Kさん撮影series、46年前の昭和49年、春休みの山陰撮影行の6回目、いよいよラストとなりました。 代理投稿by D51338(^^)
-------------------------------
Kです。約2カ月にわたりお届けした1974(昭和49)年春休みのK少年の九州・山陰撮影行シリーズ、いよいよこれが最終回です。
最終回ということで、今回は今までにない趣向でお届けしてみようかと思います。
① まずは、ウォーリーを探せ。
この中にひとり、D51くんがいるのですが、どこにいるでしょうか(笑)。
② それではもう少し拡大してみましょう。
同じ場所をカラー写真で撮っています。これならわかりますね。
列車は結構高い所を走っていますが、その下の海岸はほぼ自然のままの波打ち際のちょっとした岩陰に漁船を引き上げて港にしています。この2枚の写真、よくこんな豆粒写真撮ったよな、と自分の記憶に残ってはいたのですが、山陰本線のどこで撮ったかは全く忘れていました。
③ それから34年半後の2008(平成20)年11月15日、十分過ぎるほどオジさんになった元K少年は山陰を訪ねていました。
一畑電車のデハニ52/53のさよなら運行と、山陰本線安来-松江開業100周年記念で運行されたキハ58系の臨時列車が狙いでした。
同行のカミさんが出雲市に住む友人と会っている間、私はキハ58系の急行「だんだんさんぺ」号の撮影場所を探しに、出雲市から西へ。
大田市行きの下り列車を小田―田儀の有名ポイントで撮影した後、返しの列車をどこで撮ろうかと場所を探しながら、田儀駅を過ぎ田儀川の高い鉄橋の下から岬の方へと海沿いを行く道に何となく車を乗り入れてみました。
するとその先には見覚えのある景色が。ビックリして写したのがこの写真です。②と画角はほぼ同じ。線路の位置はもちろん切妻屋根の家も同じ。
港は一部コンクリートが打たれ整備されていますが、34年前と同じ素朴な漁村の風景がそのまま広がっていました。
④ 感激したK中年はこの場所でキハ58系の臨時急行を待ちます。近くに若い撮影者が数名いましたが、私は一人勝手に興奮して「オレ、昔ここでD51の貨物列車撮ったんだよね~」などと話しかけていました。
あれから34年、いちおう大人になったので、豆粒ではなく列車が良くわかる程度の画角で撮ってみました。
でも①を平気で選択できる大胆さと、どっちが良いのかよくわかりませんね(笑)。
⑤ 翌11月16日、同じキハ58系の臨時列車を、直江―出雲市の斐伊川橋梁で撮ってみました。
斐伊川が宍道湖に流れ込む河口の近くの長大なコンクリート橋で、蒸機現役時代からの撮影の名所です。
⑥ というわけでこのシリーズのトリは、斐伊川橋梁を渡るD51牽引の貨物列車です。前回の写真①と同じ貨3970レで、カマは浜田区のD51488だと思います。タンク車も交えた貨車を二十数両従え、さすが力持ちのD51君です。当時は電化前でまだ架線もなく、スッキリとした橋の上で本線らしい貨物列車を撮影することができました。
⑦ ダブル堀り鉄、いかがだったでしょうか。
キハ58系の臨時列車をかつてのSL撮影地で写した2008年は、さすがのキハ58系も定期運用から退いた後、いわば引退興行のひとつでした。
そのわずか数年前の2003(平成15)年時点では、山陰本線の鳥取-米子間はまさに国鉄型気動車天国。DC特急だけはキハ187系が投入されていましたが、快速「とっとりライナー」は全車両国鉄急行色のキハ58系、普通列車はタラコ色のキハ47形でした。そんな時代のアーカイブから、2003年3月2日に鳥取県の浜村駅で撮影した写真を4枚ほどご覧に入れます。
まずは早朝の通勤通学列車、4連と2連のキハ47形普通列車の交換シーンを、駅そばの跨線橋から撮った写真です。
⑧⑨ 東京から遠路はるばる走ってきたブルートレイン特急出雲の駅通過シーンです。現在、日本の鉄道からブルートレインの夜行列車は既に亡く、DD51も貨物列車を含め定期運用が無くなる日が間近に迫っているようです。
⑩ 浜村駅を発車する快速とっとりライナー、キハ58系4両編成の後追い写真です。
1月中旬から全16回にわたりご覧いただきましたK少年の九州・山陰撮影行シリーズ、これでお開きとなります。
記事一回あたり写真6~10枚を目安にセレクトしましたが、結構分量ありましたね。長らくお付き合いいただきありがとうございました。