北野白梅町付近の京福廃線跡を歩く | 鉄道で行く旅

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いよいよ今回の目的地に迫っていきます。

実は、今回の一番の目的地は京都市電今出川線の延伸開業に伴い、1958年(昭和33年)7月に部分廃止された京福電鉄北野駅~白梅町駅間を歩くことでした。

1973年頃の京福電鉄北野線です。

 

京都市電

1973年頃に撮影した京都市電です。今出川線ではなく西大路線の衣笠校前です。

 

戦中までの北野および北野白梅町関係の鉄道年表

1895年(明治28年)9月24日 京都電気鉄道の中立売線府庁前-堀川下立売-堀川中立売開業
1900年(明治33年)5月7日 京都電気鉄道北野線の堀川中立売-下ノ森開業(京電時代は「北野線」が正式な線名のようです。その後も実態としては北野線と呼ばれていました。京都市は堀川線としているようです。)

1912年(明治45年)5月10日 京都電気鉄道北野線の下ノ森-北野開業
1918年(大正7年)7月1日 京都市が京都電気鉄道を買収

1925年(大正14年)11月3日に「京都電燈(後に電力事業を関西電力および北陸電力の前身会社に譲渡、鉄道事業を京福電気鉄道に譲渡)」により北野駅 ~高雄口駅(現・宇多野駅)開業

1943年(昭和18年)10月1日 京都市電西大路線の白梅町-西ノ京円町が開業 

左端の南北の道路が西大路で京都市電西大路線が通っています。(1946年に撮影された国土地理院提供の空中写真です)

京福電鉄北野線が白梅町駅(当時)よりも東側にある北野駅まで伸びており、京都市電西大路線と平面交差しています。

この時代の京都市電今出川線の西端は千本今出川までであり、北野白梅町方面に延伸されていませんでした。

そのため、京都市電狭軌線の堀川線(北野線)の北野電停は今出川通りの北側の北野天満宮の鳥居の東側にありました。

 

戦後の北野および北野白梅町関係の鉄道年表

1957年(昭和32年)3月19日 京都市電今出川線敷設のため、北野電停を北野天満宮境内横から今出川通南側へ移設

1958年(昭和33年)7月 京福電鉄北野線の北野~白梅町駅間を廃止し、白梅町駅を北野白梅町駅に改称。

1958年(昭和33年)9月16日 京都市電今出川線の北野紙屋川町~北野白梅町が開業。・・・ 京都市電今出川線全線開業 

1961年(昭和36年)8月1日 京都市電狭軌線の堀川線(北野線)全線廃止。

京都市電今出川線の北野白梅町延伸後の1960年頃の地図です。

京都市電狭軌線の堀川線(北野線)の北野電停が今出川通りの南側に移転しました。(京都市電堀川線の路線短縮)

京福電鉄北野線の北野~白梅町(現在の北野白梅町)間が廃止になり、その軌道の一部を京都市電今出川線が引き継ぎました。

京都市電の今出川線の廃止は1976年4月1日、西大路線を含む全線の廃止は1978年10月1日でした。

 

京福電鉄北野線の北野~白梅町間が廃止され、1958年からターミナル駅になった京福電鉄北野白梅町駅です。(2002年撮影)

 

北野白梅町駅の内部です。(2002年撮影)

 

北野天満宮の鳥居です。京都市電堀川線(北野線)の短縮前の北野電停は鳥居の右側(東側)にありました。

 

京都市電堀川線(北野線)が短縮されたときの北野電停付近です。

この後方の建物を京都府警「西陣警察署」と覚えていたのですが、よく見ると、2007年に「中立売警察署」と統合されており、今は「上京警察署」の看板が出ていました。これも現地を歩いてみて初めて知ったことです。

 

滋賀銀行西陣支店の片隅にある「京都市電北野線記念碑」です。

 

京都市は市電の堀川線としているようですが、利用者は北野線と呼んでいたということです。

 

この案内標識を見て、以前に説明した大将軍八神社を思い出しました。

 

【以前の説明を再掲載します】

桓武天皇が大内裏を鎮護するために設けたものが、平安京の四方に祭祀した古代中国の方位神である大将軍(神社)です。

現在の大将軍神社の場所

東: 左京区の岡崎神社および東山区の東三条大将軍神社。
西: 上京区の大将軍八神社。
北: 北区の今宮神社摂社疫神社および西賀茂大将軍神社。
南: 伏見区の藤森神社境内。

 

予定外でしたが大将軍八神社を見に行きました。

こういうところです。

 

続いて京福電鉄北野線の廃線跡です。

京福電鉄北野線の北野駅跡です。

現在は宗教法人の建物になっていました。この北野から画像の奥の方向にある旧・白梅町(現在の北野白梅町)に向かって軌道が敷設されていました。

宗教法人の建物の西側から見た北野白梅町方面です。ここを京福電車(嵐電)が走っていたのでしょう。

 

京福の北野駅跡から現在の北野白梅町までの廃線跡です。今出川通りと合流するところから先が京都市電今出川線に転換した区間です。

 

合流点から振り返ったところです。左が京都市電今出川線が走っていた今出川通りで、右奥に向かう道が京福電鉄北野線の廃線跡です。

 

このあたりでは紙屋川と呼ばれている天神川(北野天満宮の西側を通っている川)の北野橋を渡ります。京福(嵐電)は、ここでも天神川を渡っていたのですね。

 

リニューアル工事後の京福電鉄北野線の北野白梅町駅です。

以前とは違うスケルトン構造の駅舎になっていました。

 

取り壊し工事中の北野白梅町の旧駅舎(2019年12月)

 

在りし日の北野白梅町の旧駅舎(2018年8月撮影)愛称の嵐電になっています。

 

在りし日の北野白梅町の旧駅舎(2006年8月撮影)京福電車と書いてあります。

 

京都市バスのうち、銀閣寺と金閣寺とを結ぶ市バス急行102号系統の往路(北大路バスターミナル行き)が北野白梅町駅(電停)のプラットホーム横に新設されたバス停に乗り入れます。

 

北野白梅町駅を後にする帷子ノ辻行の電車です。

 

嵐電は全線均一運賃です。一駅間だけの乗車はもったいないので、北野白梅町から等持院・立命館大学衣笠キャンパス前までを歩きました。

 

等持院駅の駅名変更後です。

この「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」という長い名称の電停名(駅名)への変更については「嵐電が立命館大学へのアクセス手段として立命館と密接な関係であることを明示するための駅名変更」と報道されていました。

 

↑駅名変更前の等持院駅です。(2006年8月)

名称変更を好意的に見ると「立命館大学と京福電気鉄道による産学連携の本気度を示している停留場名(駅名)」といえるのではないでしょうか。

 

「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」を後にしました。

 

「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」から帷子ノ辻を経由して西院(さい)に向かいました。

この日(2020年3月20日)の鳴滝のサクラのトンネルは、まだこういう状態でした。

 

帷子ノ辻駅から京福の江ノ電号で西院(さい)まで移動しました。

2009年10月に撮影した嵐電の江ノ電号の単行運転です。

 

阪急西院(さいいん)駅から阪急電鉄の大阪梅田駅に帰りました。

9300系には「さくら」のヘッドマークがついていました。

(おわり)