前回の更新から間を置いてしまい申し訳ありません。

12月30日に石北本線の瀬戸瀬駅をスタートしたこの旅もいよいよ終盤となりました。

ついに南国・宮崎まで来た処で前回は終わりましたが、今回は5日目の後半として日南線のキハ40系に乗車してゴールの志布志を目指します。

 

 

 

瀬戸瀬から志布志ゆきの旅・第21ランナー

宮崎14:48→油津16:06

日豊本線・日南線 普通 1939D

編成/鹿ミサ ☆キハ47 8052+キハ47 9083→油津

 

瀬戸瀬からスタートした乗り継ぎ旅としては最後の乗車路線となる日南線。

偶然ではありますが、瀬戸瀬のある石北本線と同様に日南線もまた、元々は別だった路線を一つにまとめたという複雑な経緯を辿ってきた歴史を持っているのであります。

 

宮崎から乗車する1939Dは志布志へは直通せず、油津で志布志行1941Dと接続するダイヤが組まれています。

車両は、『瀬戸瀬から志布志ゆき』乗車券のコース上として4度目となるキハ47形。

 

 

 

このキハ47も製造から40年を経過し、海岸地帯を走るという事もあってか外観は錆だらけ。

 

 

 

それでは、出発です。

南宮崎までは日豊本線を走行。再び大淀川を渡ります。

 

 

 

勿論、南宮崎までの乗車券は別途購入の上で乗車しています。

 

 

 

宮崎車両センターが隣接する南宮崎駅に到着。いよいよ最後の1路線、日南線の旅が始まります。

 

 

 

田吉駅から宮崎空港線が分岐。

なお、私の北海道への帰路は宮崎空港から福岡乗り継ぎで航空機を利用するため、同線に翌日乗車します。

 

 

 

青島リゾートの最寄り駅である子供の国。

 

 

 

お次の青島駅。

宮崎が新婚旅行のメッカだった1960~70年代当時、多くのカップルが訪れた事でしょう。

 

 

 

青島までの間に大半の乗客が降りてしまったため、私が乗車している2両目の乗客はわずか数名に。

 

 

 

本格的に海(日向灘)を望めるのは内海を出てからで、画像右側に見えるのは巾着島です。

 

 

 

そして、青島海岸から続く『鬼の洗濯板』と呼ばれる波状岩が車窓からも見る事ができます。

 

 

 

伊比井駅ではキハ40 8098単行による油津発南宮崎行の1934Dと交換します。

当駅から先は日向灘と一旦お別れして山間部に入ります。

 

 

 

山間部を日南線最長である3670mの谷之城トンネルで貫き、周囲が開けてくると北郷駅に到着します。

当駅から先は、元々西都城からの志布志線として開通していた区間であり、戦後に宮崎交通線の廃線跡を改修、なおかつ延長した区間が繋がった事によって南宮崎~志布志の区間は日南線と改称されました。しかし、その事が後々の特定地方交通線の選定において明暗を分ける事となってしまいます…。

 

 

 

北郷から先は広渡川(ひろとがわ)沿いに走ります。

 

 

 

内之田を過ぎ、広渡川と別れた後は同じ水系の酒谷川を渡ります。

この川は日向灘に注ぐ河口近くで広渡川と合流します。

 

 

 

そして飫肥駅に到着。駅舎は飫肥城を模した白壁造りの立派な建物です。

 

 

 

当駅ではD&S列車の南郷発宮崎行8052D『海幸山幸』と交換。

昨夜、芸備線の人身事故がなければ南郷までこの列車に乗るハズだったのに…。

実はこの列車の特急券もえきねっとで予約しており、九州新幹線の特急券同様にウッカリ受け取りを忘れてしまっていたのですが、コチラのほうは1回のみ変更可だったので翌日新千歳空港から乗る快速エアポートの指定券にネット上で変更しておきました。

 

 

 

日南市の中心である日南駅を過ぎ、次の油津駅でこの列車の終点となります。

 

 

 

隣のホームには最終ランナーであるキハ40単行の1941D(左)が既に停車して、乗り換え客を待っていました。

 

 

 

駅舎は、所在する日南市がプロ野球広島カープのキャンプ地である事に因み『Carp油津駅』としてチームカラーの赤に塗られているのですが、接続の10分の間に写真を撮るのをウッカリ忘れてしまいました…。

 

 

 

瀬戸瀬から志布志ゆきの旅・第22(最終)ランナー

油津16:16→志布志17:27

日南線 普通 1941D

編成/鹿ミサ ☆キハ40 8054(単行)

 

瀬戸瀬から北の40(ヨンマル)で始まった旅は、南の40で終わる。

奇しくも最終ランナーとなったのはキハ40形。姿形こそ変われど、コース上の両端で同じ形式の車両が走っているというのはなかなか感慨深いモノがあります。

日南線の中でも末端の閑散区間を行くため単行運転で、1日3往復は油津(または南郷)で宮崎発着の列車と乗り換えするダイヤが組まれています。

 

 

 

実は、志布志ゆきの乗車券を持っているにも関わらず宮崎駅で予め『油津→志布志』の乗車券を別途購入しておいたのですが、コレには理由がありまして…。

ご承知の通り瀬戸瀬→志布志の乗車券は手書きの出札補充券なので、使用後記念に持ち帰るのは基本的にはできない事になっています。そこで、降車時に運転士に渡す『囮』にするためにこの列車の始発駅からの乗車券を用意した、というワケなのです。乗車券の行先の手前で途中下車して、次の列車で残りの区間を乗車し、別途運賃を支払いの上で下車するのと同じ理屈です。

そうすれば瀬戸瀬→志布志の出札補充券を手元に残す事ができるのですが、余計な出費になってしまうのでこの手法はあまりお勧めはしません。元々有効な乗車券類を持たずに実際の乗車区間より短い区間の乗車券を行使するのは不正乗車にあたりますので絶対にやめましょう!

 

 

 

車内は混雑という程ではありませんが、接続時間が10分しかないので各BOX席は既に先客が陣取っており、仕方なくロングシートに座る事になりました。

油津の市街地と港を見ながら出発です。

 

 

 

再び日向灘の海岸線に出るのですが、次の大堂津を過ぎたあたりまでの間が日南線の車窓風景の中でも特にハイライトといわれる区間です。

できれば海幸山幸の車窓から眺めたかった…。

 

 

 

大堂津駅を出て、南郷川の河口に架かる橋梁を渡りますが、この付近を走行する列車は鉄道写真の恰好の被写体です。

 

 

 

海幸山幸の終着駅である南郷駅。

当初の予定では海幸山幸を下車した後、路線バス『日南(ひな)めぐり号』で道の駅なんごうに向かって食事と観光をした後、再びバスで駅に戻って13:51発の1935D(日南マリーン号)で志布志に向かうハズでした。

次回、九州に行った時には是非リベンジを果たしたい!

 

 

 

再び内陸部に入り、鰐塚山地の南部を縫うように進み榎原駅へ(※駅舎の画像は2018年1月撮影)。

当駅ではキハ40 8100単行の志布志発油津行1946Dと交換します。

 

 

 

榎原~日向大束で、国道220号線を並走するSLバスを見て思わずパチリ。

幼稚園バスにこのような特装車を見掛ける事がありますが、車両後部には『鹿児島県 鹿屋市』の文字が。送迎用の自家用車でしょうか。鹿屋といえば、廃線となった大隅線が通っていたマチなのでした。

 

 

 

日向大束、日向北方と日向の付く駅名が続きます。

開業時既に読みが同じ駅が存在していたため(山手線の大塚、磐越西線の喜多方)、頭に旧国名を冠しています。

(日向北方の駅舎)

 

 

 

宮崎県最南端のマチ・串間市の代表駅である串間駅。

当駅で乗客の大半の地元民(お年寄りや部活帰りの高校生が中心)が下車していきました。

 

 

 

車内は一気にガラガラとなり、残るは私を含めた『乗り鉄』が数名という状況に。

BOX席にも空きが出ましたが、車窓動画を撮るのにハンディカムをサクションカップで固定していたため、油津から座っていた前位側のロングシートにそのまま留まる事にしました。

 

 

 

列車は夕陽に向かって進みます。

 

 

 

宮崎県内最後の駅・福島高松。志布志まで残り2駅となりました。

 

 

 

列車は志布志湾沿いに出て、再び海の景色が展開します。

沈みゆく夕陽を眺めながら、志布志まではあと少し…。

 

 

 

鹿児島県(大隅国)に入り、最後の途中駅・大隅夏井駅に停車します。

 

 

 

終着駅まであと1区間!

 

 

 

当初の予定より到着が遅れてしまいましたが、結果的に美しい夕景で乗り継ぎ旅のフィナーレを飾る事ができて感激です。

 

 

 

大阪とを結ぶフェリー・さんふらわあが停泊する志布志港が見えてきました。

間もなく、志布志駅に到着します!

 

 

 

瀬戸瀬から3400㎞余り、一大縦断乗り継ぎ旅のゴール・志布志駅に到着しました!

瀬戸瀬から志布志ゆきの旅、今ここに終わる!!

 

 

 

北海道から九州まで、鉄道のみでの日本縦断は達成感がありますね。

コレで、ようやく以前から構想していた旅の目的をようやく果たす事ができました。

降車時に『囮』の油津→志布志の乗車券を運賃箱に入れ、瀬戸瀬から使用してきた補充券は無事に手元に残す事ができました。
有効期間は1月17日まで残っていたのですが、もちろん後日不正に使用したという事は一切ございませんので念のため!!

 

 

 

列車はわずかな旅人を降ろした後、折返し17:57発の南宮崎行1952Dとなります。

 

 

 

私たち旅人と入れ替わりに、1952Dには若いお父さんが幼い男の子を連れて列車に乗り込んでいきました。

おそらく、息子から「汽車に乗りたい!」とせがまれたのでしょうか?母親の運転するクルマで駅まで送迎してもらい、短区間だけ乗車した後先廻りした母親のクルマで戻るのではないかと…。最近、ローカル線では良く見かける光景です。

 

 

 

志布志線や大隅線が廃線となった後は単なる日南線の行き止まり終着駅となってしまった志布志駅。

本記事の投稿日である3月27日は志布志線の最終営業日(1987年)でもあり、同日の佐賀線とともに九州の国鉄線としては最後の廃止路線となりました。

駅の所属路線は元々志布志線でしたが、廃線に伴い日南線の所属となり、さらには駅そのものも現在地に移転されて営業キロも0.1㎞短縮され、日南線は南宮崎から88.9㎞の路線となりましたが、車止めには89㎞のキロポストが設置されています。

 

 

 

駅舎内部の蛍光灯の傘にはツバメが巣を作っており、それを注意喚起するセーフティーコーンが設置されていました。

我が北海道は駅舎の出入り口に扉があるためそんな事はありえないのですが、道外、とりわけ温暖な地域はオープン構造になっている駅舎が多いので、こんな事も珍しくないのでしょうか。

 

 

 

駅舎には志布志市の観光案内所が入居していますが、既に業務の時間を終えていました。

なお、現駅舎に移転した当初はJR九州直営の駅員がいたようですが、Wikipediaによると1992年頃には早くも無人駅になってしまったとの事です。

 

 

 

志布志駅舎と駅前広場。

私が2年前に初めて訪れた当時は駅前広場が工事中だったのですが、現在は公園風に整備され、駅舎に続く道がプロムナード風になっています。画像には写っていませんが右側には広場と同時に整備されたバスターミナルがあります。

ちなみに、駅とその周辺の住所は『鹿児島県志布志志布志志布志』と、やたら志布志が連続する表記となっているのでした。

 

 

 

もうすっかり日も暮れて、あたりを夕闇が包み始めましたが、真っ暗になってしまう前に『志布志鉄道記念公園』に行くため駅を後にします。

前回は列車から降りてすぐに旧志布志線の鉄道代替バス(当時は三州自動車、現鹿児島交通)に乗り換えて都城へ出たため見物できなかったのです。

画像は駅前通りとそれに交わる片側2車線道、そして鉄道施設の跡地を再開発して建てられたショッピングセンター『サンポートしぶしアピア』です。手前側が駅前通りで、駅正面から延びる片側2車線道は志布志・大隅線の廃線跡と鉄道官舎跡を利用して整備されたようです。

 

 

 

廃線跡の道路から駅方向を望む。

対向車線側(つまり駅から向かってくる方)が廃線跡だったようで、右に大隅線、左に志布志線のレールが敷かれ、駅から1キロメートル程度並走した後別れていました。

 

 

 

駅から2、3分程歩いた処にある鉄道記念公園。

志布志は3路線が発着するターミナル駅だった事もあり、機関区、車掌区、保線区を抱えた『鉄道のマチ』として繁栄しましたが、大隅・志布志の各線が廃線になった事で要衝としての役目を終え、ついには駅も無人化されて見る影もなくなってしまうのですが、かつての栄華を偲ぶべく機関区跡地に鉄道記念公園が整備されました。

 

 

 

かつて機関庫があった辺りには車両が3両保存展示されています。

コチラは志布志機関区に配置され、志布志線で活躍したC58 112。ちなみに、一部区間が軽便鉄道をルーツとする日南線と大隅線は線路規格が低いためタンク機関車のC11形が活躍していました。

これら車両には毎年クリスマス前の時期にはイルミネーションが飾られており、鉄道ファンにとってはちょっと目障りなのが玉にキズですね。

 

 

 

貨物列車の車掌車、ヨ8000形8951。

 

 

 

もう1両が旅客車のキハ52 130。

コチラはJR九州に引き継がれ鹿児島運転所で1993年まで活躍しており、引退後にわざわざ当地に運ばれてきました。

保存当初は白地に青帯の九州色でしたが近年になって国鉄気動車一般色に塗り替えられています。表記が国鉄書体でないのが残念ですが…。

 

 

 

いちおう、保存車両には屋根が掛けられていますが、海に近いので潮風による劣化が心配です。

これら3車両の末永い保存を祈るばかりです…。

 

 

 

鉄道記念公園を後にし、この日の宿に向かいます。

その名も『ホテル志布志』。サンポートしぶしアピアの隣にあり、コチラも鉄道施設の跡地に建てられています。

オープンは昨年の4月1日で、まだ1年も経っていない最新のビジネスホテルなのでした。

当初の予定では志布志線代替バスで都城に出て、日豊本線経由で宮崎に戻った上で泊まる予定でしたが、前日の芸備線事故による遅れのため急遽変更して志布志泊まりになったのです。

 

 

 
ホテルにチェックインして荷物を置いた後、夕食を摂るため近くの繁華街へ足を運びます。

 
 
 
私はリアル肉食系につき、焼肉のお店はないか?とホテルのフロントに尋ねて紹介してもらった某ホルモン屋で『一人打ち上げ』を敢行しました。
お肉はまあ美味しかったのですが、お店自体が『一見さん』の扱いが苦手のようで、店主の方も特に話し掛けるワケでもなく、私は一人黙々と肉を焼いて食べるのでした…。
 
 

今回でゴールの志布志に到着したため本篇は終了ですが、翌日、志布志から一気に札幌へ帰ります。

帰還篇(エピローグ)はまた次回以降にお送りします。

 

つづく。