只見線のキハが引退したかと思ったら、陸羽東線ではすっかりお馴染みとなっていた「リゾートみのり」も今年6月28日でラストランになるとの事だった。
C58の解体に続いてまたしても陸羽東線の悲しいニュースである。
知人からの情報で知った話だが、リゾートみのりはキハ48を改造した車両なのは鉄道ファンなら周知の事実だが、実は549(2号車)と546(3号車)は2005年只見線の橋落下の直撃を受けた車両だったとのこと。
そこからジョイフルトレインへと変貌し、週末にはいつもたくさんの乗客を乗せて陸東を走り続けてきた。
もちろん私も乗車したことはあるが、乗り心地はシートが広々して良かったものの、元がキハ48なのでディーゼル音は懐かしいものだった記憶がある。
しかしこうした列車が無くなってしまうと「奥の細道湯けむりライン」の愛称がある路線だけに、温泉街への影響も少なくはないのではないだろうか??
ただでさえ閑古鳥が鳴く温泉街が多く、また昨今のコロナウイルスの影響も手伝って、旅館経営者は悲鳴を上げているのではないかと思う。
また陸羽東線はいくら宮城県と山形県を結ぶ重要な路線と言えど、輸送密度の低い路線ランキングでは毎度1位に輝く赤字ローカル線だ。
(鳴子温泉~最上間の数値だが、まだ実家の赤倉駅前に住んでいた頃、確かに列車に人が乗っている姿は1~2人いれば良い方だったような気がする)
そんなことを考えると、私がお爺さんになる頃にはもしかしたら廃線になっていてもおかしくないのかなと思えてしまう。
これは陸羽東線に限った話ではなくどの地方路線も同じことだが、かつては鉄道は主要な交通手段で全国津々浦々に線路が張り巡らされた。
しかしモータリゼーションが進み一気に地方路線は衰退し、加えて昨今はコンパクトシティ化が進んだことで維持に金のかかる鉄道の必要性がさらに低下していった。
日の丸の旗を振って鉄道開通を祝った当時の人々は、誰しもがこのような将来が待ち構えているとは思いもしなかったことだろう。
では今の鉄道の必要性とは何なのか?
とりわけ陸羽東線のような地方路線の存在意義は?
「高齢者や通学生のための重要な足」という話も聞くが、そもそも列車に乗れるほどの脚力がある高齢者は車を運転するし、なんなら病院の送迎車だってある。
学生についても地方はますます子供が少なくなる一方で、学校が次々と廃校になっているのが今の日本の現状だ。
そういった視点で将来的に地方路線が生き残る道は、観光列車に特化する以外に無いような気もする。
また観光列車だけに頼るのではなく、地方の観光資源開発も必須だ。
鉄道だけに頼りすぎて典型的な失敗をした例を挙げると真岡鐵道の蒸気運行なのかもしれない。
蒸気運行「だけ」に力を入れ過ぎて、益子焼という観光資源を除けば、列車を降りても何も無い駅が殆どである。
その一方で蒸気路線に焦点を当てると他の路線はどうだろうか?
SLばんえつ物語(磐越西線)の場合、起点の新津は新幹線からのアクセスが良く、終点の会津若松は観光地として魅力的なものが多い。
SLみなかみ(上越線)も起点は高崎で都心にも近く、終点には水上温泉が栄えている。
SLやまぐち号(山口線)も磐越西線同様に新幹線からのアクセスがしやすい上に、終点の津和野は小京都として人気観光地だ。
こうした「相互発展」の関係性が築ける路線ならば、観光列車を走らす意味は大いにあるかと個人的に感じている。
ただこれらの成功例がある線区には共通点があると私は考えている。
それは「歴史的」文化財の有無だ。
特に幕末・明治・大正・昭和にかけての歴史的な観光地があるところはやはり強い。
その一方で、バブルから平成にかけて開発された観光地は軒並み衰退しているところが多くはないだろうか?
またそういった歴史的地区は文化財への理解が老若男女問わず大きいが、何もない地方では文化財への理解は乏しい。
宮城県内で見れば、伊達政宗という名将ブランド等がある仙台市は文化財が多く、C60なども綺麗に静態保存されているが、大崎市のような温泉以外の魅力が乏しい地区はC58たちが解体される末路を辿る運命にある。
歴史的文化財に触れられる環境があるか否かで、文化財に対する価値観が子供の頃から大きく変わってしまうのだ。
私はよく映画のセリフを引用するが、以前のブログでも書いた映画「コクリコ坂から」のセリフをまたここで紹介する。
◆コクリコ坂から◆『風間俊の名言』
古くなったから壊すと言うなら、
君達の頭こそ打ち砕け!
古いものを壊すことは
過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか?
人が生きて死んでいった記憶を
ないがしろにするということじゃないのか?
新しいものばかりに飛びついて
歴史を顧みない君達に未来などあるか!
少数者の意見を聞こうとしない君達に
民主主義を語る資格はない!!
いかがだろうか?
古きものを大事にする地域は将来性があるが、古きものを壊す地域には将来性があるように思えるだろうか?
陸羽東線のC58も古いものは昭和13年製造であり、日中戦争時代の代物だ。
確かにこれだけ荒廃したものを復元維持するには莫大な費用が伴い、財政の厳しい地方では捻出が難しいことは重々理解できる。
しかし百年の計で物事を考えた場合、今ここで文化財を守ることに力を入れる事は、その地に育つ若き子供たちに「歴史を守る」意識を与え、ひいては地方を大事にする意識も生まれる一助になるとは考えられないだろうか?
そうした考えなしでは地方衰退は進む一方で、鉄道存続もまたしかりである。