一年前の事件は、疫病の影響でかき消されています。
まぁ某運営にとっては他に世間の目が向いてくれて、非常に助かった・・・そんなことを思っていそうです。
一人の人権すら守ろうとしないのですからね。
それはともかく・・・
今日行ってきた場所です。
まずはこの駅で降ります。
おそらくは開業当時から存在するかもしれない柱です。相当な年代物だということは見ただけで分かります。
開業は1931(昭和6)年12月26日です。
京浜間を経営していた京浜電気鉄道が湘南電気鉄道との直通運転をするために、横浜からこの駅まで延長。それと同時に当時の湘南電気鉄道の始発駅だった黄金町から延伸して目出度く両社の結節点になった駅です。
この駅の建設は京浜電気鉄道が担当しています。
横浜の繁華街にも近く、急行停車駅ともなっています。
この駅はカーブの上に設置されているので、ホームドアがまだ設置できていません。
・・・というか、設置できるのだろうか?
下りのエアポート急行がやって来て一枚。
この駅のすぐそばは野毛山、伊勢山などの丘陵地帯を抜けて戸部へとつながります。
90年代後半だったか、台風がやってきて豪雨の折にこのトンネル上の土砂が崩壊して、この抗口が塞がれてしまったことを覚えています。
上は住宅がありますが、よく家屋ごと崩れなかったなと思ったものでした。
横浜市は市街地に近い場所でも、こういった丘陵が多いので大雨の時は多くの丘陵地に早めに避難指示が出されることが珍しくありません。
1500形前面は行き先表示がLEDでしたが、側面はまだ方向幕でした。逗子・葉山に駅名が変わってから方向幕表示は初めて見ました。
1500形同士の並びは叶いませんでした。
つづく