基本は日帰り・ご近所さんへの旅鉄訪問記

確認より発見が目標の旅鉄と気まぐれ街歩き薄口日記の2本立てですよ〜

なつかしの列車シリーズ・函館本線、荷物46列車

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こんばんは。世の中えらいことになって旅もままならなさそうになりそうです。
早く過ぎ去って欲しいと誰もが思ってるでしょう。


次のシリーズを何にしようか、未完の部分を出かけてからにしようかと悩み中。
前回の「高輪ゲートウェイ」が盛り上がってた割に不振でショボーンです。


次のトピックまで開きそうなので、つなぎの記事になってますが、「なつかしの列車」を。
今回は、函館本線、札幌ー函館の荷客混合夜行列車、46列車です。


北海道旅行ブームの頃ですから国鉄時代。
その頃は「荷物列車」という荷物車と郵便車で構成された列車がありました。

46列車は函館行き夜行ですが、郵便・荷物車に客車を2両つないだ、荷物列車に客車がついたような列車でした。
その頃は札幌から道内各地に、寝台車を連結した夜行急行列車が走ってた時代です。


函館行きは、夜行「すずらん」がありましたが、多客期の臨時列車でした。
なので、函館夜行は夜行普通列車の46列車だけでした。


先に書いたように北海道旅行ブームだったので、2両では超満員になるので客車を4両に増結し、その1両は座席を取り払って絨毯敷きの「カーペットカー」(なんと料金不要)を連結したりしてました。

客車は、急行が14系を使用してたのに対し、スハ43系の旧型客車。
このおかげもあって、まさに「夜汽車」のイメージにぴったりでした。


記憶をたどると、小樽まではED76、小樽からの非電化区間DD51が牽引してたと思います。
夏休みもあってボックス席は4人で満員。

倶知安までは各駅停車ですが、明かりがあるのは小樽までで、小樽を出て「山線」に入ると、真っ暗な中を車体を揺らしながらゆっくりと進んでいました。
倶知安を出ると森まで主要駅のみの停車。ですが、車内放送は一晩中ありました。


私はこの列車を利用するときは、旅の後半、帰りの列車の一本だったので疲れもあって窮屈なボックス席でも眠っていたので、深夜の区間の記憶がありません。

気がつくと、明るくなりかけた大沼あたりが多かったです。
旧型客車なので音もない朝の無人駅でした。


まどろんでいるうちに終点函館に。
確か5時過ぎだったと思います。

郵便・荷物車は切り離されて青函連絡船に乗せられ、東京方面に向かうのが多かったような。


朝の5時過ぎでは何もありませんので、
市電が動き出す6時過ぎまで待合室で居眠りしながら時間を潰して、谷地頭行きの市電に乗って終点の谷地頭に。

電停近くの「市営谷地頭温泉」で朝風呂というのが旅のパターンでした。


その後、荷物輸送はコンテナ貨物になり、荷物列車は全廃になると同時にこの列車も廃止されました。
つまり函館夜行はなくなってしまい夜行バスだけになったのです。


今、運送業界で運転手不足や長時間拘束をなくす方向になり、実験的ですが宅配便を旅客列車の空いてるところに乗せて運ぶ試みがされてます。

東海道のような幹線では専用列車やコンテナ輸送が行われてます。
列車単位ほどじゃないけど、長距離の輸送に旅客列車が使われ、「クモハニ」や『キハニ」が復活しないかなと夢見てしまいます。


夜行なので写真がなくてすいません。唯一の写真、函館駅についた46列車です。


今夜も読んでいただきありがとうございます。