ここでは秋田県内にあった機関区をざっくりまとめています。

役に立つかどうかはわかりませんが、ご参考までに...。笑







県北



大館機関区 [大]


1899年、大館機関庫として大館駅に隣接する形で開設され、後に大館機関区へ改称。

3線式のレンガ矩形庫や転車台を有する機関区でした。

転車台は現在も残っていますが、可動はしない上に線路は構内と繋がってません。

最後に転車台に乗った蒸機は高崎区のD51 498でした。

大館運転区から大館運輸区に改称、そして2020年には同区の他に青森区と弘前区を統合してつがる運輸区が発足しています。





東能代機関区 [能] (五能線管理所)


1908年、秋田機関庫能代分庫として能代駅(現在の東能代駅)に隣接する形で開設。

かつては8線の小さな扇形庫を有する機関区でした。

秋田機関区機織支区や東能代支区などと何度か改称を繰り返し、1945年に東能代機関区へ。

有名な所属機として国内向けD51のラストナンバーであるD51 1161が廃車時までいたことが挙げられます。

1959年には同居する形で五能線管理所が発足し、8620は一部を除いて管理所へ移籍しました。

1971年に機関区と管理所は廃止され、機関区は秋田機関区東能代支区へ再び改称されます。

現在も東能代運輸区として現存しており、転車台も可動できる状態で残っています。

奥羽北線で蒸機が運転される際は東能代区の転車台が毎回活用されています。





秋田機関区機織支区
秋田機関区東能代支区 [能]

上記と同じ↑





県央



秋田機関区 [秋] (秋田駅隣接)


1902年に秋田駅に隣接する形で開設された秋田県内最大の機関区です。

転車台や13線の扇形庫などを有し、1960年代までは転車台の代わりでもある三角線(デルタ線)も存在してました。

奥羽本線や羽越本線、矢島線、船川線用の様々な蒸機が配置され、1954年には48両も所属しています。

無煙化後の1972年、主な機能を秋田操駅に隣接する新しい秋田機関区へ移管し、従来の秋田区は秋田機関区秋田派出所へ、その後に秋田機関区秋田支区へと改称されました。

1996年頃に消滅し、現在は機関区自体の面影はほぼ無くなっています。

転車台は南秋田運転所に新造された物が代わりに設置されました。

1975年頃まで扇形庫、1990年代まで転車台が構内に残っていましたが、再開発の影響でどちらも現在は撤去されているので見ることができません。






秋田機関区秋田派出所
秋田機関区秋田支区

上記と同じ↑





秋田機関区 [秋] (秋田操駅隣接)


1965年、秋田操駅に隣接する形で秋田機関区秋田操派出所として開設されました。

特徴的な3線分岐を持つ機関区でもあります。

1972年の無煙化後、秋田駅に隣接していた従来の秋田区の主な機能を秋田操派出所に移管し、こちらが新しい秋田機関区になりました。

当初から蒸機ではなく電気機関車やディーゼル機関車が配置され、ED75の700番台はここに一斉配置されています。

1987年の国鉄分割民営化を前に秋田運転区秋田支所、1992年には南秋田運転所秋田運転支所へと改称されました。

客車全廃後の1993年末には廃止され、廃止時に所属していた機関車は南秋田運転所へ転属しました。

現在は車庫も取り壊され、跡地には無数のソーラーが設置されていますが3線分岐を含め線路は僅かに残っています。

また、2021年には跡地に奥羽本線の新駅である泉外旭川駅が新設されました。






秋田機関区秋田操派出所

上記と同じ↑






秋田港機関区 [秋]



秋田港駅構内に設置された、秋田臨海鉄道の機関車が所属する機関区です。

1970年の秋田臨海鉄道開業と同時に開設されました。

使用される区名札は秋田区と一緒の [秋] ですが、秋田区の方は黒地に白文字なのに対して、臨海の方は白地に黒文字で書かれています。

2021年3月の秋田臨海鉄道廃止によってこの機関区も無くなりました。






秋田機関区羽後矢島支区


1938年、矢島線の開業と同時に当線の終点である矢島駅構内に設置されました。

転車台と車庫を持つ小さな機関支区で、1961年に機能を羽後本荘駅に移管して秋田機関区羽後本荘支区として生まれ変わりました。

廃止後もしばらくは転車台が残っていましたが、現在は撤去されています。





秋田機関区羽後本荘支区


羽後本荘駅の構内外れに存在し、転車台と車庫があった小さな機関支区です。

1922年に秋田機関庫羽後本荘分庫として開設され、羽後本荘機関車駐泊所羽後本荘転向給炭所などと幾度も名称を変更してきました。

1961年に矢島線の終点である矢島駅構内にあった羽後矢島支区を羽後本荘駅に移転して引き継ぎ、秋田機関区羽後本荘支区になりました。

1972年には秋田機関区羽後本荘派出所となり、1980年代に廃止されています。

転車台も残っていましたが、現在は撤去されていて見ることができません。





秋田機関区羽後本荘派出所

上記と同じ↑





県南



横手機関区大曲支区 [曲]


1921年、横手機関庫大曲分庫として大曲駅構内に開設され、転車台と小さな車庫がありました。

1936年に大曲支区へ改称。

生保内線用や構内入換用の蒸機が数両配置されており、小さな機関支区ながらも配置両数は多いです。

戦前はC56やC11が数両、戦後はC11が独占して配置されていました。

中には新製配置が同区の蒸機もいます。

1964年に横手機関区大曲派出所へ改称されましたが、この頃に大曲市は機関区存続を国鉄へ願い出ていたようです。

結果的にその願いは虚しくも却下され、生保内線の無煙化によって1966年に廃止されました。

現在は跡地が保線基地になっています。





横手機関区大曲派出所 [曲]


↑上記と同じ





横手機関庫生保内分庫


1923年の生保内線全線開通に伴って生保内駅構内に開設されましたが、わずか1年ほどで機関車駐泊所となり、1966年の生保内線無煙化で廃止されました。

設置されていた転車台は廃止後も残っていましたが、現在は撤去されています。





横手機関区 [横]


1905年、横手機関庫として横手駅に隣接する形で開設されました。

1936年に横手機関区へ改称。

転車台と3線式の矩形庫があります。

ここには北上線用のD60や奥羽〜羽越本線貨物用のD51、構内入換用の8620やC58などの多数の蒸機が配置されていました。

中でもナメクジD51のラストナンバーであるD51 100、C56タイプのキャブと切り欠きテンダーを付けた68658、切り欠きテンダーを付けたデフ無しC58などの個性豊かな変型機がいたことでも有名です。

1972年の無煙化で動力車の配置を廃止し、以降は機関車の配置が無くなりました。

1987年の国鉄分割民営化直前に横手運転区へ、1991年には横手運輸区、2022年に横手統括センターへ改称しています。

統括センターとなった現在でも矩形庫と転車台は未だに現役であり、奥羽南線で蒸機が運転される際などは横手区の転車台が使われます。

転車台は2001年の横手駅構内配線改良の際に、少しだけ新庄方に移設されました。





その他



院内駅 院内駐泊所


奥羽本線の駅で秋田支社が管轄する最南端の駅である院内駅には、かつては駐泊所がありました。

1904年に新庄機関庫院内転向給水所として開設し、1922年には横手機関庫へ移管されました。

後に機関車駐泊所になっています。

ここには院内〜及位にある雄勝峠を越えるため列車を後押しする補機が駐泊し、晩年は新庄区のC58がその運用に入ってました。

車庫と転車台を有した駐泊所で、無煙化後も転車台だけは1980年代まで残存。

現在は数本の側線を残して他は全て撤去され、駐泊所があった面影はほぼ無くなっています。