駅と踏切の名前 | 書斎の汽車・電車

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 今回は、今尾恵介氏の新書判の本を2冊ご紹介します。

 今尾氏といえば、地図、地名研究の第一人者として著名であり、鉄道に関する著作もたくさんあります。今回ご紹介するのは、今尾氏による駅名と踏切名に関する本です。

 

 まずは1冊目、『駅名学入門』(中公新書ラクレ)です。本書冒頭で「高輪ゲートウェイ」という駅名への違和感が語られることからもわかる通り、著者のスタンスは、駅名は「歴史的地名に則った実質本位の」ものであるべしということになりましょう。

 本書では、山手線、水郡線、八高線、東海道新幹線、都電1系統などの駅(都電は停留所)名とその由来を紹介しています。そして、多くの国鉄ローカル線においては、駅名は市町村名を採用するのが基本で、ほぼ1村1駅の原則に則っているそうです。

 そうした基本的な原則を紹介したあとは、各論編に入っていくわけですが、神社仏閣の名前を採用した駅、「○○前」とつく駅(特に最近は大学前が多いそうです)、「東西南北、中、新」を冠する駅、様々な理由での駅名の改称などが語られます。

 この、駅名の改称にも様々な事情がありまして、鉄道が全国ネットワークを形成したことで、同名の駅についてはどちらかあるいは両方が改称されました。観光地の最寄り駅が集客のために改称されるのは今でもある話ですが、軍事施設の名前の駅が、防諜上の理由で改称された時代もあったわけです。また、戦前戦中期には、行楽施設名を冠した駅名が、「時局の空気を忖度」して改称されたり、北海道のアイヌ語由来の駅名の改称、台湾でも地名・駅名の「日本風」化などがあったそうで、これらについては本書巻末に資料としてまとめられています。

 本書では「住宅地系」の駅名とされていますが、○○ヶ丘、○○台、○○園(関西に多い)、○○野といった駅名にも触れられていますが、今尾氏はやはり否定的な評価をされています。

 最終章は「これからの駅目はどうあるべきか」と題されています。ここで今尾氏は「高輪ゲートウェイ」「南町田クランベリーパーク」といった駅名を批判し、旧国鉄が住居表示新町名の採用に見向きもせず歴史的地名を守った(山手線でいえば田町、御徒町、原宿がこれにあたる)ことを評価し、駅が公共財である以上、鉄道事業者の勝手な事情で駅名をつけるのではなく、歴史的地名を尊重すべしと述べられています。著者のスタンスには異論もありましょうが、私などは大いに同感するところです。

 

 2冊目は『ゆかいな珍名踏切』(朝日新書)です。こちらは1月の新刊で、新聞、雑誌の書評にも取り上げられていますので、すでにご覧になった方もいらっしゃるのではないかと思います。

 踏切の名前というと、関東大手私鉄などは、「最寄りの駅名+番号」であることが多く、味気ないのですが、国鉄(JR)やローカル私鉄などは、地元の地名等を採用しています。しかも駅名と異なり、踏切名で「商売」ができるわけではありませんから、設置当初の名前をそのまま使用していることが多いのです。しかも、命名も旧国鉄であれば管理局の担当者に委ねられていたらしく、駅名と比べてかなり「ゆるい」ものだったようです。おかげで、今では消えてしまった「小字」の名前などが、踏切名として残っていたりします。

 踏切名は地名だけでなく、設置当時に近隣にあった工場、商店の名前などが付けられたケースもあり、それが本書の主題である「珍名踏切」を産んだのでした。

 本書では今尾氏が、珍名踏切に実際に足を運び、その名称の由来を解き明かしていきます。「勝負踏切」「馬鹿曲踏切」「パーマ踏切」「古代文字踏切」「無名踏切」「洗濯場踏切」「切られ踏切」「ファッション通り踏切」「勝手踏切」「爆発踏切」など、その由来、現況については実際に本書を読んでみてください。(ネタバレになるので詳しくは書きません)

 

 今回ご紹介した2冊、気楽に読める新書判ですが、地名(駅名、踏切名)についてあれこれ考えさせられる本でした。読みやすいが実は深い本というのは、なかなかありません。未読の方には「是非読んでみて」と広くお薦めする次第です。