域住民を毎日運び続けた阪神武庫川線も兵庫県西宮市の武庫川団地に住む人たちにとっては掛け替えのない鉄道路線です。

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2両編成のうち武庫川方先頭車両に乗車しました。助手席側の展望席となるはずの座席は撤去されています

阪神武庫川線について当ブログでは平成28年(2016年)3月の記事で紹介しました。1.7kmの短い路線で、本線では見ることが出来なくなった上部がクリーム色、下部がバーミリオンに塗り分けられた通称「赤胴車」がのんびりと武庫川の堤防の緑の中を走り抜けてく光景は今も変わらずです。

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昭和43年武庫川車両製の車両です。昭和46年改造は冷房車化でしょうか

その武庫川線を巡って今年2月21日付で「武庫川線で運行している車両を置き換えることとし、新たなデザインの車両が2020年5月末(予定)に武庫川線で運行を開始します」と発表されました。投入される車両は普通用車両5500系を改造した「タイガース号」「甲子園号」とされ、武庫川線利用者のみならず鉄道ファン、野球ファンにも黄色と緑の衝撃を与えるものでした。

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運転席側のロングシートです

武庫川線に投入される5500系は2両×4編成の予定で、残りの編成のデザインテーマはまだ発表されていません。勝手に予想すると「赤」と「青」は本線の車両のテーマなのでそれ以外から選ぶとして、女性ファンを対象としたモモ色の「TORACO号」、そして金メダルをイメージした「ゴールド号」などどうでしょうか? もちろんイメテイション・ゴールドではいけませんよ。

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運転台を撮影しました。速度計は140km/hまで目盛が刻まれておりヤル気を感じさせてくれます

ただし、5500系の投入に伴って「赤胴車」は令和2年度内に武庫川線での運行も終了することになっており、これっきり、これっきりもう、これっきりですかと一抹の寂しさを感じます。「赤胴車」は僕が物心ついた頃から阪神電車の特急や急行として走っていた車両で、住んでいる神戸市内から遠くの甲子園や大阪に連れてってくれる夢先案内人だったのです。

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武庫川方先頭車両の7961形7964です

赤胴車の思い出として小学生の頃の「ひと夏の経験」を述べます。三宮駅(現在の神戸三宮駅)から梅田行き特急に乗車したらすぐ隣にどこかで見た2人の外国人、当時阪神タイガースの強打者として活躍していたブリーデンさんとラインバックさん(故人)が立っていたのです。何か話しかければ良かったかもしれませんが、そんな度胸もなく御影に着いてしまい普通列車に乗り換えたのでした。ちょっと待ってラインバック、ラインバック、今の言葉ラインバック、ラインバック!

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武庫川団地前方先頭車両の7861形7864です

赤胴車が世間に与えた影響は大きく、当時のTVドラマで「赤い疑惑」「赤い衝撃」などが放送され人気を集めました。「赤い英和」「赤い彗星」「赤いかもめ」などの派生形式も続々と登場しました。広島東洋カープが初優勝した昭和50年(1975年)に赤ヘルになったのも颯爽と走る赤胴車への憧れもあったのかなと推察します。

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片開き式の乗降扉を閉めて武庫川団地前に向けて発車しました

赤胴車が電車界の大スターだった昭和50年前後、芸能界の大スターだったのが山口百恵さんです。昭和55年(1980年)10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートで「さよならの向う側」を歌い終え引退した山口百恵さんのように、赤胴車を1両、マイク代わりに武庫川団地の真ん中に置いて去っていく日が迫りつつあります。

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武庫川線ホームの端には本線との乗換改札口が設置されています

早くコロナが終息して、もう一度走る赤胴車に乗ってみたいと思います。

では、魚を捕まえに行ってきます!